第20話:次女の憂鬱

 ――時は少しさかのぼって昨晩。


 フレイの部屋よりも広く、豪華な装飾品の数々に彩られた部屋。


「はぁ……」

 

 最奥にある天蓋付きの大きなベッド。


 四方に張られた薄いヴェールの向こう側。


 仰向けに寝そべっているイスナが悩ましげなため息をつく。


 純白のシーツ上に無造作に散らばった長く艶やかな深緑の髪。


 まるで下着のように薄い寝間着だけに包まれた胸は重力に逆らい、まるで並んだ山嶺のように天を仰いでいる。


「はぁ……、お父様は一体何を考えてるのよ……」


 再度、大きなため息をつきながらこの場にいない父親に対して軽い悪態をつく。


 イスナの胸中は今、一人の男に向けられた感情によって支配されていた。


 突如として現れ、自分たちの教育係を名乗った男。


 夢魔の母と魔族の王である父の間に生まれたイスナにとって、男という生き物は自分に頭を垂れ、かしずくだけの存在であると考えていた。

 

 それはこれまでのイスナの半生に置いてはほぼ事実として成り立っていた。


 幼い頃から多くの男達がイスナの元を訪れてはその機嫌を取るために傅き、その美貌や才能を讃えた。


 逆らおうとする者は一人として存在しなかった。


 しかし、ほんの数時間前にその考えは木っ端微塵に打ち砕かれた。


「ほんっとうに! なんなのよあいつは!」


 上半身を勢いよく起こしながら、静寂の部屋に響くほどの声で叫ぶ。


「むかつくむかつく! ほんっ……とにむかつくんだから!」


 大きな枕を膝に乗せて、イスナは強い怒りをぶつけるように握り拳でそれを何度も打つ。


 彼女にとっては見下すべきでしかなかった男という存在。


 半分は夢魔の自分にとっては本来は餌であるはずの人間の男。


 それに完膚なきまでに叩きのめされた記憶は彼女の心中にこびりついて、あの瞬間から一時も忘れられずにいた。


 枕を手で何度打っても、そのフラストレーションは一向に発散できない。


 逆に彼女の胸中にあるその感情はどんどん強くしていく。


「絶対に、絶対に許さないんだから……」


 静かな怒声と、枕を叩く音が他には誰も居ない部屋に何度も何度も響く。


「絶対に追い出してやるんだから……、この私が人間になんて……」


 だが、唯一尊敬している男性である父親が用意したその男を追い出す為の具体的な方策がイスナの頭に浮かぶことはない。


 それどころか、考えれば考えるほどに互いの間にある抗いようのない実力差だけが彼女の中で浮き彫りになってくる。


 そして、その度に彼女の胸の内側に火が灯ったような熱さが生まれ、心臓の鼓動が早くなる。


「も~! なんなのよ! ほんとに!」


 その言葉では表しようのない不快感にイスナは泣きそうな声を張り上げる。


 結局、イスナはその日は一睡することも出来なかった。


 彼女はただ一晩中、得体の知れない感情をひたすら枕にぶつけ続けた。


 拭い去れない屈辱感に寄り添うように、もう一つのある感情が生まれつつある事に気づかずに。

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