第7話:魔王の娘たち

 扉の向こうにあったのはどこか懐かしさを感じる四角い部屋。


 四辺ある壁の一面の半分以上を占める大きな黒板。


 綺麗な格子状に並べられた木造の机と椅子。


 教室、それはどこからどう見てもそうとしか呼べない一室だった。


 中央の辺りには、まるで俺を待っていたかのように五人の少女たちが横一列になって着席している。


「こちらが主のご息女方。貴方の新しい生徒となる方々です」


 俺に続くように部屋の中へと入ってきたロゼが手でその五人の方を指し示しながら、既にそれが決定した事であるかのように言った。


 少女たちは無言で俺の事をじっと見つめている。


 一人は値踏みするような。

 また別の一人は侮蔑するような。

 そしてまた一人は退屈そうにあくびをしながら。


 五人がそれぞれ異なった感情の色をその瞳に浮かべながら。


「この子たちが……」


 あの扉をくぐった時、あらゆる覚悟は済ませたつもりだった。


 つもりだったが、これは流石に想定外にも程がある。


 人間にはありえない特徴を持つその五人の少女を前にして、俺はただ呆然とその姿を眺めることしか出来なかった。


 一番左に座っている五人の中で最も年長と思しき少女。

 まるで炎のように真っ赤なセミロングの髪を持ったその子は、俺の方をじっと見ながら、その背中から生えたまるで竜のような翼の先端を指先で弄りながら微笑を浮かべている。

 一見友好的そうに見えるその視線だが、そこには高い場所から自分よりも格下の存在を値踏みするような色が含まれているのがはっきりと分かる。


 その隣、左から二番目に座っている濃い緑色の長い髪を持った少女。

 眉間にシワを寄せて、まるで台所の掃除中に見つけた油虫の死骸でも見るような嫌悪感に満ちた目で俺を見ている。

 頭から生えた二本のツノと身体の横でうねうねと蠢いている黒い尻尾らしき物体は、扇情的なドレスと上部が露出している大きな胸と同じくらい目を引く。


 褐色の肌に青みがかったショートカットの髪の毛を持つ中央の子。

 髪はみ出るほどの長く尖った耳を持つその子は、俺の方を見ようともせずに足をバタバタと交互に上下させながら退屈そうに大きなあくびをしている。


 若干ウェーブがかった茶髪の四人目。

 丸々とした目を更に大きく見開いて好奇心に満ちたキラキラとした瞳で俺の事を眺めている。

 一見しただけだとこの中で一番人間に近いが、僅かに開かれた口内に長く鋭利な二本の牙が光っている。


 そして、五人目。

 こいつに限っては全身が身体より遥かに大きなローブで包まれていてその姿形すら全く分からない。だが、暗い影の中から何かしらの感情を込めた視線を俺の方へと向けている。


 ひとしきり五人の容姿を確認したところで、ひどく混乱している脳をなんとか働かせる。

 固まった身体の首だけを動かして、ロゼの方に視線を移す。


「魔族……だよな……?」


 助け舟を求めるように、声を絞り出す。


 姿の分からない五人目以外の四人全員がどこからどう見ても人間じゃない。


 間違いなく魔族だ。


「はい、こちらに御わすのは魔王ハザール様のご息女方であられます」

「……は? まおう?」

「はい」


 短い返事。


 一拍置いて、その言葉の意味を考える。


 まおう? ごそくじょ?


「魔王ってあの魔王?」

「はい、魔族の統率者である魔王です」

「じょ、冗談だろ……?」


 俺がそう言った直後――


「ほん……っとに冗談じゃないわ! 人間の男が私の教育係だなんてどういう事なの!? ロゼ!!」


 二番目、俺に対して露骨に嫌悪感を向けていた子が勢いよく立ち上がってロゼに向かって声を荒げた。


 うねうねと動いていた謎の黒い物体はやはり尻尾だったのか、立ち上がると尻の部分から伸びている事がよく分かる。


「イスナ様、これは全てハザール様のご意思です。どうかご理解ください」

「ならお父様に会わせて頂戴! 私から直訴するわ」

「それは出来ません」

「どうしてよ!」

「ハザール様のご意思です」


 ロゼがその言葉と共に、強い意志を持った視線をイスナと呼ばれた二番目の少女に向ける。


 そう言われては彼女も言い返す事が出来ないのか、そのまま悔しそうに黙り込んでしまう。


「ご意思ご意思って、意味が分からないわ!」


 彼女は怒りを露わにしながら再び着席する。


「あたしもイスナ姉ぇに同意~。なんで人間なんかの言うこと聞かなきゃいけないのか意味わかんないし」


 三番目、中央で気だるげそうにしているショートカットの子が大きなあくびと共にそう言った。


「ほう、ではイスナとサンの二人はここで脱落ということか」


 間髪入れずに一番年長者と思しき左端の子が挑発するような口調で右に並ぶ二人にそう言った。


 イスナは二番目の子だったから、サンってのが三番目の子の名前か……。


 ってなんで俺はこの子らの名前を覚えようとしているんだ。


 教師としての職業病的な行動を自制しようとするが、頭が勝手に名前を覚えてしまう。


「脱落? 何からよ」

「無論、父上の後継者争いからだ」

「後継者争い? それとこれに何の関係があるのよ」

「逆に私達を一堂に会させて他に何があると? その意図が読めないようではイスナもまだまだだな」


 左側で隣り合っている二人がバチバチと火花を散らしながら言い争いをしている。


 当事者である俺を完全な蚊帳の外に置きながら。


「アンナ姉さんにイスナ姉さん。二人共落ち着いてください。ま、まだ決まった話でもありませんし……。それに私達が喧嘩するのはお父様も快く思わないんじゃないかなー……って……」


 四番目の子が慌てふてめきながら二人の仲裁に入る横で、フードを深く被りこんだ五番目の子は何の興味も無さそうにどこかを眺めている。


「フィーア。私からすれば君も一つしかない席を争うライバルだ。そんな悠長な事を言っている場合じゃないぞ」

「わ、私は、その……別に……」


 目の前で行われているのはどこにでもあるような姉妹喧嘩。


 それが魔王の娘と呼ばれた少女たちによるものであるという点を除けばだが。


「埒が明かないわ! ロゼ! 今日は顔合わせだけって言ったわよね! ならもう済んだから部屋に戻るわよ!?」


 再びイスナが勢いよく席から立ち上がって大声を張り上げる。


 一体何がどうなっているのか、全く話についていけない。


 誰か説明してくれ。


「はい、本日はご足労いただきありがとうございました。おやすみなさいませ」


 ロゼが並んでいる五人に向かって一礼すると、一番最初にイスナと呼ばれていた子が、続いてサンと呼ばれていた子がと姉妹が順番に退室していく。


 そんな中で四番目のフィーアと呼ばれていた子だけが出ていく際に俺とロゼに向かって一礼していった。


 そして五人全員が退出し、部屋には俺とロゼだけが残される。


「説明してくれるよな?」

「はい、私が答えられる範囲の事であれば」


 という事はまだ答えられない事もあるわけだ。


 まあいい最初に聞くことは決まっている。


「全部、冗談だよな?」

「いいえ、冗談ではございません」


 少し強めの風が吹いて窓がガタガタと音を立てながら揺れている中、ロゼはその真っ黒な瞳を俺へと向けてはっきりと言いきった。

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