こんばんは(^^)/
友人関係ですか……。僕は無理なくお話しできる方しか友達と認識しないので、何とも(おい
そう言う意味で、失礼を承知で申し上げるならば、葉月さんは貴重な人材でいらっしゃいます(笑)
いつもいつもすみません、歳不相応な紙メンタル(お豆腐メンタルともいう)のせいでお手数をおかけしまして<(_ _)>
でも、無理してでもお付き合いするのが友達なのか? という疑問はありますね。
それに、意外と他人って、自分(例えば葉月さんご自身)のことを気にかけていなかったりします。つまり、人畜無害性を前面展開して、それでも構ってくれる方を《友人》と言う風に認識を改めるのも作戦の内かな、なんて。
無責任なことをすみません(-_-;)
作者からの返信
岩井喬さん、こんばんは!
そう言われると嬉しいです(*´▽`*)
誰かの相談にのったりするのは好きな方なので、全然大丈夫ですよ~。
確かにそうですね……。一人いつも構ってくれる子がいるので、その子は本当の友人ということでしょうか?
いえいえ、アドバイスありがとうございます!
編集済
ご無沙汰しております。
今更ですが、楽しく読ませていただきました。
「笑っている」と「微笑んでいる」の違いは、ニュアンスだと思います。
「笑う」「笑っている」は相手を軽蔑する(嘲笑う)意味でも使われる言葉です。もちろんわざわざ面と向かって葉月さんをそう評価する方々は、葉月さんがいつもニコニコと明るく振る舞っているという肯定的な意味でそうおっしゃっているのだと思いますが、「いつも笑っている」と文字面だけで考えると得体の知れないような意味にもとれるので、何となく素直に喜べないと思ってしまうのでしょう。
それに対して、「微笑んでいる」という言い方は、「笑っている」ほどアクティブな感じではないものの、否定的なニュアンスで使われることはほとんどない言葉なので、純粋に褒め言葉として機能するのだと思います。
話題によって話の熱量が変わる人がいるという点について言うと、僕はまさに、特定の話題を振られるとしゃべり続けるくせに、そうでないときは自分から相手に話しかけることもしない人種だったので、葉月さんを悩ませている人たちの気持ちが少し分かる気がします。
あくまで僕個人はそういう中学生・高校生だったという話ですが、一度でも長話(あるいはそうでないにしても一方的な話)を聞いてもらった相手を嫌うことはまずないです。基本的に人は、相手の性格や趣味嗜好が云々という以上に、自分を好きになってくれる(気にかけてくれる)人を好きになるものだと思いますが、葉月さんが一度でも彼ら彼女らの長話に付き合ったとしたら、彼ら彼女らはそれによって葉月さんを敵ではないと判断し、(冷静になった後は)その思いやりに対して恩義を感じているはずなので、葉月さんのことを嫌うことはないと思います(いくら好きな話題でも、嫌いな相手に対して熱心にしゃべってしまうことはほぼあり得ません)。
ではなぜ自分から葉月さんに話しかけないのかというと、(理由は色々考えられますが、)長話をした翌日辺りの場合、「あんなに一方的にしゃべっちゃって、葉月さんにウザいと思われたかもしれない」と心配して、葉月さんの出方を見ている可能性が高いです。距離を詰めたい相手なら葉月さんの方から何か適当な話題を振ってあげれば、その後は安心して自分から話しかけてくるようにもなると思います。そこまで親密に話をしたい相手でない場合も、廊下ですれ違うときに挨拶しておけば最低限の交友関係は維持できるはずです。
長文失礼しました。
<追記>
自分が送らせていただいたコメントを翌日になって読み返してみると、誰もが目にする場には不適切な表現がありましたので、コメントの一部を削除することにしました。また、良い機会なので明らかに不要な部分もカットすることにしました。
失礼しました。
作者からの返信
あじさいさん、こんばんは!
ちょっと時間がなくて返信するのが遅れてしまいました。
ごめんなさい(;´・ω・)
なるほど……。だから「微笑んでいる」の方が嬉しくなるのですね。悪い印象はないですし。私もそういう言葉を使った方がいいのかも……?
話の熱量が変わること、嫌われてるのではないかと毎回不安になってたんです。けれどあじさいさんのコメントを読んで、とても安心しました! ありがとうございます。
出方を見ている、ですか……。であれば、私から話しかけた方がいいのですよね。挨拶もするように心がけたいです。
コメント本当にありがとうございます!