あなたが歩むから

さまーらいと

あなたが歩むから

凍えるような一月の寒さは、僕が大人になることをさして歓迎していなかった。


目覚ましを止め、重い身体を横にしたまま、デジタルの文字列を見る。

今日は一月の第二日曜日。世の中の二十歳にとって、とても特別な日で、そして僕も、世間的に見れば特別な人間の一人のはずだ。

成人式というのはなんだかおかしな話で、その日を跨げば大人の仲間入り。細かい誕生日は関係なく、資格の有無は問わない。誰が決めたのかもわからない尺度だ。

きっとどうせ、僕に資格はないのだろうけれど。


月並みに言えば、人生は上手くいかない。

十で神童、十五で天才、二十になったらただの人。世間はそんなことを言うけれど、結局僕はただの人にすらなれずに今日を迎えた。

自分の能力を過信して、他人を見下して、何となく中学に上がり、何となく高校に上がり、何となく大学に行こうとして失敗して、その頃にはもう努力の仕方なんて忘れていて、それからは本当に悲惨だった。


何も出来ないまま時間が過ぎていき、ただひたすらに焦りが僕を襲う。怖い、怖いけれど何が怖いのかはわからない。見えない何かに対して感じていた罪の意識も、時の流れとともに薄れていく。そうして僕は、やがて考えることを放棄した。

何か追いかける夢があるわけでもなく、罪悪感すら忘れて過ごす毎日。自ら籠の中に閉じこもり、翼なんてないのだと自分に言い聞かせている。

もし、悩み苦しむことで、成長して大人になるというのなら、僕は。



身体を起こして食卓に向かう。母親は既にキッチンに立っていて、鍋から香る味噌の匂いが僕の脳をほのかに刺激した。テレビにはいつもと変わらないニュース番組が映っていて、新人のアナウンサーがにこやかな表情で町の天気を告げている。日中は晴れですが、夜に雪が降りそうです。暖かい格好をして出かけてください。

五感が刺激されて、段々と目が覚めてきた。充電コードに挿したままの携帯を手に取る。いくつかの通知が来ていた。

今日を心待ちにしていた友人達のおかげで、知りたくもない情報が次々と僕の目に飛び込む。


その中で特に目を引く知らせがあった。

初恋の女の子が、二十にして身籠ったという。

世間がどう評価しているのかはわからない。だけど善かれ悪しかれ、彼女の時は色を持って動いている。少なからず、彼女の人生に意味はある。踏み出さないよりは遥かに良い。


勿論、中学校の頃に知り合ったきりで、その後高校から一度も会っていない人間への未練なんてない。でも、過去に少なからず記憶や感情を共有した少女が、明確に別の人生を送っている。妬みという程の感情はないけれど、彼女を素直に祝福することはできなかった。

少し気色が悪いとさえ思える自分の感情に嫌気がさし、携帯を閉じて食卓に着く。

ほどなくして、母が食事を持ってくる。いつもと同じ朝食が始まる。

「…」

言葉は無い。家から出ない僕に話題が生まれるわけがなく、加えて精神的にも陰鬱になった息子に対して母も口を閉ざしている。家族として、もう収拾がつかないのかもしれない。

そんなことはつゆ知らず、テレビは無神経に今週の運勢を発表していた。みずがめ座が4位で、ラッキーアイテムはハンカチ。5月生まれの僕には全く関係ない。結局自分の運勢は確認しないまま、画面から視線を離す。無ずっと前から、こんな無意味な瞬間に違和感すら感じなくなっている。


咀嚼と食器の音が不意に止む。

「成人、おめでとう」

ふと放たれた、母からのか細い祝福が、身体をすり抜けた。

僕の時間は、いつから止まったままなのだろうか。



二十分ほど電車に揺られ、駅を降りて道沿いに十分ほど歩く。たどり着いた大きなアリーナの前は、僕と同じ歳の人間で埋め尽くされていた。

今日が子供でいられる最後の日だと解釈して、非常に派手な格好をする人も少なくない。毎年テレビで取り上げられる光景が目の前にあった。お祭り騒ぎという言葉は今日のためのものかもしれない。



お腹を膨らませた彼女の姿は、案外早く見つかった。

僕が発見した時、彼女は他の女友達と楽しそうに談笑していた。

少し早い人生の天王山を前にしても、何一つ不満そうな顔をしていなかった。もしかすると本当は不安なのかもしれないが、少なくともそれを見せないぐらいの余裕は持っていた。

きっと、大人っていうのはそういうことなのだろう。

どんな思いも自分勝手に吐き出さず、他人との協調を優先できる。そういう人間が大人で、そして残念ながら、僕はそうではない。

誰かが彼女のお腹をさすっている、彼女がそれに対して微笑んでいる。周りの皆も笑顔だ。

僕は少しだけ悩んで、やっぱり彼女に話しかけることをやめた。歩み始めた彼女が居るのは、もう僕とは違う世界だ。

たぶん、僕と彼女の道は二度と交わらない。


当てもなく見知った顔を探して歩く。

皆、これまでの人生で一番ではないかというほどに騒いでいる。今日が終わった後のことなど気にもしない。この日のために特注した、母校の名前が入った扇も、明日には押入れの中だろう。


あてもなく十分ぐらい会場を歩き回っていると、懐かしい男達の姿を見つけた。

小学校の時、共に時間を過ごした彼等と、僕はまた楽しく会話ができるだろうか。

一瞬ためらったが、他に当てもないので、彼らの方へ歩みを進める。段々と話し声が聞こえてくる。



「うん、久しぶり。私のこと覚えててくれたんだ」


不意に聞こえた声、男性のものではない声に、何故だか身体が震えた。

目の前の集団をもういちど確認する。

そこには、何人かの旧友に囲まれて談笑する女性がいた。見知った顔、忘れるはずのない顔だ。

周りよりもずっと落ち着いた表情をしている彼女は、僕が小学校の時、虐めていた女の子。



昔から大人びていたけど、今の彼女はずっと大人になっていて、そしてもっと綺麗になっていた。

あの頃は虐められている彼女なんか目も暮れなかった男達が、今は群がるように彼女に話しかけている。

僕はその光景を呆然と眺めていた。

違うだろと思う。

綺麗になった途端に手のひらを返す友人たちに対しても、そして、輪の中心にいる"元"いじめられっ子に対しても。あの頃と全然違う。

変わってしまったということ。それに違和感を感じるのは、僕があの頃から変わっていないということの何よりの証明だった。

(笑顔を振りまくあの子は、僕の知ってる彼女なんかじゃない)

間違いは僕であって、彼女ではない。あの頃の彼女がそのままいるなんて、そんなことはあり得ない。

わかっていた。わかっていたのに僕は、当然の事実を受け入れることさえできなかった。

そんな事を考えていると、不意に彼女が目線を逸らして、その先の僕を偶然捉えた。


目が合う。


永遠のような六秒間だった。



何か言いたくて、言いかけて、けれども言葉が出てこない。

ただ謝罪がしたかった。だけどできない。彼女に話しかけることを、過去の僕が拒んでいる。僕にあの子と話す権利があるのか?

もし話したところで、彼女の傷ついた記憶に刺激を与えることになるかもしれない。それともむしろ、今となってはどうでもいいことかもしれない。

だからこれは結局のところ、自己満足だ。間違いなく自分のための行動で、彼女のためだなんて偽善だ。そんなこと1ミリも考えるべきじゃない。

じゃあ、この時間は一体なんなのだろう。


やがて、彼女は何事もなかったかのように談笑を再開し、少し経ってから集団を離れた。

その姿を見届けてから、僕は暫し安堵して、それから大きな罪悪感に襲われた。

やはりなにか声をかければよかったのかもしれない。そうすることで、物事は少しでも良い方向に向かうのかもしれない。僕か彼女かどちらかだけでも、思いに何らかの精算がつくのかもしれない。

だけど僕は目を離したし、彼女も目を逸らした。

きっと、そういうことなのだろうと思った。



式は滞りなく執り行われた。

なんとなく知っている程度の有名人がありふれた有難い言葉を振りまいて、初めて見るソプラノ歌手の歌声が響き、新成人の代表を名乗る知りもしない人間が、美辞麗句を並べ立てる。

その間もずっと、僕は彼女のことを考えていた。


一生この罪悪感と付き合っていかなくてはならないのだろう。僕はまだいい。彼女は大丈夫なのだろうか、ただの被害者である彼女は。

さっき見た彼女、明るく人気者だった。僕との記憶なんて、隅に置いていて欲しい。そう祈るだけ。


式が終わると、小学校時代のクラスに分かれ、食事会が行われる。

正直言うと行きたくなかった。でも当日になってから断るような、正当な理由が思いつかなかった。

開催地は最寄り駅にある居酒屋。あの頃背伸びをした誰かがよく教師に捕まっていた場所だ。


皆々が適当にテーブルに座る。幹事であろう同級生が音頭をとって、みんな自由に酒を飲み、周囲と談笑し、騒ぎまわる。

中には僕に話しかける人もいた。

話しかけられたこと自体は、少し嬉しかった。でもあの頃の友人たちは僕の心情なんて知るはずもない。気にせず僕に話しかけ、楽しそうに笑う。

その気兼ねの無さが僕を救い、けれども僕を苦しめる。

そんな気分で面白いことが話せるはずもなく、時間の経過をただ願いながら、他愛もない世間話を聞き続けた。



トイレに行くと言って席を立った。正直少しこの場に耐えられなくなっていた。

このまま帰ってしまおうか、なんて考えたけど、荷物は置きっぱなしだし、第一そんなことをする度胸もない。不審がられない程度に廊下で時間を潰そう。個室から見えない、曲がり角の少し先で休憩しよう。


するとそこには僕以外にも休憩している人がいて、長いストレートロングがふわりと揺れていた。

彼女だった。


「あっ…」

こちらに気づき、彼女の顔が強張る。きっと僕も似たり寄ったりな表情をしているだろう。

「久しぶり、だね」

ぎこちなく僕が声を出す。

彼女が会釈をしてそれに答える。

いつも不平等な神様にしては、あまりにも素敵なお膳立てだった。

僕の目と彼女の目が合う。ここで会っていなければ、二度と合う事のなかった二人の視線。

だからきっと、そういうことなのだろう。



何飲んだの?と聞くと、飲んでないよ、未成年だしね。という返事をされた。あの頃の大人しくて、真面目だった彼女が思い起こされた。

少しずつ落ち着いてきた僕らは、それでも手探りで会話を進める。

「どうして廊下で休憩していたの?」

「それはこっちの質問だよ、わたしはトイレの帰りにゆっくりしていただけ」

軽やかに答える。こういう明るさは、あの頃の彼女には無かった。

いや、もしかするとあったのかもしれない。僕が勝手に無視していただけで、本当は彼女はそんな人間だったのかもしれない。そう考えるとまた胸がざわつく。


「なんとなく、みんなに馴染めない気がするんだ。違う世界を生きているような気がしてさ」

「え、そんなことないんじゃないかな」

そう言うのが当然だろう。僕だけの都合のいい解釈に、彼女を巻き込むわけにはいかない。

けれども、彼女は言葉を続ける。

「って言いたいけど、実はわたしも少しだけそう思う。みんなとの温度差、感じちゃってる」

「君が?てっきり僕には昔よりずっと馴染んでいるように見えたけど」

「そんなことないよ。無理して背伸びしてるから、少し疲れる。だからこんなところで休んでいるんだよ。わかるでしょ?」

わかる。

下手をすると家を出ることも少なくなるほどの人間だ、本音を言えば体力なんて残っていないし、今すぐ帰れと言われたら喜んで帰るだろう。

「そうだね、僕も君と似たようなものかな」

無責任な発言だ。気付いたのは言い終えた後だった。どう考えても、彼女は僕より全然頑張っているじゃないか。結局受け身で、最低限の会話しかできない僕なんかよりも。

「じゃあやっぱり、お互いに疲れちゃってここに来たってことだね」

「そうだね、僕はもう戻る気力なんてないかもしれないけど」

わたしもかなあ、そういった後、彼女は仄かに笑って呟く。

「じゃあ、ちょっと抜けだそうよ」


「はいこれ、どっちがいい?」

彼女の右手には無糖の缶コーヒー、左手には小型ボトルのカフェオレ。

僕は右手の方を指差した。

「大人だねえ」

嬉しそうに言いながら、僕に手渡す。

僕等が来たのは、小学校の横の公園。僕を含め多くの人が、放課後になると毎日ここで遊んでいた。

あそこの木、ケヤキだね。そう彼女が教えてくれた。長年遊んでいた場所のことも、僕は何も知らない。

ブランコに座る。片手にカフェオレを持った彼女が、空いた手と両の足でブランコを漕ぐ。きぃと音が鳴って、緩やかに身体が前後に揺れる。

なんだか子供のころに戻ったみたい。そう言って笑った彼女から、白い息がこぼれた。


抜け出したのは良いものの、僕は彼女との会話に困っていた。

僕は本来彼女と喋ってはいけないのではないか、なんてことを懲りずまた考えていた。そもそも彼女は僕に怒ってはいないのだろうか。勿論何も感じていないはずはないと思う。僕が逆の立場だったら、まだ顔も見たくないだろう。それほどのことをしていた自覚があった。


沈黙を破ったのは、彼女の方だった。

「わたし、あんまりここで遊んだことなかったんだ」

「どうして」

聞いてすぐはっとした。原因を一番知っているのは誰だ?

「友達、あまりいなかったからさ」

そう言い、少しだけ悲しそうな顔をする。僕の胸が痛む。


あの頃の彼女を、よく覚えている。

顔立ちも中身も、皆より少し大人びていて、それを気に入らない人達がいた。

男子は事あるごとに馬鹿にし、女子は無視を始め、彼女はいつからか独りになっていた。


そして僕は、彼女にただただ嫉妬していた。

僕は勉強ができたし、運動もそれなりにこなせた。クラスで発言力もあった。他の友人たちに対しては、少なからず優越感を感じていた。

でも、だからこそ、そんなことの巧拙を気にもしない彼女が大人に見えた。僕とは違う、ずっと上の、どこか遠いところを見ているのだと。そんな彼女に追いつくには、相応の努力をしなければいけないことが痛いぐらいにわかった。


だから僕は、彼女を落とすことを選んだ。



彼女のノートを隠してやった。

背中に消しゴムをぶつけた。

机に落書きをした。

七日間戦争を破り捨てた。


彼女が敵意を向けるたび、僕は彼女を同じ次元まで引きずりおろせたと興奮した。

彼女が気にせず受け流すたび、僕は余計に苛立ち、彼女への嫌がらせをエスカレートさせた。

そんな日々は、僕等が卒業し、彼女が別の中学に進学するまで続いた。



ごめん、という言葉が不意に口に出て、それを聞いた彼女がなんで謝るの、と返す。

「正直に言うと、今日最初に君を見た時、怖くなった。」

「怖い?」

「僕は君を深く傷つけたから。僕を見た君が何を思うのかわからなかったし、適切な態度をとれる自信がなかった」

「適切な態度なんて。そんなもの決まってないよ」

そんなことはない。たとえ正解が決まってないにしても、確実に不正解はそこにあった。この期に及んで、これ以上傷付けることは許されなかった。


「本当はわたしも、今日行くのが怖かったんだ」

カフェオレで両手を温めながら、彼女が呟いた。

「逃げるように私立の中学に行って、誰とも顔を合わせずに今日まで過ごしてきたからね」

寂しげな瞳、それがすべてを物語っていた。

「やっぱり、今もあの頃のことを覚えているの?」

「覚えてるよ。怖いし、不安だし、時々思い出しては苦しくなる」

今も、昔も、言葉以上に彼女は悩み苦しんでいる。苦しみながらも、前に進んでいる。

僕はどうだ。自分と向き合わず、そもそも悩む事から逃げ続けてはいないか。

今日来たのだって、理由はない。彼女に会うまでは小学校時代の事なんて思い出していなかったし、他人に会うことの恥ずかしさも麻痺して気にならなかっただけだ。

「だから、君とこんなに話せてることは、少し不思議なんだ。また怖くなっちゃって、ロクに話せないんじゃないかとか考えてたから」

それは、今の僕は何も持っていないからだ。

あの頃の傲慢さも、根拠のない自信も、何もない。

きっと、彼女にとって今の僕は正真正銘の卑下の対象だ。

でも、彼女の眼差しはとても優しい。

「きっと、ここにいるのは、わたしが怯えていたあの頃の君じゃないんだね」



それから、彼女の話を聞いた。

逃げるように行った中学で、人と話すことができずに学校を休み続けたこと。

それでも勇気を振り絞って向かった教室は、彼女が思っていたよりも暖かく彼女を迎え入れてくれたこと。

ずっと、小学校の前を通れなかったこと。

たまに会うあの頃の同級生が、怖くて仕方がなかったこと。

それでも、同じぐらい優しくて仕方がない人達とも、ちゃんと出会えたこと。


「今も、怖いことばっかりだ」

震えながらそう言った、目には涙を浮かべていた。

「あの頃の君が怖い。クラスのみんなが怖い。手を差し伸べなかった担任だって怖い。学校を休んでいた頃の、親の眼差しが怖い。それがどこかで、もう一度わたしの目に映ることが怖い。考えただけで、あの頃の苦しさは帰ってくる」

やっぱり、彼女にとっての"あの頃"はそれほどのもので、そしてそれが僕の罪の大きさだ。

「でも、やっぱり苦しくても、向き合いたかったんだよ」

涙声のまま、彼女が声を出す。

誰だって前に進めるのは、前に進もうと努力するからだ。

「君は、とても勇気があるんだね」

ハンカチを差し出す。彼女は受け取って目尻を押さえた。

「勇気だなんて、そんな大層なものじゃないよ。結局今日も泣いちゃったし」

それでも彼女は涙を拭き、にこやかに微笑む。一片の寂しさを残したまま。

「ただ、昨日の私より、ちょっとでもましになればいいなって思うだけ」

照れくさそうに話す彼女、とても強くて、とても優しくて、とても綺麗だった。

僕は彼女のようになりたいと思った。

虫のいい話だ。彼女の人生を邪魔した上に、それを乗り越えた彼女を見習う。そんな人間に誰が手を差し伸べるというのだろうか。

「次は、君の話を聞きたいな」

「僕の?」

「ほら、わたしばかり喋って、疲れちゃったから」

僕の話。

「きっとつまらないよ。君のように挑み続けた人生じゃないし、とてもありきたりなものだ」

「それでいいんじゃないの?」

「いいのかな、他の誰でも良さそうな人生だけど」

違うよ。彼女は否定する。

「誰もが歩むような道を、あなたが歩むから、それが特別になるんだよ」

受け売りだけどね、と彼女は笑った。


ゆっくりと話した。

自己利益しか考えられなかった、あの頃の自分のことを。

そこから成長できなかった、今の自分のことを。

自暴自棄になった現在のことを。

今日会った人達に抱いていた違和感のことを。

君を見た時の、胸が締め付けられるような感情を。


君はあの頃が怖くて、僕は今が怖い。

とても良く似ていて、少し違うからこそ、僕は君に打ち明けられるのかもしれない。



「謝らなきゃいけないことが沢山ある」

「私に?」

「うん」

そっか。小さくつぶやく。

「小さな頃、君のことを羨み妬んでいた。君が僕よりも賢いことが痛いぐらいにわかって、でもそれが許せなかった。だから、君に酷いことをしてしまった。今ここでどれだけの罵声を浴びされても文句は言えないよ」

「そんなことしないよ」

でも。

言いかけた僕を遮って、彼女が言葉を続ける。

「確かにわたしはずっと、君の陰に怯えていたけど。でも、あの頃のわたしも、君を羨んでいたから、嫉妬していたから」

「恨んでいたの間違いじゃないの?僕は君に酷いことをしていたんだし」

「ううん、君の性格が羨ましかった」

僕には理解しかねた。僕の記憶の限りでは、あの頃の彼女は僕よりもずっと大人だったし、そもそも僕にはほとんど関心を向けてこなかったはずだ。

「わたしがあの頃一番頑張っていたのは、人に嫌われない努力。でも、いくら頑張ってもそんな単純なことができなかった」

あの頃の僕を思い出す。

自分勝手に知識をひけらかして、それでも確かに孤立はしていなかったような気がする。

「わたしはみんなより大人だから嫌われてもしょうがない。そんなことも何度か思ったりした。でも、君は私と同じぐらい賢くて、なのにみんなともうまくやっていた。嫉妬したし、腹立たしかった」

そんな事、思いもしなかった。

「正直、あの頃の君は他人の目なんて気にしないと思ってた」

「気にしたよ。じゃなきゃ逃げたりしなかった。苦しんだりしなかった」

「そっか、そうだよね、ごめん」

また、不用意な発言をしてしまった。

申し訳なさそうな僕を見て、彼女は口角を僅かに上げる。

「だから、今度こそうまくやりたいな」

「だとしたら大丈夫だよ、宴会での君はうまくやれている様に見えたし」

「それは嬉しいな。でも、友達っていうのは一方的な関係じゃないんだよ」

「と、いうと」

「相手の方からも、友達になりたいと思ってもらわなきゃ、困るってこと」

少しだけ呆気に取られてしまった。

照れ臭そうな顔で僕を見ていた。

なんだかおかしくて笑みを溢した。

「お安い御用だ」



喧噪が近づいてきて、目に馴染みのある人々が現れる。

二次会を終えた同級生たちが、小学校を懐かしみにやってきたようだ。

あれ、みんなだ。隣からも、そうつぶやく声。

横を見る。彼女も僕の方に顔を向ける。

彼女に言いたいことがあった。言わなければいけないことがあった。僕が次に進めるということを、彼女に示したかった。

やっぱりまだ躊躇ってしまう。今までと同じ、臆病で逃げ腰の僕が、変わらずそこにいる。

それでも、今は少しだけ違う。

誰かが傷の嘗め合いだと言うかもしれない。それでも良い。下手くそな足取りで、それでも前に進めたら上々だ。


「行こう」


彼女と僕の声が重なった。お互い目を丸くして、そして、小さく笑った。

足取りはまだ重いけれど、それでも僕は、彼女と行かなくちゃならない。彼女は僕の恩人で、そして僕の友達だから。

「また会おうよ。私も、もう少し話したいことがあるから」

「うん、その時は僕が君の助けになるといいけど」

「大丈夫だよ、私は君と話せてるだけで助かっているし」

そういうものなのだろうか。

少し考えたが、確かに僕は彼女と話すことで救われた。だから彼女もそうであればいいと思った。

「でも、やっぱり何かお礼がしたい。お詫びって言うべきなのかもしれないけど」

「うーん、じゃあ誕生日にご飯でも奢って欲しいかな」

「いつ?」

「来週」

あんまり準備の時間がないね、なんて笑いながら、ベンチから腰を浮かす。

僕らを穏やかに見守るケヤキを後にして、思い出の残る小学校へと足を進めた。

本当のことを言えば僕はまだやっぱり苦しくて、彼女もきっとそうで、でも今なら一ミリでも通じ合うものがある。とても小さな繋がりだけど、確かに僕を救っている。

お腹を膨らませたあの子だって、誰かを救っているかもしれないし、誰かに救われているかもしれない。



三歩分だけ先を歩く彼女の背中を、見失わないように僕も歩く。

ハッピーエンドを探そう。

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