閑話 ソフィアとシリルのお茶会
それはシリルがソフィアの婚約者候補に選ばれて数日経ったある日。
ローゼンベルク侯爵家別宅の中庭で、ソフィアお嬢様が優雅にお茶をしている。俺はそんな彼女の専属執事として、彼女の側に控えていた。
そう、専属執事として、だ。
あれから、俺とお嬢様を取り巻く環境はさほど変わっていない。
むろん、俺がソフィアお嬢様の婚約者候補に選ばれたのは事実であり、夢でも妄想でもないのだが、ソフィアお嬢様はまだデビュタントを終えていない。
デビュタントを終えるまでは未成年だし、身体的にもまだまだ子供。そういう意味では、まだまだお嬢様と専属執事としての関係が続いていくのだろう。
「……シリル、さっきからなにを考えているのですか?」
ティーカップをソーサーの上に置いて小首をかしげる。ソフィアお嬢様は以前より艶っぽくなった。……いや、もしかしたら、俺の彼女を見る目が変わったのかも知れない。
つい最近まで、愛らしくも幼い子供だと思っていたのにな。
「シリル?」
「失礼しました。ソフィアお嬢様がいつから計画なさっていたのか気になりまして」
「シリルとの婚約のことですか? それなら、貴方に初めてエスコートしていただいたときからですわ。お父様にお願いして、シリルをエスコート役にとお願いしたんです」
「あのときから、ですか……」
あのときは、他に妥当な相手がいないからエスコートを任せるといった風に聞かされていたんだが……そうか、そこから仕込みだった、という訳か。
いまにして思えば、ソフィアお嬢様が俺に隠し事をするようになったのもその頃だ。シリルには秘密ですと言われて、お嬢様の成長をよろこぶと同時に寂しく思っていたのだが……
「……シリル? なんだか顔が赤いですよ?」
「それは赤くもなりますよ。というか、ソフィアお嬢様も赤いです」
「それは……だって、も、もぅ、シリルのいじわる」
俺はついっと視線を逸らした。
ちなみに俺は仕返しをしただけなので、いじわるなのはソフィアお嬢様である。
「しかし……では、今回の一件もソフィアお嬢様の計画通り、なのですか?」
「おおむねはその通りです。お父様が、シリルをわたくしの婚約者にするには地位が足りないと言うので、シリルに活躍してもらおう、と」
「……なるほど」
隣国の皇子の案内役は自分の意思で受けたと言っていた。つまりは、俺がソフィアお嬢様の婚約を穏便に阻止する上で、あれこれ手柄を立てることを予想していた、という訳だ。
「しかし、王妃もあれこれ計画なさっていたようですよ。そちらにソフィアお嬢様の計画が台無しにされる可能性もあったのでは?」
「いいえ、台無しになる可能性があったのはお父様の計画です。わたくしとしては、お父様と王妃のどちらが勝者となっても構わなかったのです」
「……それは」
「わたくしがどんな道を選んでも側にいてくれると、シリルが言ってくれましたから」
「たしかに申しましたが……いえ、もうなにも言いません」
あのときの問い掛けが、俺と婚約するためなら、王族にも、侯爵にも、平民にでもなる。
そういう意味だったと知って顔が熱くなる。
「それより、いつまで控えているのですか?」
「私はソフィアお嬢様の専属執事ですから」
「でも、婚約者でもありますよね?」
「候補、ですけどね」
「むぅ、どうしてそういういじわるを言うんですか?」
「いじわるではなく事実です。他の縁談を断る口実で、私が失態を犯せば即座に取り消されるような口約束ですよ?」
「では、シリルは失態を犯すつもりですか?」
「いいえ?」
「では、婚約者も同然ではありませんか」
まぁたしかにその通りなのだが、世の中には曖昧にしておいた方が良いこともある。
たとえば、俺がソフィアお嬢様の婚約者候補であるという事実は、たしかに俺やソフィアお嬢様の縁談を牽制する役割を果たしている。
だが、候補だと確定させてしまえば、今度は身分の差がありすぎるので、それよりもこちらと……みたいな話が舞い込んでくるに決まっているのだ。
それくらいは分かっているでしょうと問い掛けると、お嬢様はにっこりと微笑んだ。
「わたくしとシリルの仲を邪魔するものは排除するので問題ありません。むしろ、その曖昧さに付け込んでくる人の方が心配です」
アリシアやパメラが――正確にはその親が、ではあるが、俺に婚約を申し込んできたことに対して、お嬢様は特に言及していない。
これはやぶ蛇になる奴だと、俺は即座に聞こえないフリをした。
むろん、それでソフィアお嬢様が引き下がるはずもなく、なにかを言おうと口を開いた。その愛らしい口に、俺はクッキーを一つ押し込んだ。
小さく呻いたお嬢様は、もぐもぐとクッキーを咀嚼。
「……シリル、こんなことで誤魔化されると――」
「俺がこんなことをするのは、お嬢様だけだよ?」
更になにか言いたげなお嬢様の耳元で囁いた。
「……し、仕方ありませんね。誤魔化されてあげます」
ツンと強がるお嬢様が可愛らしい。まだまだ子供なのに、それでも俺のために必死に頑張ってくれている。そんなお嬢様を微笑ましく思いながら、俺は隣の席に腰掛けた。
そうして彼女の口にもう一つ、クッキーの欠片を放り込んだ。
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