光と闇の裏表 2
一巻発売まで後――2日!
KADOKAWA ドラゴンノベルスより4月3日発売!
***本編***
王城からの帰りに学園へと立ち寄る。
部室棟が立ち並ぶ区画の一等地。ソフィアお嬢様が所有する建物に顔を出すと、ソフィア派が普段使用している部屋に明かりがついていた。
誰がいるのかと顔を出すと、アリシアとパメラが二人で仲良くお茶をしていた。
「あれ、シリルさん、王城に行ったんじゃなかったんですか?」
俺に気付いたアリシアが軽く手を振って、無邪気に声を掛けてくる。
その傍らで、パメラがこんにちはとばかりに会釈をした。アリシアに比べて随分と控えめな仕草……いや、令嬢としてはこちらが普通なのだけど。
「王城からの帰りです。少し所用で立ち寄っただけなのですぐに帰りますよ。それよりもお二人が一緒にお茶とは珍しいですね」
「今日は少し相談があって。でも、別に珍しくないですよね?」
キョトンとしたアリシアがパメラに同意を求めると、パメラもまたこくりと頷いた。
「お二人は以前から交流があったのですか?」
「交流もなにも、パメラ様とはソフィア様のお茶会でよく一緒していますよ?」
「ええ、お茶会で席が隣になることも多かったですし、クラスも同じですから。アリシアさんとは普段から仲良くさせていただいています」
どうやら、中等部に入ってから仲良くなったようだ。
光と闇のエスプレッシーヴォにおける無印のヒロインと前夜祭のヒロインが一緒にいる。その事実に勘ぐってしまったのだが、少し神経質になりすぎだったかもしれない。
そんな風に考えていると、アリシアがピンと人差し指を顔の横で伸ばした。
「ところでシリルさん」
「はい、なんでしょう?」
「王城で誰に会っていたんですか?」
「………………」
思わず沈黙してしまった。俺に向けられるジト目を見れば嫌でも、アリシアが誤解していると分かる。俺が王城でフォルと密会していたと思っているのだろう。
副音声で『ソフィア様がいるのに浮気ですか……?』と聞こえてきそうだ。せめて『私以外の相手と浮気はダメですよ……?』ではないことを祈ろう。
ひとまず、トリスタン先生に会っていたと答えれば誤解は解ける。だが、トリスタン先生と接触したことは、あまり人に知られたくない。
どう答えるべきか……
「ごめんなさい、立ち入った質問でしたね」
アリシアが闇のオーラを消して悪戯っぽく笑った。どうやら、こちらになにか込み入った事情があると気付いたようだ。
こんな風に引き際をわきまえているところはさすがで、だからこそ憎めないんだよな。
「いえ、お気になさらず。ところで、パメラお嬢様は私になにかご用ですか? さきほどから、なにか言いたげなご様子ですが」
アリシアとの話題を打ち切って、俺のことをじっと見ているパメラへと視線を向ける。
「あ、いえ、シリルさんにお礼を言おうと思いまして」
「お礼、ですか?」
「はい、シリルさんがうちのメイドに紅茶の淹れ方を教えてくださったでしょう? おかげで、うちでも美味しい紅茶が飲めるようになって両親も喜んでいました」
うちでも美味しい紅茶が飲める。言葉通りの意味ではなく、フォード伯爵がパメラのソフィア派入りを歓迎していると言うことだろう。
「必ずお嬢様にお伝えいたします」
「いえ、ソフィア様にはもうお礼を申し上げました。でも、ジャガイモの件など、シリルさんの口添えがあったのでしょう? だからシリルさんにも、お礼の言葉を伝えたくて」
「もったいないお言葉です」
そういうことならばと感謝の言葉を受け取る。
その後、アリシアからも同様に感謝の言葉をもらった。
二人とも――というか、その両親が随分と感謝してくれているようだ。おそらくは公爵家の令嬢であるソフィアお嬢様と繋がりが出来たことを喜んでいるのだろう。
それよりも――と俺は二人を見比べる。
アリシアの好意は……なんというか、表情からして分かりやすい。だが、パメラは普通に俺に感謝しているだけのように思える。
俺が第二王子ポジに続いて、第一王子ポジという可能性はやはりなさそうだ。
――という訳で、二人と軽く世間話をしてから帰宅。
屋敷に戻ると、ルーシェが俺を出迎えた。このパターンは、ソフィアお嬢様が俺の部屋の中で仁王立ち――と思ったのだが、どうやら今日は違うらしい。
「ロイとエマの給仕の練習相手をしている、ですか?」
「はい。実際に経験した方がためになると、お嬢様が言ってくださったので」
ソフィアお嬢様が保護をしたスラムの子供達。名目上はソフィアお嬢様が二人の保護者なので、練習相手になってあげている、といったところだろう。
普通のお嬢様ならそんなことはしないのだが、お嬢様は思ったよりも面倒見が良いな。
ちなみに、これはトリスタン先生から聞いた話だが、ロイとエマは前夜祭に登場――正確には、前夜祭に入っている無印のサイドストーリーに登場する。
ロイとエマが馬車の前に飛び出してくるのはやはりイベントだったらしい。だが、原作のソフィアお嬢様はメイドに虐められたせいで平民を嫌っていた。
ゆえに、スラムの子供である二人を追い払ってしまうのだ。
そうして追い払われたロイとエマは闇ギルドに連れ戻される。エマは闇ギルドで客を取らされることとなり、ロイは親元に帰されるが、後から望んで闇ギルドの一員となる。
それから時は流れ、エマがとある情報を仕入れる。それこそが、ソフィアお嬢様がごろつきを雇い、アリシアを襲わせようとしているという計画の情報だった。
無印の原作では俺がノーネームと交渉をしてごろつきを雇うものの、ノーネームの裏切りにあって悪事が露見するという設定だったのだが……
前夜祭のサイドストーリーによると、その証拠固めにロイとエマが関わっていた。つまり、ソフィアお嬢様は自力で、破滅フラグの一つをへし折っていたという訳だ。
原作では復讐の対象となったお嬢様がロイとエマに慕われ、お嬢様もまた二人を可愛がっている。お嬢様の成長の証であると同時に、悪役令嬢とは違う道を歩んでいる証拠。
とてもとても感慨深い――と、胸がじぃんとなるのを感じながら、給仕の練習をしている現場である食堂へと顔を出した。
給仕の練習と言っていたが、実際に夕食を取っているようだ。
ソフィアお嬢様の前には温かい料理が並んでいる。そんな中に一品だけ、他の料理と主旨の違う料理が添えられていた。
ジャガイモとお肉などを混ぜ合わせた料理。それをソフィアお嬢様が瀬戸物の器を手に取ると、明らかにエマが緊張するような素振りを見せる。
あの一品だけ、エマが作った料理なのだろう。
ソフィアお嬢様がエマの作った料理に箸を伸ばした。
ちなみに、箸はもともとエフェニア国には存在しなかった。隣国――つまりはフレイムフィールド皇国から入ってきた文化である。
この辺りは、前世の俺が暮らしていた国の文化を両国に振り分けた感じのようだ。
それはともかく、お箸を使ってジャガイモとお肉を口に運んだお嬢様は上品に咀嚼すると、目を細めて小さな微笑みを浮かべた。
見ているだけで安心するようなその笑顔は、エマの努力をしっかりと写していた。
「お肉の味がジャガイモにしっかりと染んでいて、それでいてジャガイモの形が崩れることもない。絶妙な加減で、とても美味しいです。エマ、よく頑張りましたね」
「……ありがとうございます」
給仕中のメイドらしく、喜びは最小限。だけど、小さな手がスカートの裾をぎゅっと握り締めていた。社会勉強として食堂で働くようになって一段と頑張っていたんだろう。
そして、褒められたエマを見て、ロイがどことなく悔しそうな、もしくは羨ましそうな顔をしている。この兄妹は仲が良く、それでいてライバルのような関係になっているようだ。
「――あら」
と、ソフィアお嬢様がお箸を器の上に置こうとして失敗した。箸はころころとテーブルの上を転がり、そのまま絨毯の上へと転がり落ちる。
ソフィアお嬢様は慌てて、そのお箸を拾い上げようと椅子を引く。
「お嬢様、私が拾います」
ロイがやんわりとソフィアお嬢様を止めて、お箸を拾い上げて片付けると、すぐに変わりのお箸をソフィアお嬢様の前に添えた。
それを見たソフィアお嬢様は再び微笑みを浮かべる。
「ロイも、しっかりと対応が出来ましたね。二人ともまだ一年経っていないのにしっかりと精進しているようで、わたくしはとても鼻が高いです」
さきほどの無作法――落としたお箸を自分で拾おうとしたのはわざと。お箸を落としてみせるところからお嬢様の演技だったのだろう。
おそらくは、エマだけではなくロイも褒めてあげる機会を作った。お箸を落とすのははしたないけれど、ロイのためにそれをなしてしまうところがとてもお姉ちゃんをしている。
「みんな成長しているんだな……」
「シリルくんのおかげですよ」
俺の呟きに、無言で付き従っていたルーシェが応える。
「ロイやエマだけじゃありません。ソフィアお嬢様も貴方の恩に報いようと、日々とても頑張っていらっしゃいます」
「努力はその通りですが、報いてもらうようなことはしていませんよ」
お嬢様はその身分に相応しい振る舞いが求められるし、ロイやエマもまた自分の居場所を護るには努力が必要だ。その実力を示せなければ、たちまちいまの環境を失うことになる。
だが、そう口にした俺に対して、ルーシェがこれ見よがしに溜め息をつく。
「シリルくんは分かっていませんね。ロイやエマは、貴方の後押しがなければ救われなかったことをちゃんと分かっています。それはソフィアお嬢様だって同じですよ」
ソフィアお嬢様が一部のメイドから嫌がらせを受けた過去のことを言っているのだろう。あの一件には、ルーシェも関わっていたからな。
だけど……
「一度助けたからと言って、ずっとその恩に報いるために頑張っているなどと、私が思うのは傲慢ではないでしょうか?」
「いいえ、そんなことはありませよ。だって、私も貴方の恩に報いたいと願う一人ですから」
驚いてルーシェの顔を見る。その顔はいつものように悪戯っぽい笑みを湛えている。だが、その瞳は真剣で笑っていなかった。
「……ルーシェ?」
「あの日、シリルくんが声を掛けてくれたから、私はここに残ることが出来ました。そのおかげで実家の商売も立て直すことが出来ましたし、本当に感謝しているんですよ?」
「あれはソフィアお嬢様の要望を叶えただけですよ」
あの日もそう言ったはずですと続けるが、ルーシェは静かに首を横に振った。
「シリルくんがそういう人なのは知っています。ですが、貴女はそうやって色々な人に影響を及ぼしている。それをちゃんと自覚しないと、大変なことになりますよ?」
第二王子ポジになったり、ヒロインポジになったり、もう大変なことになっています――とは口が裂けても言えない。心に留めておきますと応えて苦笑いを浮かべた。
「あ、シリル先生!」
「え、師匠? ほんとだ。師匠、俺の給仕姿、見ててくれたのか?」
「私も、お料理頑張ったんですよっ!」
俺に気付いた二人が、ソフィアお嬢様の給仕そっちのけて飛んできてしまう。さっきまでの給仕はとても良かったけど、それじゃ全然ダメダメだと溜め息をつく。
だが、そんな二人に続いて歩み寄って来たソフィアお嬢様が、彼らの後ろで褒めてあげてくださいと声には出さずに唇を動かした。
……仕方ないな。
「二人とも、最後に気を抜いたのは減点だ。だが……」
苦笑いを浮かべて、俺はロイの頭に手のひらを乗せた。
「少し見ないうちに動きが見違えたな。それに、ソフィアお嬢様が自分でお箸を拾おうとしたときの判断も冷静だった。食堂で働いた成果か? よく頑張ったな」
その頭をわしゃわしゃと撫でつける。それから、今度は私の番ですよねと言いたげに期待に満ちた顔をしているエマに向き直った。
「エマも、以前にもまして動きが洗練されてきたな。それに、料理は――」
見た目はとても美味しそうだ。ソフィアお嬢様の反応を見れば、実際に美味しく出来上がっているのは疑いようもない事実だが、味見くらいはするべきだろう。
そんな俺の考えを読んだかのように「あ~ん」とジャガイモとお肉を摘まんだ箸がお皿と共に差し出された。犯人は……ソフィアお嬢様である。
なにをしているんですか? とか、それ、お嬢様の食べ掛けですよね? とか、もしかしてそのために二人を褒めるように促しましたか? とか。
いくつかのツッコミが脳裏をよぎったが、俺は考えを放棄して、ソフィアお嬢様の手首をつかんで、ジャガイモやお肉を摘まんだ箸に食いついた。
じゅわっと、ジャガイモに染んだ肉汁の味が口の中に広がる。この世界、貴族社会で食べる料理の味とは少し違う、前世を思い出すようなどこか懐かしい味わい。
エマは将来、良いお嫁さんになりそうだ――なんて破滅フラグは立てないが。
「良く出来ていますね。とても美味しいですよ」
ロイと同じように褒め、その頭を優しく撫でつけた。さり気なく二人に交じってあーんを実行したソフィアお嬢様だが、それ以上の介入をするつもりはないらしい。
嬉しそうなロイとエマを見て、微笑ましそうな顔をしている。
ときどき嫉妬をすることはあるが、見境もちゃんとある。前夜祭のストーリーに引きずられ、ソフィアお嬢様が再び悪役令嬢化することはなさそうだ。
そう安堵する俺に向かって、ソフィアお嬢様が思い出したように口を開く。
「そう言えば、留学の予定を切り上げたアーネスト兄様が帰ってくるそうです」――と。
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