閑話 シリルのわりと良くある日常
貴族社会において、役割は男女で大きく分かれている。
男性は政治に励み、女性は社交界で人脈作りに励む。それらを合わせて領地を護っていくというのが貴族達の一般的な考えである。これは世襲制による事情が絡んでくるのだが……詳細は割愛しよう。重要なのは、何事にも例外はあるという事実である。
そして、ソフィアお嬢様がその例外になる可能性が高い。
いままでは社交界に必要な知識を中心に学ばせていたが、これからは政治的な観点でも学ばせる必要がある――とグレイブ様のお達しがあったのだ。
これは俺の憶測だが、ソフィアお嬢様を侯爵家の跡継ぎ候補に入れたのだろう。
ゆえに、俺はソフィアお嬢様に社会勉強と称して町を見てもらうことにした。いつか部下を動かす身となるのなら、現場がどのように動いているか知ることも重要だからだ。
今回の社会勉強でお嬢様に求めたのは、クレープを取り扱うカフェを作ることで周囲にどのような影響が出るかを予測し、悪影響を最小限に抑えること。
ゆえに、周囲の地価が上がることから、もっとも狙われやすそうな食堂を見つけ出し、ロイとエマを送り込んだ時点で合格だと考えていた。
だが、ソフィアお嬢様の行動はそれだけに留まらなかった。同時に卸売りのお店に介入して、新商品となるような食材を周辺の飲食店に広めたのだ。
富裕層向けのカフェと大衆向けの食堂では客層が被らない。
ゆえに、過剰な気遣いだと判断することも出来たのだが……お嬢様が広めたのは、ローゼンベルク侯爵領で栽培を始めているジャガイモだった。
食堂の売り上げに貢献しつつ、ローゼンベルク侯爵領の新食材を売り出す。
そのうえで、ジャガイモという新しい食材をどのように調理するかを自らたしかめ、今後新しい食材を町に卸す上での信頼のおける人材を確保した。
ソフィアお嬢様は自分がまだまだだなんて言っていたが、十二分によくやっている。お嬢様がまだ中等部の一年であることを忘れそうになるほどだ。
その結果に満足しつつ、俺は今回の一件の後始末に取りかかる。
そうしてやってきたのは、スラム街にある闇ギルドである。
俺を出迎えたのはノーネームの一人だけ。
どうやら、俺の前で影武者を使うのは止めたようだ。
「シリル、今度はなんの用だ? ここはおまえのように良いところの坊ちゃんが頻繁に出入りするような場所じゃないんだがな?」
「おや、部下の統制に自信がないのですか?」
「相変わらず口の減らないガキだな」
むろん、俺がここに出入りしていることが広まった場合の対策は済んでいる。だが、そもそも、俺がここに出入りしていることは闇ギルドの連中しか知らない。
ましてや、俺の正体を知る者はごく一部だけだ。ゆえにノーネームが部下をしっかり押さえていれば、俺がここに出入りしていることが広まる心配はない。
俺はノーネームの手腕を信頼していると言ったつもりだったのだが、どうやら皮肉に取られたようだ。……まあ、皮肉めいた返しであることは否定しないが。
「私がここに来た用事ですが……この写しをご覧ください」
「これは……汚職兵士の調書と……黒幕の名前、だと?」
ノーネームが調書の写しに視線を走らせて眉をひそめた。
普通ならトカゲの尻尾切りで終わり、黒幕の名前なんて出てこない。にもかかわらず、汚職兵士が裏で取り引きしていた貴族の名前が書かれているからだろう。
ちなみにその貴族とは、商家として財をなした成り上がり子爵。だが実際に介入したのはその子息で、お嬢様と同じ学園に所属する選民派の生徒だ。
ソフィアお嬢様への嫌がらせを、イザベラに依頼した生徒の正体でもある。ローゼンベルク侯爵家の諜報員となったイザベラがさっそく調べあげてくれたのだ。だから俺は、その生徒が再びソフィアお嬢様にちょっかいを掛けてくることを予測して監視していた。
ゆえに、今回の一件でシッポを掴んだという訳だ。
「それで……俺にどうしろって言うんだ?」
「連中が再び食堂に手を出さないか、ギルドの手の者を使って密かに見張らせてください」
「それはもちろん構わないが、黒幕は放置するつもりなのか?」
「……面白い冗談ですね」
貴族の名前を騙ることは重罪だ。ましてや、ソフィアお嬢様の名を汚そうとした者に情状酌量の余地はない。証拠が不十分だからとのさばらせるつもりはない。
だが、今回はアーレ伯爵のときとは違い、ちょっかいを掛けてきたのはあくまで子供なので、その処分は親に任せるつもりである。
証拠が揃えば、一族が巻き込まれてもおかしくない重罪を子供が犯した。それをおおやけにはせず、処分を任せると言うことは相手への貸しになる。
それを理解してきっちり対処するような相手なら良し。誤魔化したりして敵意を剥き出しにするようなら、アーレ伯爵と同じ運命をたどってもらう。
だが、噂を集めた限りではそれなりに人格者のようなので、おそらく前者になるだろう。
「親に高い貸しを作り、当人には二度とソフィアお嬢様にちょっかいを出せないようにさせる。それくらいが妥当でしょうね」
「……まったく、末恐ろしいガキだな」
「私はただ、ソフィアお嬢様の敵を無駄に増やしたくないだけですよ」
敵を全て排除すれば平和になるかと言えばそんなことはない。敵を排除すれば、あらたな敵を生み出すことに繋がる。お嬢様の敵だとしても、味方にとっての敵だとは限らないからだ。
それに、排除しないからと言って仲良くする必要はない。
もとより力ある大貴族で、いまは娘が王族とも仲良くしている。そんなローゼンベルク侯爵家と仲良くしたがる貴族はいくらでもいるのだから。
それはともかく――
「子爵の件はそれで終わりです。報酬はいつも通りに支払うのでよろしくお願いします」
本音を言ってしまえば、子爵の件はあくまでついでだ。相手の弱みを握っている以上、どう転んだとしてもこの上なにかしてくる可能性は低い。
それでも俺が闇ギルドに来たのは別に目的があったからだ。
「本題ですが――ロイとエマの両親に会わせて頂けますか?」
「……あいつらが両親に会いたいと願ったのか?」
「まさか。あの二人はまだ両親のことを恨んでいますよ」
エマは自分だけが両親によって闇ギルドに売られたことを根に持っている。
ローゼンベルク侯爵家で様々なことを学ぶようになり、両親にも事情があったことは理解しているかもしれないが、売られた事実を飲み込めるほどの時間は経っていない。
ロイは自分が売られた訳ではないが、大切な妹が売られたことを根に持っている。
こちらも、エマと同じだ。
両親の苦悩を知ったとしても、色々と飲み込むにはまだ時間が掛かるだろう。
だが、今回の一件で傷付いているのはロイとエマだけではない。
だから――と、俺はあらためて二人の両親と面会を求めた。
しばらく別室で待っていると、ロイとエマの両親が部屋にやってきた。
二人は闇ギルドで保護され、仕事を与えられているという。以前よりはずっと良い暮らしをしているはずだが、その表情は随分と疲弊しているように見えた。
だからこそ、俺はそんな二人にわずかばかりの好意を抱く。二人の現状が、我が身可愛さだけでエマを売った訳ではないという状況証拠になるからだ。
「ギルマスから、大切なお客様が来ていると聞いてきたんだが……おまえがそうなのか?」
夫妻が困惑した表情を投げかけてくる。大切な客に対してその口の利き方は――なんて言うなかれ。闇ギルドではこれが普通なのだ。
それに上質な服を着てるとはいえ、俺は幼い子供でしかないからな。
見下されるようなことになれば、互いのために正す必要があるが、そうでなければ目くじらを立てる必要はない。俺は「そうです」と答えて二人が席に着くように勧めた。
「さて、まずは自己紹介をしましょう。私はとある貴族に仕える執事でございます」
「お、お貴族様の執事……? それが、俺達になんの用なんだ?」
どうやら、二人は自分達の子供が貴族に保護されたことすら知らないらしい。無闇に情報を漏らすようなことはないと思っていたが、ノーネームは思っていた以上に優秀だな。
「単刀直入に言いましょう。ロイとエマはいま、我が主の庇護下にあります」
「――っ。ロイとエマは無事なのか!?」
父親がバンと机に手をついて立ち上がる。それに続いて、母親も縋るような目を向けてきた。だから俺は落ち着いてくださいと身振りで制する。
「二人は無事ですよ。私の主の庇護下で、責任を持って面倒を見ています。ですが、いまお二人を貴方達に会わせることは出来ません」
「なぜだ!?」
「……なぜ? 自分達が二人になにをしたか、忘れたとでも言うつもりか?」
素の自分を曝け出し、静かに睨みつけると二人は息を呑んだ。
その顔に浮かんでいるのは悔恨の情か、罪の意識か……どちらにせよ、喜んで売り払った訳でないことは間違いないだろう。
だが、だからこそ、二人には事実を理解してもらう必要がある。
「私は、貴方達の苦悩を理解しているつもりです」
「だ、だったら――」
「それでも、貴方達がエマを売り払った事実は変わりません」
「それ、は……」
言いたいことはいくらでもあるだろう。
エマを売り払わなければ、ロイを含めた家族は行き倒れていた。男で子供のロイには仕事を与えられない可能性は高いが、子供でも女のエマには仕事を与えられる可能性があった。
だが、それらの可能性を彼らは口にしなかった。
だから――と、俺は続ける。
「もう一度言いましょう。私は貴方達の苦悩を理解しているつもりです。ですが、いまのロイやエマにそれを受け入れることは不可能です」
俺は一度そこで言葉を切り、二人の反応をうかがうように視線を向けた。
次の瞬間、立ち上がった父親がテーブルを回り込んできた。それに対応しようとした俺は、けれどガラにもなく取り乱す。
彼が、人目も憚らず涙を流していたからだ。
「……分かっている。俺達があいつらを傷付けた。それは、ロイがエマを連れて逃げたときから痛いほど分かってる。だが、それでも、俺達にとってあいつらは大切な子供なんだ!」
「むろん、それは存じています。だから――」
みなまで言うことは出来なかった。
同じく涙を流す母親が、反対側から詰め寄ってきたからだ。
「夫の言うとおりです。私達は酷いことをしました。嫌われたって、罵られたって仕方ありません。だけど、それでも、どうかひと目、一目で良いのであの子達に会わせてください!」
俺の話も聞かず、二人が揃って床に這いつくばった。
良い歳の大人が人目も憚らずに涙を流して土下座する。その姿をみっともないとは思わない。むしろ、そこまで子供を愛する二人を尊いとすら思う。
だから――
「二人の言い分は分かりました。ですから顔を上げてください」
俺はそう口するが、二人は顔を上げようとしない。俺から会わせるという言葉をもぎ取るまで諦めないつもりなんだろう。
だから俺は迂闊な自分を責め、小さく溜め息をつく。これは、彼らに迂遠な言い回しが通用しないと気付かなかった俺のミスだ。
「いまはまだ、彼らを貴方達に会わせる訳にはいきませんが、時間が経てば二人も色々と飲み込むことが出来るでしょう」
その言葉に二人はばっと顔を上げた。
「いまでなければ、二人に会わせてくれるのですか!?」
「ええ、そのつもりです」
二人がいつごろ現実を受け入れられるようになるかは分からない。だが、両親が二人を嫌っていた訳ではないと教えることは、二人の情操教育に必要だと考えている。
そして、もう一つ。
「それに、いま、二人を貴方達と会わせる訳にはいきませんが――」
俺の提案を聞いた二人は目を見開き、ポロポロと涙を流した。
それから一週間ほどたったある日、俺は執務室で報告書を読んでいた。するとお茶を運んできたルーシェが怪訝な顔をする。
「シリルくん、さっきからなにをニヤニヤしているんですか?」
「ニヤニヤって……いつもニヤニヤしてるあなたに言われたくないのですが?」
ルーシェの軽口に皮肉を返す。だが彼女は気にした素振りもなく、なにを見ているのですかと問い掛けてきた。相変わらずの自由奔放ぶりである。
だが、この報告書はルーシェも無関係ではないので差し出す。
「私が見ても良いのですか? ええっと……あぁ、ロイとエマが社会勉強をしている食堂周辺の調査報告書ですね。特に問題ないと書いてあるようですが……これがなにか?」
「それを書いたのは闇ギルドで働くとある夫婦なんだ」
「……夫婦? ……え、それって、もしかして――」
なにかに感づいたルーシェに向かって、人差し指を自分の唇に押し当てる。
お嬢様がたまたまロイとエマを送り込んだ食堂に、たまたまちょっかいを掛けてきた貴族がいた。その監視として雇った闇ギルドのメンバーがたまたまロイとエマの関係者だった。
これは、ただそれだけの話である。
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