閑話 お嬢様のわりと良くある社会勉強 5

 レーナの両親が経営する食堂に乗り込んできたのは借金取り。理不尽な要求を突きつけられて、期日までに借金を返済できなければ店を売ってもらうと宣告された。


 理不尽な要求ではあるが、立場的に弱者である彼女達に反論の余地はない。

 このままでは店を取り上げられてしまうと絶望しそうになった彼女の前に現れたのは、厨房で働いていたはずのエフィーだった。


 彼女はレーナの肩をポンと叩いて「大丈夫ですわ」と微笑むと、そのままレジーナを庇うように借金取りとの間に割って入った。


「あぁ、なんだてめぇは」

「わたくしはこのお店の臨時従業員ですわ」

「はあ? 臨時の従業員なら引っ込んでな」

「そうはいきません。このお店がなくなったら、社会勉強が出来なくなってしまいますもの」

「てめぇ、さっきからなにを……」


 言っているのかと詰め寄ろうとした男の鼻先に、エフィーがぴっと指を突きつけた。


「貴方の目当ては借金の取り立てではなく、このお店……が建っている土地、ですわね?」


 エフィーの言葉に、レーナとレジーナは困惑する。だが、それが事実だと言わんばかりに取り立ての男は顔色を変えた。


「……なんのことだか分からないな。この店は……そう。店の主人が病気で起き上がれない状況で、借金の取り立てが出来なくなるまえに取り立てようってだけだ」

「嘘を吐くのなら、せめて右上に視線を向けるのは止めるべきですわね」


 話を作るとき――つまりは嘘を吐くとき、人は視線を右上に向ける。だが、借金取りの男達はその話を知らないようで、ただ困惑しているだけだ。

 それに対してエフィーは「なるほど。相手のレベルに合わせなければ意味がないというのはこういうことですか」と、小さな溜め息をついた。


「おい、もしかして俺を馬鹿にしてるのか?」

「この斜め向かいに、クレープを始めとしたスイーツを取り扱うカフェが建設中なのは当然ご存じですわよね?」

「それがなんだってんだ」

「あの店は王族が関わっています。必然的に、周囲の土地の値段は大きく上がることが予想されます。だから、借金のあるこの店に目を付けたのでしょう?」


 レーナ達は初めて聞く話で、それが事実かは知らない。

 だが、借金取り達の表情がそれは事実だと物語っている。彼らは顔に貼り付けていたヘラヘラした笑みを消し、警戒するような素振りを見せたのだ。


「……なるほど、そこまで知っているってことは、てめぇもこの店が狙いか」

「――えっ!?」


 声を上げたのはレーナだが、レジーナもびくりとその身を震わせる。だが、エフィー自身は動じず、けれどその表情を不快気に歪めた。


「貴方達と一緒にしないでいただきたいですわね」

「口ではなんとでも言えるわな。だが、どっちにしても諦めてもらうしかねぇな。こっちのバックに付いているのは貴族様だからよぉ」


 エフィーがピクリと眉を寄せる。それを動揺と見て取ったのか、借金取りの男は「そういうことだから、潰されたくなきゃ引き下がりな」と追撃を掛けた。


「貴族様、ですか……たしかに、わたくしが独断で敵に回す訳には参りませんね」


 エフィーが唇を噛む。むろん、その仕草が背後にいるレーナに見えた訳ではないが、彼女が気圧されるのは気配で分かった。

 束の間、レーナは状況の好転を期待していたが、やはり状況は変わっていない。このままでは結局、十日後には店を奪われてしまうだろう。

 そう思った瞬間――


「じゃあ、ここからはあたしが引き継ごうかなっ」


 元気な女の子の声が食堂のフロアに響いた。

 その声の主を求めて振り返ったレーナは目を瞬く。そこにたたずんでいたのは、素朴な見た目の少女。レーナにジャガイモを渡してくれた店番の女の子だった。


「どうして……貴方が?」


 戸惑うレーナの問いに彼女は答えず、エフィーと同じように借金取りの前に立った。さきほどと違うのは、エフィーが彼女の側面に控えてかしこまったことだ。


「あ、なんだてめぇは」

「あたしは通りすがりの卸問屋の店番だよっ」

「はぁ? さっきからなんなんだよ」

「まぁまぁ、そうかっかしないで。参考までに、貴方達に付いているお貴族様がどこの誰か、あたしに教えてもらえるかな?」


 場違いなほどに明るい口調の少女に、借金取りの男は毒気を抜かれたような顔をする。だがすぐにニヤリと嫌らしい笑みを浮かべると、良いだろうと口を開いた。


「聞いて驚け。俺達の後ろにいるのはローゼンベルク侯爵家の娘、ソフィアお嬢様だ」


 その瞬間、レーナはびくりと身を震わせた。だが、貴族の名前なんて知らないため、ローゼンベルク侯爵家の名前に驚いたのではない。

 一瞬、ほんの一瞬だけ、言いようのない悪寒を覚えたのだ。

 慌てて周囲を見回すも、特に異常は見つからない。


 関わりを恐れた一部の客は避難しているが、残りの客は我関せず、もしくは興味本位からか、こっそりこちらをうかがいつつも食事を続けている。


「へぇ~、ローゼンベルク侯爵家のソフィアお嬢様が、そんなことを言ったんだ?」

「ああ、そうだ。この店と土地を奪って来いってな」

「ふぅん、面白いことを言うね。貴族の名を騙るのはもちろん、勝手にその名を使うだけでも厳罰に処されるって、知ってて言ってるのかな?」

「……当然だろ、なにが言いたい?」


 何度も動揺を重ねてきた借金取りだが、このセリフには困惑した素振りを見せる。これまでのお粗末な演技力を考えれば、おそらく本気で困惑しているのだろう。


 つまり、彼らが口にしたのは真実。ローゼンベルク侯爵家のお嬢様が、レーナ達のお店を奪おうとしているという意味――


「――ふぅん。目的を果たしつつ、敵対する者の名を貶めようってことだね。万が一に企てが発覚しても、トカゲの尻尾切りで終わり、か。……気に入らないね」


 彼女の明るかったはずの声が冷たく響く。その言葉をレーナ達が理解するより早く、彼女はあらたな言葉を発した。


ロイ・・エマ・・、彼らを捕らえなさい」

「――はいっ」


 綺麗に重なった二つの返事と共に、動いたのはエフィーと、いつの間にか待機していたシエル。彼らが床を滑るように借金取りの男達に詰め寄る。

 その瞬間、なにが起きたのかレーナには分からなかった。けれど、借金取りの男が二人同時に倒れ、残った一人も一瞬遅れでくずおれた。


「てめぇ……なんの、つもりだ?」

「貴方達は詰め所に届けるよ。そもそも、借金の取り立てにはいくつもルールがあって、それを破るようなことは許されてない。貴方達なら知ってるよね?」

「そ、それは……」


 男の表情が苦悶に染まったのは、痛みからだけではないだろう。少なくとも、利子をちゃんと返している負債者に、いきなり借金の全額返済を迫るのは許されない行為だ。

 普通の平民ならともかく、借金取りが知らないはずがない。

 こうして、状況が一変した――


「騒ぎを聞きつけてきてみれば何事だ!」


 ――直後、巡邏の兵士が単独で店に駆け込んできた。彼は倒れている借金取りの男達に駆け寄り、なにがあったのかと問い掛ける。


「こいつらが、いきなり襲ってきやがったんだ」

「……ふむ。暴力事件の現行犯、という訳か」


 兵士の男が、エフィーとシエルに視線を向ける。

 このままでは二人が暴力事件の当事者として捕まってしまうとレーナが慌てる。だが、兵士が彼らに詰め寄るより早く、店番の少女が割って入った。


「なんだおまえは?」

「あたしは彼らの……保護者みたいなものだよ」


 エフィーやシエルよりは年上かもしれないが、同じ子供には変わりない。保護者と言われても……と言ったところだが、彼は雇い主のように受け取ったようだ。


「では、これをやらせたのはおまえという訳だな」

「その通りだよ。でもそれは、借金取りの男がローゼンベルク侯爵家の名を騙ったからだよ」

「貴族の名を騙った、だと?」


 事実なのかと言いたげに、兵士が苦悶している借金取り達に視線で問い掛ける。


「……違う。俺達は本当に、ローゼンベルク侯爵家のソフィアお嬢様の命令で動いている。その証拠が……これだ」


 男が懐から取り出したのは、薔薇の紋章が刻まれた指輪だった。


「ふむ……なるほど、たしかにローゼンベルク侯爵家の命を受けているようだな。となるとやはり、罪人はおまえ達ということになるが?」

「……なにを言ってるの? ローゼンベルク侯爵家の紋章とはまるっきり違うじゃない」

「一部の者しか知り得ない物だから、ただの平民のおまえが知り得ないのも無理はない。だがこれは、ローゼンベルク侯爵家のソフィアお嬢様が、誰かに指示を出すときに使う証だ」


 兵士までもが、ローゼンベルク侯爵家が背後にいるとお墨付きを出した。ここに来て、周囲で成り行きを見守っていた者達からもざわめきが上がる。

 そんな中、店番の少女の溜め息が妙に響いた。


「そっか、貴方もそっち側の人間なんだね。――シリル、構いませんか? わたくし、このままでは悪者にされてしまいそうですし」


 後半は、声の質どころか口調までもが変わった。それまでの元気の良い――悪くいえば脳天気な声とはまるで違う、凜とした声。

 そして――


「――お嬢様のお望みのままに」


 彼女の連れ、シリルと呼ばれた少年が恭しく頭を下げる。それを見て取った彼女は、自らの長い黒髪を掴み――ずるりと引き抜いた。

 それはウィッグだったようで、その下から白金の髪が広がる。


「白金の髪……? おまえは、いや、貴方は……まさかっ!」

「お初にお目に掛かります。わたくし、ローゼンベルク侯爵家の娘、ソフィアと申します」


 彼女の言葉に、食堂のフロアが静まり返った。

 やがて、兵士が真っ青になって跪き、続いて他の者達もが床に跪いていく。理解が追いつかないが、それでもレーナは他の者達を真似てその場に跪いた。


「な、なぜ、侯爵家の令嬢がこんなところにいらっしゃるのですか?」

「ちょっとした社会勉強ですわ。それよりも貴方、さきほど面白いことを仰いましたわね。その男の持っている指輪が、わたくしの物だとかどうとか」

「うっ、いや、それは……っ」


 貴族の名を勝手に使い、その名を貶めようとした。それをよりにもよって、その名を持つ令嬢に見咎められたのだ。苦しまずに死ぬことが許されれば御の字だろう。

 それを誰よりも感じているであろう兵士がガクガクと震え始める。そんな彼に、最近演劇にはまっている聖女様は満面の笑みで語りかけた。


「黒幕を話してくれれば、命だけは助けてあげましょう」――と。

 

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