学園の派閥騒動 前編 4
当主からロイとエマを使用人として育てる許可を得ることが出来た。
ちょうど戻ってこられたときに会うことが出来たのだが、「ソフィアの社会勉強か、なるほど。そういう名目では断ることが出来ないな」と笑われてしまった。
どうやら、こちらの思惑は全て見透かされているらしい。
まあ、それは予想の範疇だ。許可が下りたのだから問題はない。むしろ、思惑込みで許可が下りたと喜ぶべきだろう。
問題はスラム育ちの二人に、どこまで礼儀作法を身に付けさせることが出来るかだ。
少し考えた俺は、あのお調子者のメイドに任せることにした。彼女――ルーシェなら融通も利くし、常識の違う二人にも上手く教育してくれるだろう。
二人の件について方針が決まれば、次に取り組まなくてはいけないのは入学の準備だ。新入生代表の挨拶は、試験を主席で合格したお嬢様が務めることになっている。
挨拶文について確認を取ろうとしたのだが、シリルには内緒ですと断られてしまった。
少し驚いたが、お嬢様は自分で物事を判断できるようにならなければいけない。いまのお嬢様なら失敗するとは思えないし、今回の一件は良い経験になるだろう。
そう判断した俺は、お嬢様が一人で挨拶文を作ることに教育係として許可を出した。
それからあっという間に日々が過ぎ去り、入学式の当日がやって来た。
いつものようにお嬢様の部屋の前へと迎えに行く。けれど、世話係のメイドを通して、エントランスホールで待っていて欲しいと言われた。
俺はその言葉に従い、エントランスホールにてお嬢様がやってくるのを待っていた。ほどなく、背後から忍び寄る人の気配を感じて振り返る。
「――お嬢様?」
振り返った俺は不覚にも言葉を失った。フリルをあしらった上品なブラウスに、コルセット風のウエストからふわりと広がるロングスカート。
ゲームの舞台となる学園の制服を身に着けたお嬢様がそこにいたからだ。
ゲームのお嬢様より三歳年下で、制服も高等部と中等部で少しデザインが違う。
煌びやかなエフェクトが加えられたゲームのスチルよりも、いまのお嬢様の方がずっと美しい。悪役令嬢っぽさがなくなり、真っ赤な薔薇のような美しさを纏っている。
「とても綺麗ですよ、お嬢様」
「……本当ですか?」
「自分が社交界に舞い降りた聖女だと噂されていることをご存じありませんか? いまのお嬢様を見れば、誰もがその噂は真実だと思うでしょう」
「……他の方の言葉ではなく、シリルの言葉を聞かせてください」
第二王子すら虜にしたというのに、アメジストの瞳は不安げに揺れている。ゲームに出てくる三年後の姿よりも大人びている彼女だけど、こういうところは年相応だ。
だが、それにも原因はある。
お嬢様の周りにいるのは、彼女に愛情を注いでいる両親と使用人達。外で知り合う者達も、ローゼンベルクの威光に気を使う者達ばかり。
たとえお嬢様が醜くとも、美しいと口にするだろう。
そう言うことが分からない子供なら、お世辞であっても増長していただろう。だがお嬢様は自分の立場を理解している。だからこそ、賛美はお世辞かもしれないと思い悩む。
少し考えた俺は、使用人達の意識がこちらに向いていないことを確認。「御髪が乱れています」とお嬢様の髪に触れて顔を寄せ――
「俺の育てたお嬢様が可愛くないはずがないだろ?」
お嬢様の耳元で囁いた。
「シリ、ル……?」
お嬢様はパチクリと瞬いた。
そんなお嬢様に向かって、俺は自分の唇に人差し指を押し当てた。
「私がこんなことを言ったなんて内緒ですよ?」
「……はい、はい!」
蕩けるような笑顔を浮かべる、お嬢様はまた少し、その身に纏う艶を増していく。大切に育てた温室の薔薇のように、いつかは大輪の花を咲かせるのだろう。
「ねぇ、シリル。馬車までエスコートをお願いできますか?」
「仰せのままに、お嬢様」
差し出された手を取って、お嬢様を馬車に案内しようとする。寸前、俺の手を握り返したお嬢様に手を引かれた。
普通ならなんてことはないが、お嬢様は護身術の手ほどきを受けている。上手くバランスを崩された俺は、とっさに足を出して踏みとどまった。
前傾姿勢になった瞬間、お嬢様が俺の耳元に顔を寄せた。
「ねぇシリル。もっともっと、私のことを可愛く育ててね。私が、想い人に振り向いてもらえるくらいに。……約束よ?」
お嬢様はいたずらっ子のようにはにかんで、スカートの裾を翻して馬車へと駈けていった。
その後、ご機嫌なお嬢様と共に馬車で登校し、案内板に従って講堂へと移動する。
講堂には新入生の他に、初等部から上がってきた生徒。そして中等部の先輩方が一堂に会している。近くの生徒達が一斉にお嬢様に視線を向けた。
侯爵家のご令嬢で、誰よりも美しい外見を持つ。そんな彼女が他者を圧倒しての主席ともなれば、注目されないはずがない。
「注目されていますね」
「きっとシリルが隣にいるからですね」
「……なぜそうなるんですか」
「シリルって、自分のことになると意外と鈍感ですよね」
「それは私のセリフですよ、お嬢様」
どう考えても、注目の的なのはお嬢様である。
だが、注目を気にしても仕方がないという意味では間違っていない。俺は「新入生代表の挨拶の準備は出来ているのですか?」と問い掛けた。
「もちろんです。内容は聞いてからのお楽しみ、ですよ」
ソフィアお嬢様はイタズラっぽく笑うが、新入生代表の挨拶で面白くはならないだろう。そんなことを考えながら、お嬢様のお供として舞台袖へと移動する。
それから係の先生と軽い打ち合わせを済ませ、準備を終えたソフィアお嬢様が俺を見た。
「シリル、席に戻ってください」
「ですが……」
俺はお嬢様の専属執事――そう口にするより早く、お嬢様が首を横に振った。
「あなたもこの学園では学生です。それになにより、シリルには舞台袖ではなく、あの席からわたくしのことを見ていて欲しいんです」
「……かしこまりました」
恭しく頭を下げ、係の先生に後のことをお願いして踵を返した。
席に戻ると、到着が遅れたからか周囲の生徒から注目を集める。だが席に着くとそんな視線も外れ、講堂は再び喧噪に包まれていく。
お嬢様の登場を待っていると、周囲の喧噪に異質な声が混じっていることに気付く。意識を向けると、彼らの会話が耳に入ってきた。
どうやら、彼らは代表の挨拶をするのが第二王子でないことに不満を抱いているらしい。
ただ、第二王子は初等部からの繰り上がりだから新入生の挨拶をしないのは当然といった意見や、代表の挨拶をするのも貴族だから問題ないとの意見もある。
どうやら彼らは、平民に対してあまり良くない感情を抱いているらしい。
選民思想を持つ貴族だろう。
作中にそういう派閥があるというだけで、代表する存在が登場した訳ではない。ゆえに、それほど大きな勢力ではないはずだが、お嬢様にとっては注意するべき存在だ。
作中のお嬢様は平民のメイドに嫌がらせを受けて育ったこともあり、平民にあまり良い感情を抱いていなかった。そこを選民派の連中に利用される展開があるからだ。
とくに、ラクール商会の息子、リベルトがヒロインに接近したときは要注意だ。
選民派は平民が大きな力を持つことを良しとしない。それゆえリベルトに嫌がらせをおこなうのだが、お嬢様が罪を着せられてしまうエピソードが存在する。
闇ギルドはこちらが横暴貴族に成り下がらなければ敵対することはないが、選民派は平民を陥れるためにソフィアお嬢様を利用する可能性がある。
ある意味で、彼らは闇ギルドよりもたちが悪い。
もっとも、ヒロインが入学してくるのは三年後なので、当面は大丈夫のはずだが……って、何度もそんなことを繰り返していると、逆に招きそうな気がしないでもないな。
だが、裏は取ってある。
とあるパーティーで、リンドベル子爵――つまりはアリシアの父親が、娘を学園に通わせるのは高等部からと口にしていた――という証言を入手している。
なお、第一王子の誕生パーティー後の話だ。
アリシアが高等部から通うのは、親に説得されたからというゲームの設定とも符合するので、その辺りはゲームの設定通りに進行するだろう。
ただ、気がかりもある。
俺の行動によって、お嬢様を始めとした周囲の行動がゲームと変わってきている。いずれは、俺の知るゲームとはまったく違う展開も訪れるかもしれない。
そういった意味で、選民派は要警戒だ。
ゲームの選民派は、もっと鳴りをひそめていた。少なくとも、公共の場で選民思想な会話が聞こえてくるほど目立つ存在ではなかったはずだ。
これがゲームの設定通りに三年で変わるのか、それとも既に未来が変わり始めているのかは定かじゃないが、どちらにしても彼らに目を付けられないことが肝要だ。
新入生代表の挨拶で下手なことを言わなければ大丈夫なはずだが……しまったな。こういったことを予想して、挨拶の内容を確認しておくべきだった。
……いや、お嬢様なら大丈夫だ。
それに、お嬢様が俺に相談せずにスピーチをすると決断したのだ。俺の仕事はそれを止めることでもなければ後悔することでもない。
後に起こりうる問題を想定して対策を立てることだ。
そのためにもまず、お嬢様の挨拶を聴くとしよう。
そんな風に決断して、お嬢様の登場を待つ。
ほどなく、声を遠くに伝える魔導具により新入生代表の挨拶が告げられる。それに伴い、制服を纏ったソフィアお嬢様が姿を見せた。
お嬢様が一歩進むたびに、ブロンドの髪が魔導具の光を反射して煌めいている。彼女の洗練された佇まいも合わさり、幻想的な雰囲気すら纏っている。
光の精霊に愛されたお嬢様は、穏やかな物腰で壇上へと上がった。
魔導具の拡声器を前に、お嬢様はゆっくりと客席を見回した。
俺と視線が交差したように感じたのはおそらく気のせいではないだろう。お嬢様が小さな微笑みを浮かべると、その美しさに周囲から大きな溜め息が漏れた。
「みなさん、初めまして。わたくしはソフィア・ローゼンベルクと申します」
透明感のある、それでいて聞く者を安心させるような声が講堂を包み込んだ。幼少期からボイストレーニングを受けたお嬢様は、声の魅力においても群を抜いている。
誰もが彼女の声をもっと聴きたいと耳を澄ませる。
そして――
「わたくしは本来、ここに立つべき人間ではありません」
笑顔と共に、穏やかな口調で言い放った。
表情や口調もあいまって、彼女がなにを言ったのか最初は誰も理解できなかった。だが、その言葉を皆が理解すると共に、講堂にざわめきが広がっていく。
「子供のころのわたくしは孤独で、両親に愛されていないのだと思い込んでいました。自分の意見を口にすることが出来なくて、メイドに嫌がらせをされたこともあります。引っ込み思案で情けない子供。それが本来のわたくしでした」
オジョウサマハ、ナニヲイッテルンデスカネ。
色々と予想外すぎて、口から魂が漏れ出しそうになる。そんな俺を置き去りにして、お嬢様は「そんなわたくしに手を差し伸べてくれた人がいます」と口にする。
お嬢様の瞳が再び俺を捉えた。
「その人のおかげで、わたくしは両親に愛されていることを知りました。その人が様々なことを教えてくれたから、わたくしはいまこの場に立っています。ですから、わたくしはその方の代わりを果たせるように、新入生代表の挨拶を務めさせていただきます」
……いまのは前置きで、挨拶はこれからだったようだ。
「穏やかな風が舞うこの季節、わたくし達はこの学園に迎えていただきました」
その言葉のごとく、穏やかな風のように透き通った声が講堂を満たしていく。本題となる挨拶はお嬢様らしく、それでいて新入生代表に相応しい挨拶だった。
最初はどうなることかと思ったが、ひとまず安心である。周囲に広がっていたざわめきも、お嬢様の挨拶が始まると同時に収まっていった。
だが、前置きであんなことを言った新入生代表は初めてだろう。色々な意味で鮮烈な印象を残すことになったが……それよりも発言の内容が問題だ。
ソフィアお嬢様を知る者であれば、“その人”が平民の執事であると気付くだろう。だが、なにも知らない者であれば、メイドに嫌がらせを受けたと口にした彼女を誤解する。
お嬢様が平民に敵意を抱いていると誤解しても不思議ではない。
選民派の連中が、お嬢様が同志だと接触してくる可能性がある。否定すれば彼らに敵として認定される可能性が高く、肯定すればゲームのように濡れ衣を着せられる可能性が高い。
面倒なことになったと言いたいところだが、万難を排してお嬢様を幸せにするのが俺の仕事だ。この程度の問題でお嬢様の学園生活に影を落とさせるつもりはない。
必ず、お嬢様をハッピーエンドへと導いてみせる。
……それより問題なのは、お嬢様が本来あの場に立つに相応しいのは俺だとほのめかしたことだ。受験会場で挑発されたとき同様、俺を日陰においておくつもりはないらしい。
自ら肯定するつもりはないが、お嬢様の目が曇っていると思わせる訳にもいかない。彼女の言葉が正しいのだと行動をもって示す必要がありそうだ。
……本当は、お嬢様の影としてサポートに徹する予定だったんだがな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます