学園の派閥騒動 前編 5
学園には三つのコースが存在する。
まずは、帝王学を中心とした貴族階級が学ぶコース。これにはむろん、礼儀作法やダンス、芸術全般など、社交界で必要となる知識も含まれている。
続いて、平民が学ぶコース。こちらは経済学などが中心で、礼儀作法などは貴族と関わる際に必要となる最小限に留められている。
最後に、貴族に仕える者達が学ぶコース。使用人は仕える相手によって求められるスキルが変わってくるため、学園では幅広い知識を学ぶことになる。
余談だが、この国の識字率や教育水準は決して高くない。王都の学園に通う平民は、この国で暮らす平民におけるエリートに位置づけられている。
いま挙げた三つのコースは、それぞれが成績順にクラス分けされている。ソフィアお嬢様は貴族コースのAクラスで、俺は使用人コースのAクラスという訳だ。
ゆえに、お嬢様と俺は同じ学園にいても接触する機会が少ない。
登下校の送り迎えや、昼休みなどはお嬢様のお世話をすることが出来るが、休み時間や授業中のお世話はメイドに任せることになっている。
ただ、いままでだって四六時中側にいたわけではないので、極端にお世話する時間が減るようなことにはならない。感覚的にはいままでと変わらないはずだ。
それよりも、お嬢様の処刑エンドを回避し、ハッピーエンドに導くことが重要だ。でもって、そのために気を付けなくてはいけない当面のポイントがいくつか存在する。
まずは選民派と関わらないこと。選民派と関わることで、お嬢様が闇堕ちしていなくても、罪を擦り付けられて罰せられる可能性が否定できない。
続いて第二王子と良好な関係を結ぶこと。作中のお嬢様が処刑されたのは王族を敵に回したから。第二王子と仲良くしておくことが処刑回避の鍵となりえる。
それに庶民派を敵に回さないことも重要だ。これは一つ目の理由にも関係するが、庶民派を敵に回せば選民派に利用される可能性が発生してしまう。
ただし、庶民派と仲良くしすぎれば選民派を敵に回すことにもなりかねない。ゆえに、その辺は情勢を見てバランスを取る必要があるだろう。
お嬢様を闇堕ちさせないことも忘れてはならない。アリシアがおらずとも、お嬢様が嫉妬する相手が登場しないとも限らない。お嬢様を悲しませないように注視する必要がある。
幸いにして、お嬢様と第二王子は同じAクラス。王子がソフィアお嬢様に好意を抱いているのは明らかなので、自然に友好を深めることになるだろう。
それら問題に継続して対処しつつ、俺にはやらねばならないことがある。
そもそも、ゲームの俺達が破滅したのは、悪事を働く過程で仲間に裏切られたから。いまの俺やお嬢様が悪事を働くことはないが、信頼できる味方を作ることが重要だ。
そのためにも、俺はまず自分のクラスでの立場を確立させる必要がある。クラスで孤立なんてことになったら、不要な敵を作ってしまうかも知れないからな。
そんな訳で、学園生活が始まった初日。
お嬢様をクラスに送り届けた俺は、使用人のAクラスを訪れた。既に多くの生徒達が集まっていて、いくつかのグループが出来上がっている。
どこかの会話に参加しようと周囲を見回すと、ちょうどこちらに視線を向けているクラスメイトと目が合った。
見た目は素朴そうな茶髪の少年だが、その青い瞳の奥に油断ならないなにかを感じる。ゲームでは執事コースに重要人物はいなかったはずだが――と、その少年の顔がぶれた。
その意味を理解するより早く、彼は後頭部を抱えて涙目になる。
「いってぇ。クロエ、なにしやがるっ!」
「馬鹿ルーク、あんたが嫉妬で初対面の相手を睨みつけているからでしょうが。ごめんね。えっと……シリルくん、だったわよね。こいつ、あなたの成績に嫉妬してるのよ」
勝ち気そうな栗毛の少女が言い放った。
――ようするに、ルークという少年が嫉妬で俺を睨み、クロエと呼ばれた少女がそれに気付き、咎める意味を込めてルークの後頭部を叩いたと言いたいらしい。
妙に説明口調だったり、色々と気になるが……ひとまずは話を聞いてみよう。
「ずいぶんと仲が良いようですが、二人は以前からの知り合いなのですか?」
「馬鹿ルークとは幼馴染みよ。残念ながら、ね」
「なるほど、腐れ縁ですか」
クロエと呼ばれた少女に敵意はなさそうだ。
問題はルークと呼ばれていた少年の方だが――と視線を向けると「俺はルークだ。よろしく頼むぜ」と気さくな挨拶が返ってきた。
それを皮切りに、互いのことを話す。
彼らはとある貴族令嬢に仕えるために、この学園に入学したらしい。
詳細はぼかしてはいたが、どうやら親を失って保護された平民。大雑把に言うと、エマやロイの未来の姿に少しだけ似ている。
とまぁ、そんな話をした訳だが、ついに敵意は感じなかった。いくつか疑問点は残っているが、基本的には悪い人間ではなさそうだ。
「まぁとにかく、これから一年同じクラスで学ぶんだ、よろしく頼むぜ」
「そうね。よろしくね、シリル」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします」
二人の好意に笑顔で応じる。入学式で選民派の影がちらついたときはどうなることかと思ったが、どうやら学園での生活は順調な滑り出しとなりそうだ。
「みなさん、席についてください」
不意に入り口の方からそんな声が上がる。視線を向けると、開け放たれた入り口から、教師らしき中年の男が入ってくるところだった。
記憶にある顔に軽い驚きを覚えるが、まずは席に着くのが先だ。とくに席は決まっていないようなので、俺は素早く空いている席に座る。
他のクラスメイト達も同じく、即座に近くの席に着いた。その辺りの機敏な動きは、さすが使用人コースのAクラスといったところだろう。
「皆様、わたくしの受け持つクラスへようこそ。ここにいると言うことは、貴方達はこの学園でもトップエリート。もはや立派な使用人です――と、言うとでも思ったか?」
教師が態度を豹変させる。
名乗らなかったが、彼の名はトリスタン。俺の伯父にあたる人物だ。
ローゼンベルク家に仕える執事として育てられた人物だが、主席として入学した学園で王族に気に入られて王弟の専属執事となった。
非常に優秀な人物だが、見ての通り一癖も二癖もある性格の持ち主。若々しい容姿だが、設定通りなら三十代後半だったはずだ。
ブラウンの髪に漆黒の瞳。教壇に立つトリスタンの姿はゲームのスチルとほぼ同じ。彼は光と闇のエスプレッシーヴォにおける、アリシアの攻略対象だ。
ちなみに、前世の姉はトリスタンのコスプレをするレベルのファンだった。なので、トリスタン先生を見ると姉を少しだけ思い出す。
実際に目のあたりにするのは初めてだが、実に渋い雰囲気を纏っている。さすが年上好きの女性から圧倒的な人気を誇っていただけのことはある。
そんなオラオラ系の彼が、なにも知らない新入生に対して牙を剥いた。
「入学試験で上位だったかも知らねぇが、それは中等部での話だ。自分が特別だなんて舐めた考えをしてたら、あっという間に落ちこぼれるぜ」
転生者である俺には、その言葉が事実であると分かる。
いまの俺は学年次席。使用人コースにおいては間違いなくトップの成績を誇っているが、それは前世の学生としての記憶があるからに他ならない。
今のまま大人になったとしても、お嬢様の専属執事として相応しいとは言えない。これからもっともっと精進する必要がある。
だが、そう思えるのは俺が転生者だからだ。そうでない者の多くにとっては受け入れがたい事実だったのだろう。先生に対する敵愾心のようなものを滲ませる。
「おうおう、どいつもこいつも納得いかないって顔をしてやがるな。そこのおまえ、言いたいことがあるのなら言ってみろ」
「……いえ、先生の言葉に反論するつもりはありません」
指名された生徒はそう答えた。
文句がないのではなく、文句を口にしないことが正しい対応だから我慢している――と、そういった本音が透けている。
「なら命令だ。構わねぇから言いたいことがあるのなら言ってみな」
「……それは」
「ほらほら、こんな機会滅多にねぇぜ? それとも、おまえは意見を言えないタイプか?」
「……む。そこまで言うのなら言わせていただきますが、僕は既にお屋敷で働いています。実際に働いて磨き上げた技術が中等部でしか通用しないとは思いません」
「ふっ、なるほど。てめぇじゃなくて、周囲の連中に原因があるのか」
彼の自尊心を一太刀で斬って捨てる。
「どういう意味ですか?」
「分からないのなら教えてやる。おまえが通用しているのは、おまえが子供だからと、周囲が甘く接しているからに他ならねぇ。そんな考えじゃ、いつか酷い目に遭うぜ」
「な、なにを根拠に。貴方が僕のなにを知ってるって言うんですか」
彼はプライドを傷付けられたのか、その表情を引き攣らせる。
「たしかに多くは知らねぇよ。だが、礼儀作法83点、ダンスの成績が76点だったことは知ってる。そして、それだけ分かれば十分だ」
「どういうことですか? 僕の点数は、クラスでも上位のはずだ」
「だから言ってるだろ。中等部で上位だからって大したことねぇって。あの程度の試験、プロの使用人なら満点を取れて当然なんだよ」
「……そこまで言うからには、先生はさぞ素晴らしい点数をお取りになったんでしょうね」
「あ、俺? 俺は全教科満点での主席合格だよ」
その言葉に俺を除く全ての生徒が息を呑んだ。
満点で合格した人物は、この学園でも語り草になっている存在ただ一人。王族にスカウトされた伝説の執事トリスタンしかいないと、使用人なら誰だって知っている。
生徒達はいまこの瞬間、目の前の教師こそがトリスタンだと理解した。
「ま、まさか、トリスタン様とは知らず、無礼の数々、お許しください!」
不満な態度を見せていた少年が真っ青になって頭を下げる。トリスタンの優秀さを知らない者はいない。王族に仕える執事、そんな彼を批判したとなれば慌てるのも当然だ。
だが、トリスタンは呆れたような顔をする。
「おいおい、“様”って。俺はただの執事――いや、いまは教師だけどな。それに当時の俺は全教科満点の主席だったが、いまのおまえらとなんにも変わらねぇよ」
「それは……どういう?」
「当時の俺は、自分が特別だなんて舐めたことを考えてたガキだってことだ。満点での主席合格だなんてもてはやされても、蓋を開けてみりゃ苦労と失敗の連続だ」
上から目線で語って反発させ、正体を明かして生徒達に失敗したと思い込ませる。
そのうえで、自分も過去に同じ失敗をしたのだと寄り添ってみせる。トリスタンの狡猾な手口に、さっきまで敵意すら抱いていた生徒達の瞳に憧憬が滲む。
たいした人心掌握術だ。
当時十二歳のトリスタンが、王子の専属執事に抜擢されて苦労した話と、いまの彼らの失敗が同列とは思えないが、この流れで指摘するのは野暮というものだろう。
「まっ、そんな訳で、おまえ達もこれから多くの失敗を重ねるだろう。だが、気にすることはない。学園での失敗なら俺がフォローしてやれるからな。安心して挑戦しろ」
「あ、ありがとうございます。これからよろしくお願いします!」
「良い返事だ。あと、さっきは厳しいことを言ったが、おまえらが優秀なことに変わりはない。さっそく、おまえ達の実力を他の連中に見せつけてやれ」
彼は黒板に『新入生歓迎パーティーの設営』と綺麗な字で書き上げた。
「新入生歓迎パーティーは一ヶ月後におこなわれる。本来新入生は歓迎される側だが、おまえら使用人のAクラスだけは別だ。その設営を任されるという栄誉が与えられる」
なるほど、歓迎の意味を込めてパーティーの準備を任せてくれるという訳か。使用人コースには相応しい歓迎方法だな。
「その準備は全ておまえ達に一任される。その結果は他の使用人クラスの連中に見られるだけでなく、同学年の貴族や平民、全てに見られることになるぞ」
クラスのあちこちからゴクリと生唾を飲み込む音が響いた。学生のうちに失敗して学べと言った直後にプレッシャーを掛けてくるとはなかなか鬼畜だ。
「――ところで、シリルはどいつだ」
名前を呼ばれた俺は手を上げて応じた。伯父と甥の関係だが、こうして実際に会うのは初めてなので、向こうは俺の顔を知らなかったようだ。
「ほう、おまえがシリルか。試験で派手にやらかしたらしいな」
「……とくにやらかした記憶はありませんが」
「ふっ、まあそういうことにしておいてやろう。とにかく、当面はおまえがこのクラスの代表だ。クラスメイトを纏め上げ、新入生歓迎パーティーを見事成功させて見せろ」
「――承りました」
「待ってください! どうしてそいつがクラスの代表なんですか」
俺が応じるのとほぼ同時、反論の声が上がった。
視線を向けた俺はなるほどと呟く。反論の声を上げたのは赤髪の少年。試験会場で絡んできたライモンドだ。やはり、同じAクラスにいたらしい。
「シリルが代表の理由? このクラスで一番の成績、学年全体で見ても次席だからだが?」
「そんなはずありません! そいつはダンスの成績が51点だったんですよ!」
ざわりとクラスがざわめいた。耳を澄ますまでもない。51点なんて点数の奴が次席なんておかしいといった声が聞こえてくる。
実技試験の試験結果は、そのグループごとに張り出されていた。俺が他の試験で全て満点を取っていることを知らない者が大半なんだろう。
意味ありげな笑みを浮かべている者もいるので、事情を知っていたり、状況を察して黙っている者もいそうだ。ライバルに塩を送るつもりはない、と言ったところだろうか。
「ふむ……その件か。たしかに俺も、シリルのことは気になっているんだよな。どうしておまえは、百点満点の試験で51点なんて点数を取ったんだろうな?」
ちょうど半分で試験を放棄したので点数は半分。事実上の満点を越えている理由を聞いているのだろう。だが、事情を知らない者にはそうは聞こえない。
周囲の連中は、先生すら俺の不正を疑っていると思っただろう。
この状況を収めるのは簡単だ。
俺がダンスで51点だった理由を話せば良い。
だが、それはトリスタン先生にとっても同じことだ。俺が事実上の満点を越えていることを彼が話せば、この場を収めることは簡単だ。
にもかかわらず、不正を疑っていると誤解されるようなことを口にした。
その理由は考えるまでもない。彼は名乗ることなく挑発して、失敗させるように生徒達を誘導して、情報不足な状況下での不用意な行動に対する反省を促した。
そしていまもまた、俺の試験が51点だった理由を明かさずに生徒達を煽っている。
最初のケースが練習問題なら、このケースは応用問題。
失敗して学べ。そして学園での失敗なら俺がフォローしてやると、彼は言った。つまり、それが彼の教育方針である。
だからと言って俺が先生の片棒を担ぐ必要はないのだが、俺が事実上の満点以上であることを言い触らせば、お嬢様の主席に影を落とすことになる。
ゆえに、俺は先生の思惑に乗ることにした。
「なぁ、シリル。なぜだと思う?」
「さぁ……私は試験官ではありませんので、どういう採点が成されたのかは存じません」
「ふっ。そうか……なら、今回の設営でその実力を証明して見せろ」
承りましたと頭を下げる。
だが、ライモンドを始めとした一部の生徒は納得していない。トリスタン先生に向かって、考え直して欲しいと訴えかける。
「分かった分かった。なら、納得できない奴は手を上げろ」
トリスタン先生の問いに、三分の二ほどの生徒が手を上げた。
意外と少ないというのが俺の率直な感想だ。
俺が実際に次席足る成績であることを知っている者はそう多くはなさそうだったが……トリスタン先生の判断を信じたか、もしくはさっそくさきほどの失敗を活かしたのか。
さすがAクラス。優秀そうな生徒が揃っている。
「ふむ……まぁちょうど良い人数差だろう。いま手を上げた奴は中庭の会場の設営をしろ。手を上げなかった奴らはシリルのもとでメイン会場の設営だ」
「かしこまりました」
ライモンドと競って実力を証明しろというのなら臨むところだと応じる。だが、ライモンドはどうして人数の多い自分達がメインではないのかと噛みついた。
「クラスの主席はあくまでシリルだからな。それに……中庭の会場が、メインの会場よりも評判が良ければ痛快じゃないか?」
主にメイン会場は貴族が多く、中庭は平民が多い。
もし中庭の方が立派なら問題になるだろう。そしてそのときは必ず、俺とライモンドが別々に設営したことが話題になる。俺の名誉は地に落ちるという訳だ。
トリスタン先生自身がそれを望んでいるかのような口ぶりでライモンドを煽り――
「分かりました。俺が必ずそいつの化けの皮を剥がしてやります」
ライモンドは見事に食いついた。
クラスの対立を収めるのではなく激化させ、生徒達の成長を促す。さすがはオラオラ系人気キャラ、その優秀さと奇抜さで王族に引き抜かれたというだけのことはある。
悪くない。
俺もお嬢様の意向に従い、自分の実力を証明する必要があると思っていたところだ。
後始末は先生がしてくれるとのことだが、このチャンスを逃す手はない。お嬢様の専属執事としての実力を見せつけた上で、ここからクラスを一つに纏め上げてやる。
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