大晦日

逢雲千生

大晦日

 

 年末になると、我が家に親戚がやってくる。

 その親戚とは私の伯父で、数年前に離婚して以来、ずっと一人暮らしをしていた。

 

 息子が二人いるけれど、どちらも母親について行ってしまい、それからずっと、伯父は一人で生活しているというわけだ。

 

 生まれてから今まで、伯父の家族と親交の薄かった私は、伯父の顔以外ほとんど覚えていない。

 赤ん坊の頃は、何度か会っていたらしいけれど、物心ついてからは一度も会っていないので、どんな人達だったのかすらわからなかった。

 



 父も母も、伯父には苦労していた。

 



 伯父は人に嫌われるタイプで、態度も大きいし、自分が間違えても謝らない。

 勤めていた会社もコロコロと変わり、そのたびに実の両親をとうしては、自分のではないとわめくのだ。

 

 私は小中高と学校に上がるたび、馬鹿な奴が馬鹿な学校に入ったと、ずっとからかわれ続けている。

 父はそのたびに怒っているけれど、伯父は聞く耳など持つ人ではなかった。


 そんな人が、どうして私の家に来るのかというと、行くところがないからだ。

 両親からは勘当されているし、元妻からは絶縁されている。

 とうぜん、実の息子達からも見放されていて、唯一相手をしてくれるのが私達だけというわけなのだ。




 ちなみに、おおみそに来たからといって、泊まっていくわけではない。

 お正月に来てお年玉を渡すのが嫌だから、わざわざ大晦日に顔を出すのだ。


 一日早いおせちを食べ、酒をたらふく飲み、私達を馬鹿にするだけして、伯父だけが笑って帰って行く。

 それが毎年のことだった。


 


 今年は私の大学受験があるため、両親は伯父が来るのを断っていたらしいけれど、こちらの都合などお構いなしにやって来た。

 家には私達家族の他に、仲の良い友達が泊まりに来ていて、友達もさんざん馬鹿にされた。

 友達は苦笑いで聞いていたけれど、私は何度も怒鳴りそうになった。


 私だけならまだしも、どうして自分の友達を悪く言われなくちゃいけないのだろう。


 両親は飲み過ぎだと言って帰そうとするが、今年に限って、なかなか帰ろうとしなかった。


 また仕事をクビになったらしく、実の両親へのと、元妻への悪口を言っては酒をあおる。

 一度も会わない息子達など、さっさと死んでしまえとまで言っていた。


 それが大人の言うことかと、今年ばかりは呆れた。


 


 けっきょく日付が変わるギリギリまで、伯父は食べて飲んでいた。

 とうぜんお年玉などなく、自分からもったいないと言って、さっさとタクシーに乗って帰ってしまったのだった。


 


「ごめんね。今年は来ないと思ってたのに。つらかったでしょ?」

「気にしないでよ。私にも腹が立ついとこがいるから、気持ちはわかるもの」


 友達は笑って許してくれたけれど、勉強する気分にはなれず、早々にお風呂に入ってパジャマに着替える。

 ベッドの隣に友達の布団を敷いて、明日の予定を話していると、突然友達が、「そろそろだね」と言った。

 時計を見たままの友達に、「何がそろそろなの?」と尋ねると、彼女は笑って答えた。


「伯父さん、もう死んでるよ」


 返事に困ってしまう。

 驚く気持ちを誤魔化すように布団をかぶると、友達も布団に入った。


「……もう、何言ってるのよ。あの伯父さんが死ぬわけないじゃない」


 相当怒っていたのだろうと思い、冗談を言わないでよと言いながら彼女の顔を見下ろしてみる。

 彼女は私を見上げていて、その口は笑っていた。


「さっきね。帰る時に見えたんだ。伯父さんの顔が黒くなってたから、数時間で死んじゃうんだろうなって思ったけど、言わないでおいたの」

「……どうして?」


 急に寒くなり、布団をかぶりながら彼女に聞く。

 すると彼女は、ニッコリ笑って答えてくれた。


「だって、あのまま家にいさせたら、あなたも家族も死んじゃうところだったんだもの」


 もう誤魔化すことは出来なかった。

 相槌も打たず、黙って布団を頭までかぶると、おやすみ、と言って背中を向ける。

 彼女も、おやすみ、と言って、二人はそのまま眠りについた。


 


 次の日、両親は大慌てで私を起こしに来た。

 友達の言ったとおり、伯父が夜のうちに亡くなったというのだ。


「びっくりしたけれど、死因を聞いて納得しちゃったわよ」


 伯父の家へ行く途中、母は助手席でそう言った。


「あなたは驚くかもしれないけれど、あの人、殺されたらしいのよ」

「誰に?」

 母の話に驚いて、後ろの席から顔を出して尋ねる。

 危ないと父に怒られた。けれど、母は気にせず教えてくれた。


「息子さん達によ。あなたは覚えてないだろうけど、とても優しくて、賢そうだったのにねえ。なんでも、前々から父親に嫌がらせを受けていたらしくて、それが原因じゃないかって。電話をくれたよしさんが言ってたわ。怖いわよねえ」


 良江さんは父の妹だ。

 母と仲が良く、真っ先に電話をくれたのだろう。

 伯父の家に着くと、良江叔母さんが迎えてくれた。


「無事につけて良かったわ。さあ、中に入って」

 人目を気にしてか、叔母さんは私達を家に入れた。


 


 伯父は帰る途中で殺されたようで、ついさっきまで警察がいて、家の中を調べていたらしい。

 家が近い叔母が対応したらしいけれど、家の中は驚くほど汚れていた。


「兄さんたら、掃除も何も出来ないから、汚れ物はそのままだったのよ。警察が帰ってから、片付けるだけ片付けたけど、二階なんて足の踏み場もないんだから」

 怒りながら片付ける叔母は、慣れない場所でお茶までいれてくれて、疲れた顔を見せずに洗濯物をたたみ始める。

 きれい好きの叔母にしてみれば、家の惨状を見過ごせないのだろう。

 母も手伝うけれど、今日一日で終わるのは無理だと思った。


 私と父で来客の対応をしていたが、人はほとんど来なかった。

 勤めていた会社の人が、代表で香典を持って来たくらいで、伯父の友達や知り合いは一人も来なかった。


 


 伯父は夕方に連れてこられるらしい。

 それまでに、せめて一階だけでもと四人で片付けていると、父がつけたテレビから、伯父のニュースが流れた。


 


 やはり、伯父は殺されていた。

 実の息子二人に待ち伏せされ、騒ぎを聞きつけた人に通報されるまで、さんざん刺されたそうだ。

 救急車で搬送された頃には心肺停止状態で、病院で息を引き取ったという。

 遺体は司法解剖に回されて、元妻は警察署で、今も事情聴取を受けているそうだ。


「……兄さんね、子供達の進学を邪魔してたんだって」

 叔母が話し始めた。


「自分よりいい学校に入るのが許せなかったみたいで、進学先にありもしない経歴を伝えては、ずっと邪魔してたらしいよ。兄さんらしいっていうか、大人げないっていうか。私だったら、兄さんを殴り倒してたわ」


 頭の良かったいとこ達は、奨学金で通える学校を見つけ、少しでも良い大学には入れるようにと努力していた。

 それなのに、実の父はそれが許せず、彼らの将来を潰してきたのだ。


 自業自得。

 そんな言葉が似合う最期だった。


 


 夕方になり、伯父を連れてきた人達にお礼を言うと、伯父は広間に寝かされた。


 綺麗になった広間で、あっという間に祭壇が組み立てられていく。


 顔に布をかけられた伯父は静かなもので、昨日はさんざんだったのに、今は気持ちが軽い。


 全員で葬儀のための準備を始めると、叔母が悲鳴を上げた。

 広間に駆けつけると、母に縋って震える叔母と、真っ青な顔で伯父を見る父が見える。

 母の肩も震えていたが、叔母の体が壁になって、伯父の顔は見えなかった。


 どうしたの、と聞くことも出来ず、震える叔母と黙り込む両親を、ただ見つめる。

 

 しばらくして、私は広間に入った。

 伯父に近づきながら、布団の上にある布に気がつくと、嫌な予感がした。


 一度立ち止まって、自分の手のひらを強く握ると、誰もが伯父に意識が向いている中で、私は伯父の顔を覗きこんだ。


 声にならない悲鳴が上がる。


 それが自分のものだと気づかないまま、私は腰を抜かした。


 


『さっきね。帰る時に見えたんだ。伯父さんの顔が黒くなってたから、数時間で死んじゃうんだろうなって思ったけど、言わないでおいたの』


 


 友達の声が頭に響く。


 


『だって、あのまま家にいさせたら、あなたも家族も死んじゃうところだったんだもの』


 


 あの時私が伯父の危険を知らされていたら、もしかすると、無理矢理にでも泊めていたかもしれない。

 そうなっていたら、私も両親も、泊まった友達ですら、伯父と同じ目に遭っていたかもしれないのだ。


 


 顔が黒くなっていたから――。



 

 彼女の言うとおり、伯父の顔は、血で赤黒くなるまで切り刻まれていた。



 

  

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大晦日 逢雲千生 @houn_itsuki

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