夏合宿の終わりの場合
夏合宿は二日目の午後を迎えた。
友人の
一方、恋人で幼馴染の
恵美は「奈良橋くんにしてはちょっと素っ気無さすぎる態度ねぇ」と
こうして京子は宿の自室で大人しくみんなの帰りを待つことになった。
雨が降った場合を想定して持ってきておいた折り紙を取り出して暇つぶしをしながら、京子はぼんやりと浩太のことを考えていた。
去年の九月ごろから、幼馴染としてではなく恋人として付き合い始めることになって間もなく一年が経とうとしている。
あの時、浩太は「自分は今まで京子に甘えっ放しだったから、今度は逆に京子に甘えてもらえるような大人の男になる」と宣言した。その時は告白されたことへの照れ臭さもあってその言葉を笑い飛ばしたのだが、それから一年経って浩太はその言葉に負けないような立派な男になりつつあった。
京子の知る昔の浩太は、親切なのは良いのだが優しすぎて頼もしさに欠けるようなところがあった。例えば、他人の嘘やあからさまな冗談を真っ向から信じ込んだり、明確な下心のある頼み事でも嫌とも言わずに引き受けようとしたり。浩太のそんなシーンに出くわすたびに京子がフォローに入るのが子供の頃の半ばお約束となっていて、浩太も逐一フォローに入ってくれる京子に感謝をしていた。
それから時が過ぎて、高校生になり京子と付き合うようになったことで、浩太は間違いなく大きく成長した。全体に力強くなり、自分の行うことや言うことのひとつひとつにしっかりと責任を持っている。そして、それを自覚しながらもそのことに押しつぶされない芯の強さも身についた。
「私に甘えてもらえるような、大人の男になる、か……」
折り鶴を折りながら、ぽつりと
ひるがえって、自分自身はどうなのだろう、と思う。
最初の告白の時もそうだったけれど、どうも京子は肝心な所で逃げの手を打つ傾向がある。自分から先に「好き」だと言いたいからと理由をつけて浩太に「好き」だと中々言わせないわりに、いざ自分でそう言わなければならない状況になると照れや恥ずかしさも手伝ってどうもうまく切り出せずにいる。そのくせ、京子は浩太の無償の善意に甘えがちで、手をつないだり腕に抱きついたり体に寄りかかったりと好き放題やらせてもらっている。
中々「好き」とも言わせてもらえないのに、一方的に甘えられるばかりの浩太の心情はどんなものなんだろうと考えると、京子はいたたまれない気持ちになる。
あるいは、望みどおりに京子に頼られる男になれたということで浩太が納得している可能性もなくはないが、それにしたって京子から浩太に何もしてあげられないというのはおかしい、と思ってしまう。
甘えるにしてもそこに愛情も何もないとは思われたくない。
浩太は自分に成長と愛情を示してくれている。ならば、今度は自分がそれに応えていかねばならない。
「私だって、浩太のことが……大好きなんだから……」
凛とした決意の言葉が、口からこぼれた。
浩太たちが宿に引き上げてきたのは午後三時を過ぎたころだった。
京子は自作の千羽鶴を首に下げてみんなを出迎えた。
「おいおい京子、どうしたんだよその千羽鶴は?」
「あはは、暇つぶしに折り紙していたらちょっと折りすぎちゃって……」
折り鶴の数に驚く浩太に、京子は苦笑いで応じた。
「ひょっとして、自分の怪我が治るようにってことかい? 姉ちゃん」
弟の
「そんなわけないでしょ。これはみんなの安全祈願よ」
「あら、そうなの?お陰様で午後は何事もなく終わって良かったわ」
「何だか京子に気を使わせちゃったかしら? でも、さすがハンドメイド同好会の会長、ってところかな」
「……すごいですねぇ。どうせなら私も先輩と宿で折り紙していたかったです……」
恵美や親友の
「どうしたのゆかり? そんなに疲れた顔をしちゃって」
「ビーチバレーの件もあって、高宮さんは物凄く人気者だったのよ」
「そうそう、M高の部員さんたちから引く手あまたでね。凄かったんだから」
「私は嫌だったんですけど……先輩たちがいい機会だからって強引に……」
どこか楽しそうな先輩二人と対照的に、ゆかりはもうこりごりと言わんばかりだ。
「それは大変だったわね。でも、男の人と付き合うかどうかはさておいて、全く出会わずに済む機会なんてこの先そうそうあり得ないわけだし、こういうことにもしっかり慣れて、自分を前向きに成長させていかないとね」
「は、はぁ……善処します」
極めて建設的なアドバイスをもらったゆかりは、目をぱちくりさせながら返事をした。どうやら意表を突かれたらしい。
「ふうん、なかなかやるじゃないの京子」
「本当よね。何か急にちょっと人が変わったみたい」
恵美が感心したように
「冗談言わないでよ。昼から三時間そこそこで人間が簡単に変わる訳ないでしょ」
「そうかなぁ? 何か雰囲気が違っているような気がするんだよねぇ……?」
「まぁ、姉ちゃんの話はとりあえず後にして、一旦部屋に上がりません、征矢野先輩?」
「それもそうね。部屋に戻って色々してからでも話はできるしね」
正次の提案に全員が同意し、ひとまず各自の部屋に戻って着替えや入浴の準備などをすることになった。
部屋への帰り際、京子は浩太に笑顔で「おかえり」と一言声をかけると、浩太は照れ臭いのか困ったような微笑みを浮かべると何も言わずに自分の部屋へ引っ込んでいった。
入浴や夕食を済ませた後、宿の前にある広場を利用してみんなで花火をすることになった。宿の玄関から見える範囲でという条件付きで、それぞれ思い思いに友人たちや目を付けた相手と気楽に談笑して過ごしている。
京子は最初明日香たちと一緒に花火を楽しんでいたのだが、明日香に「彼氏持ちが彼氏をほっぽり出して何やっているのよ!」と一喝されてしまい、仕方なく浩太の姿を求めて歩き出したのだった。
ほどなくして同様に一人でぼんやりと他の人の花火を見ていた浩太と合流した。浩太の方も正次たちから京子のそばにいるようにと言われたらしい。
「みんな気を使いすぎなんだよなぁ……」
「本当にそうね」
浩太のぼやきにくすくすと笑いながら答える。
「足の方はもう大丈夫なのか?」
「そもそもそんなに大怪我ってわけでもないし、普通に動く分には問題ないわ」
「そっか、それなら別にいいんだけど」
「まだ、昼間のこと、怒っていたりする?」
一番気になっていることを率直に聞いてみる。
「まさか。昼間のことについてはもう済んだだろ? 京子も十分反省しているみたいだしな」
「そうなの。なら、ちょっと安心したかな」
ほっと胸をなでおろすと、浩太が不思議そうな表情でこちらを見ている。
「京子、俺たちがいない間に何かあったのか? 征矢野さんが言っていたことじゃないけど、昨日までとはちょっと違って見えるんだけど……」
「あら、浩太にもそう見える?」
「ああ。だから昼間ちょっと言いすぎちゃったのかと心配していたんだ」
「大丈夫、そういうのじゃないから。むしろ浩太には感謝したいくらいよ」
心配そうに顔を覗き込んでくる浩太に、苦笑いを浮かべて答える。
「感謝? 感謝されるようなことをしてたか、俺?」
「そりゃもう、いっぱいしてくれているわよ。いくら感謝しても足りないほどにね」
怪訝そうな表情に変わった浩太の顔を正面から見つめて、京子はにっこり微笑んだ。
「ね、浩太?」
「なんだよ」
「浩太は私のことが好き?」
「好きに決まってるだろう」
「私も浩太のことが大好き」
「おいおい、いきなりどうしたんだよ。そんなこと言いだして」
「いいじゃない。今夜はそういうことを言っておきたい気分なのよ。それで、ね?」
「ん?」
浩太が疑問を顔に出す前に。京子は自分の顔を浩太の顔に近付けた。
「これがその証拠よ」
完全に言い終えたかどうかというタイミングで、そのまま自分の唇を浩太の唇に重ねた。浩太は驚いて目を大きく見開いた。
その間、およそ三秒。二人のいる場所は宿の建物と庭の木に挟まれた場所で、他からはちょうど死角になっていて見られる恐れはない。
そっと唇を話すと、浩太は魂を抜かれたように呆然となっている。
「京子……?」
「突然ごめん、驚いたよね?」
「いやもう、驚いたというか何というか、不意打ちすぎて良くわからなかった……」
まだ夢見心地といった感じの浩太の感想に京子は苦笑した。
「あはは、そりゃそうよね。でも、予告しちゃうとお互い身構えちゃうでしょ?」
「いやいや、俺としてはできれば言って欲しかったんだけど……これでもファーストキスだぜ?」
「だから、思い出に残るように夏合宿の最後の夜にしたんじゃない」
「いや、そうじゃなくて……ひょっとして、最初から狙って?」
「いや狙ったとか全然よ。チャンスがあればって思ったのが今日の午後だし、それにしたって行き当たりばったりの成り行き任せだったし」
さして悪びれる風でもなく言い放つ京子に浩太は呆れた表情になった。
「おいおい京子……お前そんなに適当だったっけ?」
「別に適当じゃないわよ。あくまで浩太のことを尊重しつつ、でも場の雰囲気や流れには逆らわないようにしていただけよ」
「いやだから、それを適当にやっているって言わないのか?」
「突っ込みが厳しいなぁ。微妙にキスして損した気分」
「なんでそうなるんだよ!」
そこまで浩太が言ったところで、顧問の先生から集合の声がかかった。
「ほら、先生たちも呼んでいるし、早く行きましょ?」
「う~。何だか思いっきりはぐらかされたような……」
まだ納得のいっていない様子の浩太に京子は浩太の肩をポンポンと叩いてやった。
「大丈夫よ。また機会があったらしてあげるから……大好きな浩太のためにね!」
そう言うと足をかばいながらもスタスタと京子は歩き出し、浩太も一泊遅れて苦笑しながらその後を追っていった。
こうしてS高ハンドメイド同好会とM高アウトドアスポーツ部の合同夏合宿は無事にすべての日程を終え、京子たちは翌日の朝に合宿地を後にしたのだった。
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