駆け出しカップル!?

緋那真意

波乱から始まる二人の恋(一年生時代)

京子の場合

 白板京子しらいたきょうこは今までの人生の中でこんなにも何かに対して億劫になったことはなかった。すべてが気怠かった。

 のろのろと寝間着から制服に着替えると、部屋を出て居間へと向かった。居間に顔を出すと、案の定母親からガミガミとお小言を頂戴することになったが、今の京子にはそれすらもどうでも良かった。

 母親のお小言を気怠げに受け流しながら、大して食べる気もない朝食を口の中に適当に放り込み、およそ16歳の女子高校生には似つかわしくない、極めて冴えない表情のまま、京子は学校へと向かった。



 そもそも、なぜ京子がこんなにも元気をなくしているのかと言えば、昨日の下校途中の出来事が原因にある。

 昨日の夕方、友達二人と一緒に下校途中だった京子は、最寄り駅の駅ビルの中で、幼馴染の奈良橋浩太ならはしこうたの姿を見つけた。

 浩太は京子とは幼稚園時代からの長い付き合いで、その後も小学校、中学校と同じ学校に通っていた。

 取り立てて仲が良かったわけではないが、それでも顔を合わせれば挨拶をし、登下校も一緒だったし、たまに時間が空いているときなどには気安くおしゃべりもする間柄だった。

 あまり恋愛感情というものを京子が浩太に抱いたことはなかったし、浩太の方は浩太の方で京子にそれっぽい意識を向けているような素振りを見せなかった。

 高校がそれぞれ別の学校に進学することになったときもお互い寂しいということもなく、「住んでいる場所が変わるわけでもなし。またいくらでも会えるでしょ」という話になって、そんなものだろうと京子自身も納得していた。

 しかし、昨日の夕方、浩太の姿を見つけて友人に紹介でもしようと思っていた京子は、浩太と何やら話している見知らぬ女の子の姿を見つけて、動きが止まってしまった。

 そもそもその女の子が浩太とどういう関係なのかはわからない。ただ、浩太が自分の知らない女の子と一緒にいたという、その事実が京子を何とも言えない複雑な気持ちにさせてしまった。

 浩太の方に気付かれないようにさり気なく友達たちと別れると、茫然としたまま家まで帰り着き、そのまま夕食をとり風呂に入って眠るまで、浩太と一緒にいた女の子のことがずっと頭の片隅にこびりついて離れなかった。

 まさか浩太のことでこんなにも自分がめちゃくちゃにされちゃうなんて……、と京子自身も驚くばかりだったが、一度気になりだしたら妄想があちこちに飛び火して、もうどうにも制御が効かなかった。

 今日も浩太と会う機会はあるだろうか?会ったとして話す機会はあるだろうか?あったとしてどこから話を始めればいいだろうか?

 その日の京子の頭の中身は、そんな思いがいっぱいで、授業など上の空の状態だった。


 そして、それはある意味で京子の望み通りに起こった。


 「おーい、京子~!」

 背後からいきなり浩太の声が響いてきて、京子はぴくりと体を震わせた。

 京子はぼんやりとしたまま学校を終え、何を聞いても上の空の京子のことを心配する友人たちをやり過ごして、一人で下校していたところだった。

 慌てて背後へ振り向くと、ちょうど浩太が自分の後ろまで駆け寄ってくるところだった。

 京子は何か言おうとしたものの、言葉が溢れ出ようとして口の中でつっかえてしまい、パクパクと口を動かすくらいしか出来なかった。

 浩太はそんな京子の状態を見ても馬鹿にすることもなく、「ん? どうかしたの?」と屈託のない表情で言った。

 「な、なん、何でもない! 何でもない!」

 心臓が激しくアップダウンしているのをそれでもなんとか隠しつつ京子も答えた。

 「そっか? それなら別にいいんだけどさ」

 京子の心中を知ってか知らずか、浩太は京子の戸惑いなど問題にしていないかのように軽い調子でそう言って、そのまま京子の横に並んで歩き出した。

 内心の動揺が激しい女の子に対してその物言いはちょっとどうなの?、という思いも京子の中に無いわけでもなかったが、京子の知る限り浩太という男の子はこういう性格だった。

 どんな時でも明るく朗らかで、自分に対しても他人に対しても裏表というものを感じさせない素直な性格。京子も決して浩太の全てを知っているとは言えなかったが、それでも今までの付き合いで浩太が誰かを陥れようとしたり、誰かに対して恨みを抱いているようなシーンを見たことはなかった。勿論、自分の見えていないところでそういう姿を見せている可能性はあったが、それはまずないだろうとも京子は思っていた。

 あの素直さ、明るさ、前向きさこそ浩太の真骨頂だ。


 そんな「いつも通り」の浩太の様子に、京子もどうにか平常心を取り戻した。それでなくとも、浩太には聞きたいことがたくさんある。

 「結構久しぶりかな? それで、今日はどうしたの」

 京子がそう言うと、浩太は不思議そうな表情を浮かべた

 「おいおい、昨日駅でも会ったじゃないか。まぁろくに挨拶も出来なかったけどさ」

 いきなり浩太の方から核心を突く言葉を投げかけられて、どうにか平常を取り戻したはずの京子の心は再び揺れ動き始めた。

 (あ、あーっと、えーっと、どうしよう……!?)

 京子の方は浩太のほうが自分のことに気がついていたなどまるで考えていなかったが、よく考えれば浩太の方も京子たちのことが見えていて当然であり、浩太からしたら京子のほうが不審な行動をしているようにも見えたかもしれない。

 「え、ぇっと、私は全然わからなかったけど、どこで私のことを見たの?」

 京子はとりあえず「全く気付いていなかった」フリをした。

 「駅ビルのファーストフードの店の近く。友達っぽい女の子と歩いてたと思ったけど」

 (……私だよそれーっ!)

 「い、いやぁ、その、おしゃべりに夢中になっててさぁ、浩太のことには全然気づけなかったんだよね、あはは……」

 京子は自分でも「白々しい」と思うくらいの乾いた笑い声を上げたが、浩太はそれを意に介した様子もなく不思議そうな表情のままだ。

 「そうか? なんかとんでもなくガン見されてた気もするんだけど……」

 (……もう、勘弁してよぉ~……!?)

 自分の想像を軽く上回るほど、浩太の方にはっきり認識されていたことが今更ながら分かって、京子はもう顔を完全に赤くしてうつむき気味になってしまった。

 「と、とにかく、今日声かけてきたのはその話で?」

 「そんなとこかな。……今日もそうだけど、何か避けられているような気がしたからさ?」

 「え……!」

 京子は心臓が大きく飛び上がりそうになったのを自覚した。そのまま立ち止まってしまう。

 (私が浩太を避けている……? そんなわけないじゃない……! あ、でも……)

 よくよく考えれば、昨日はせっかくお互いに姿を見せていたのに京子の方から挨拶もなしに退散してしまったし、今日は今日でとんでもない塩対応である。浩太の側からしたら避けられていると認識していてもそれほど不思議ではない。

 「い、いや、そんなこともないわよ?ただ、そういう機会は最近なかったじゃん?」

 「そりゃまぁそうだけどさ」

 「浩太の方こそ、私がいなくて寂しいからそんなこと言ってんじゃないの?」

 (……ちょ、ちょっと! 何言ってるのよ私……?)

 聞かれようによってはとんでもない内容の発言をしてしまったことに気がついて、京子は内心の焦りが最高潮に達したが、それを受けた浩太の方は浩太の方でなぜだか真剣な表情になりそのまま考え込み始めた。

 「うーん、それは……そのぉ……うん……」

 浩太がいやに真剣に考え込んでいるのを見て、京子の方も今度はなんだか不安になってきた。

 (浩太らしくないなぁ……どうしたんだろう……?)

 そのまましばらくの間、二人は無言でゆっくりと歩き続けた。



 ややあって、先に口を開いたのは浩太の方だった。

 「……そうだよな。うん、京子、悪かったな……」

 バツの悪そうな、しかし少しすっきりとした表情でそう言った。

 「えっ……!? いや、いや……別に謝られることもないんだけど……」

 浩太の物言いに少し不安を感じた京子は慌ててフォローを入れたが、浩太は穏やかに首を振った。

 「いや、その、何と言ったらいいのかなぁ……俺さ、今まではどこかで京子に甘えていた気がするんだよな」

 「! ……どういうこと……?」

 全然予想もしていなかった言葉が出てきて、京子は思わず足を止めて問いかけた。浩太の方も合わせて足を止める。

 「幼稚園から中学卒業するまで大体いつも一緒にいることが多かったろ? お互いに気がついたら側にいて、良いときも悪いときもそんな感じだったから、意識のどこかでいるのが当たり前みたいな感覚があったんだよな」

 浩太は、ちょうど京子が浩太に対して思っていたことと同じような話をし始めた。

 「でもさ、高校が別になって、しばらくしてから分かったんだよな。気がついたら、どこかで京子のことを探しちゃってる自分にさ」

 「え……私……?」

 「ああ」

 戸惑う京子に、浩太は真顔で頷いた。

 「勿論、いつもそうってわけじゃないけどさ。例えば人付き合いに少し疲れたときとか、ちょっと息苦しい問題にぶち当たったときとか、色々面倒くさい悩みがあるときに、京子がいたら話せるのになぁ……ってね」

 「そ、そうかなぁ……?」

 京子は怪訝そうに言った。おしゃべりはたまにしてたし、確かにそういう悩み相談みたいな話がなかった訳でもないが、そこまで頼られるようなことをしていた覚えはない。

 「京子にはそう思えないかもしれないけど、とにかく俺にとってはそんな感じだったんだよ。どこかで京子の存在に甘えちゃっててさ」

 浩太はそこで一度言葉を切って京子の顔を覗き込んだ。京子は気が遠くなりそうなのをどうにかこらえたものの、耐えきれずに少し顔を逸らしてしまった。

 「でも、いつまでもそれじゃまずいよな」

 「えっ、いや、そんな……?」

 浩太の話の方向が妙な方向に行きそうなのを感じ取って、京子はもう不安を隠せず声に出してしまったが、浩太はゆっくり首を左右に振った。

 「あ、いや、別に変な意味じゃないんだ。要はさ、俺が京子に甘えるばっかりじゃなくて、京子が俺に甘えられるように、強い男にならなきゃいけないんだな、って話」

 「私が、浩太に……?」

 「そう。どっちかって言うと、今までは京子のほうが俺の世話を色々焼いて、俺もそれに甘えてばっかりだったから、今度は俺が京子の力になれるに変わりたいんだ。ずっとそう考えてきたけど、今日決心できた」

 「………………」

 その浩太の言葉に、京子はしばらく無言だった。

 京子の心の中は、色々な感情がごちゃまぜになって混沌としていたが、浩太の真剣そうな表情を見ているうちに段々と心の整理が付いていき、しばらくしてから急に吹っ切れたように笑い出すと、浩太の背中を思い切りひっぱたいた。

 「痛っ! 何だよいきなり」

 「あっははははははははは! いやぁ、いいなぁ、浩太! それでこそ、私の知っている幼馴染の浩太だよ~!」

 「どういう意味だよそれ! 叩いた理由になってねえだろ!」

 「ふっふーん、この複雑な乙女心は浩太くんにお話してもわからないよ!」

 「はぁ?」

 急にそれまでの態度をひっくり返して、こちらを一方的におちょくってくる京子についていくことが出来ず、浩太は呆れたような声しかあげられなかった。

 「でもでもぉ、私はスッゴク嬉しかったぞぉ~! 浩太が頼れる大人の男になってくれるのを指折り数えて待っているからな~」

 すごく嬉しそうな声で京子はそう言うと、軽やかな足取りで浩太を置いて駆け出した。

 「あっ、こら! 待ちやがれ京子!」

 それを追って浩太もまた駆け出した。

 「おーおー、その調子だぞ浩太~!」


 たまたまその付近を歩いていた人たちを妙に生暖かい気持ちにさせながら、文字通りの駆け出し高校生カップルは騒々しく家路についたのだった。

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