今ここに在る

 リーズがアーシェラへの恋心を自覚したのは、意外にも村に来てから何日か経ってから…………つまり、ほんのつい最近のことだ。しかしそれは、リーズがアーシェラに向ける愛情が、浅く唐突なものであることを意味しない。


 家族の愛情をあまり受けずに育ったリーズは、冒険者パーティーを結成してから、メンバーたちを家族のように思っており、特にアーシェラには自分の親のごとく甘えていた。

 アーシェラは、世間知らずだったリーズに、まるで母親のように優しく日常生活のことを教え、時には父親のように厳しく叱ってくれた。悩んでいることがあれば親身になって相談相手になってくれるだけでなく、自分でもわからなかった問題を引き出して解決してくれることもあった。


 そして…………いつしかリーズにとって、アーシェラがすぐ傍にいることが当たり前になってしまった。


 勇者となって大勢の人々を引き連れて戦っている間、自分にどんどん未知の世界を教えてくれたツィーテンは帰らぬ人となり、年上なのに弟の様だったロジオンはパーティーを去り、よく一緒になって騒ぐ間柄のエノーは別人のように真面目になった。

 そのような中でも、アーシェラだけはずっと変わらず、リーズの心のよりどころとなってくれた。だからアーシェラはこの先もずっとずっと……無条件でリーズの隣にいてくれるものだと、無意識に考えてしまったのだろう。


 戦いが終わると、アーシェラはリーズの前から忽然と姿を消した。

 いくつもの様々な別れを乗り越えたというのに、アーシェラもいつしかいなくなってしまうことが信じられないでいたリーズは、失ったもののあまりの大きさに、心を強く打ちのめさた。

 王国から条件付きで認められた、かつての仲間たちを巡る旅も、半ば姿を消したアーシェラを探すことを目的としていた。

 仲間たちに会い、アーシェラのことを話すたびに、リーズは改めて彼の大きさと大切さを考えさせられることになる。


 アーシェラはリーズの親でも姉弟でもない。

 彼には彼の人生があり、リーズを無条件に支えてくれるのは当たり前のことではない。

 そんなことすら今まで理解していなかった自分は、果たしてアーシェラに合わせる顔があるのか…………歩きながら何度も何度も逡巡するが、どうやっても心はアーシェラから離れられなかった。



 魔神王討伐の旅以上に長く辛く苦しく感じた道のりを踏破した末、リーズはアーシェラの懐へと飛び込んだ。

 突然の訪問にもかかわらず、アーシェラはリーズを快く迎え入れ、以前と変わらないおいしい食事を出してくれ、一緒のベットで寝てくれた。

 嬉しくて、幸せで、安らかで…………リーズは改めて、自分の居場所はアーシェラの隣にあると思うと同時に――――アーシェラへの恋心をはっきりと自覚した。

 一度は招かれざる客による横やりも入ったものの、あの日の夜、流星群の下で愛するアーシェラと交わした愛の誓いは、あらゆる不安をすべて跳ねのけたのだった。






「うぅ…………えぐっ、えぐっ! よかったねぇリーズおねえちゃぁん! ほんとうに、村長さんと結婚出来てっ……えぐっ、よかったねぇっ!」

「そ、そんなに泣くほど感動したのミーナちゃん!? リーズもうれしいけど、ほら、今リーズは幸せだから、泣かないで、ね?」

「あらあら、リーズさんったらミーナを泣かせましたわね。これは責任取ってもらわなければ」

「ちょっ!? ミルカさん!? リーズはもう結婚してるんだからねっ!」


 リーズが開拓村に来た次の月の初め頃、イングリット姉妹と羊の放牧を手伝っていたリーズは、

羊たちの世話をしながら、この村に来るまでの道のりを姉妹に語って聞かせていた。

 まるで昔話のように語るリーズ話には、彼女の苦労と葛藤が色濃く表れており、もともと感受性の強いミーナは感動のあまり泣いてしまい、いつもは昼寝ばかりしているミルカも、この日は目と耳をしっかりと開いてリーズの話に耳を傾けていた。


「しかし本当に……初めてお会いしたときは驚きましたわ。村長が今を時めく勇者様とお知り合いだとは存じていましたが、その勇者様がまさか村長を追いかけてこのような辺境まで来るとは、思ってもみませんでしたもの」

「私もね…………本物の勇者様が来たって、びっくりしちゃって…………ひっくっ、もしかしたら、村長さんが……連れていかれちゃうんじゃないかって、えぐっ、思ってたけど………っ、リーズおねえちゃんと、お話しするの……たのしくって……」

「それもそうだよね。リーズだって、場合によっては帰るときにシェラを連れて行きたいなって、ちょっとだけ思ってたもの」


 この村までたどり着いてリーズが真っ先に仲良くなったのはミーナで、一番最後まで疑われていたのはミルカだった。

 そんなイングリット姉妹をはじめ、今では村人たちはリーズと家族同然のように暮らしている。

 まるで初めからそうだったように……リーズはアーシェラとともに村の中心人物となり、のんびり過ごす村の人々の活力を支えていた。


「うふふ、それにしても、村長のことを話すときのリーズさんの顔……心から嬉しそうに見えますわ」

「リーズおねえちゃんはずっとずっと……村長さんのことが大好きだったんでしょ?」

「うん、そうだよミーナちゃん。リーズもここに来るまで気が付かなかったのが不思議なくらい…………ずっとシェラのことが好きだった。たとえ勇者になっても、シェラのために戦うのがリーズの望みだったの。一度は道に迷っちゃったけど、もうリーズは絶対にシェラと離れないんだから」

「そうですね…………では、次にお話を聞く機会がありましたら、今度は村長との馴れ初めについて、お聞きしたいですわね」

「私もっ! リーズお姉ちゃんと村長が初めて会ったお話、聞きたいですっ!」

「馴れ初め!? な、なんかちょっとはずかしいな…………」


 三人がそんな会話をしていると、村の方からリーズたちにの方に一人の人影が歩いてきていた。

 まだ米粒程度の大きさにしか見えないにもかかわらず、リーズはすぐに誰が来たのかがわかった。


「あれ? シェラだ!」

「あらあら、私にはまだよく見えませんわ。流石リーズさんは目がいいのですね」

「えっへへ~、シェラの歩き方ならすぐにわかるもんねっ」


 これも愛のなせる業か…………果たして、こちらに向かってきた人物はやはりアーシェラだった。


「リーズ、お仕事お疲れ様。ちょっと早いかもしれないけど、僕の仕事もう終わったから迎えに来たよ」

「やっぱりシェラだ~っ! えへへ、ここまで来てくれたんだっ!」


 山の向こうに少しずつ傾いていく赤い太陽を背に、のんびりした足取りで迎えに来てくれたアーシェラに、リーズは子供のように抱き着いた。この場面だけ見れば、大きな子供が母親に甘えているようにしか見えない。


「まあまあ村長。ちょうど今、村長のお話をしていたところでしたの。噂をすればなんとやら、ですわね」

「僕の話? な、なんとなく聞いてみたいような聞いてみたくないような…………」

「大丈夫っ! シェラにもあとでたっぷり話してあげるからっ!」

「リーズお姉ちゃん、今日もお手伝いありがとう! 羊さんたちは私とお姉ちゃんで連れて帰るから、リーズお姉ちゃんは村長さんと一緒に帰りましょ」


 こうして、リーズはイングリッド姉妹と別れ、アーシェラと手を繋ぎながら帰り道を歩き始めた。

 もうアーシェラと離れる不安はないが、リーズは恋人繋ぎをする手をしっかりと夫の手に絡め、ぎゅっとつかんでいた。


「それで、リーズは何を話してたの?」

「実はね……リーズがこの村まで来るまでのことをミーナちゃんたちに話してたの」


 羊を放牧している平原から村までは歩いて15分はかかる。その間にリーズは、アーシェラにもイングリット姉妹に話したことを簡略化して語った。


「リーズは……シェラがいなくなって初めて、シェラの大切さも、シェラを愛している気持ちにも気が付いたの。もっと早く気が付いていれば…………」

「ははは、それを言うなら僕だって、リーズが勇者になって責任に押しつぶされそうになるのを……いつも通りに励ますだけしかできなかった。あの頃の僕は本当に弱くて、どんどんまぶしくなっていくリーズから逃げていたのかもしれない」


 リーズはまたしても少し勘違いをしていたのかもしれない。

 リーズが苦しかった時、アーシェラもまた苦しかった…………ゆえに、アーシェラもついつい強いリーズを当てにしてしまい、自分の力で道を切り開こうとしていなかったのだ。


「僕は子供の頃から、何度も大切なものを失ってきた。幼いころの記憶にしか残っていない父さん……僕のことを倒れる間際まで心配してくれた母さん……冒険者の基礎を教えてくれた最初のパーティーの先輩たち…………みんないなくなってしまった。けれども、リーズは帰ってきてくれた。これ以上失うことが怖くて、遠くに逃げてしまおうとした僕を、一生懸命探して、見つけてくれた。それがどれだけ嬉しかったことか…………」

「シェラ…………っ」


 アーシェラの言葉に、リーズは胸の中が熱くなり、視界が急にぼやけた。

 人間とは不思議なもので…………嬉しくて、幸せな時にも、涙が出てくる。

 リーズは手を絡めていたアーシェラの腕をぎゅっと抱きしめ、腕の付け根のあたりで涙を拭った。この上鼻水までつけられてしまうと洗濯が大変だが、アーシェラは気にすることなくリーズの肩を抱き寄せた。


「シェラ、大好き……愛してる」

「僕も、リーズのこと、愛してるよ」


 二人で歩くうちにリーズの涙が乾き、顔が満面の微笑みになるころに、いつもと変わらない開拓村の木組みの門が見えてきた。

 ふと後ろを振り返れば、地面にはかすかな轍が丘を縫うよう地平線に続き、さらに向こうには上から白く塗られ始める旧街道の山々が見える。

 いつになったらたどり着けるかわからないほど遠く感じた世界の果ては、今はこうして当たり前のように目の前にある。だが、その当たり前は当たり前ではないことは、リーズもアーシェラもよく知っていた。


 明日が来ても、来年になっても、何十年たっても…………お互いが離れないように、気持ちを確かめ合い、誓いを交わす。


「ただいま、シェラっ♪」

「おかえり、リーズ」


 家の前で唇同士を重ね合わせるリーズとアーシェラ。

 もう離れないと交わした約束は、もはや何物にも立つことは不可能だろう。

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