9話「魔力はキスの味」






   9話「魔力はキスの味」




 自分が魔女になる事よりも独りになるのが怖かった。

 そう実感した時に、空澄は自分がいかに寂しがり屋なのだと知った。



 涙を拭い、少し恥ずかしさを感じながら空澄は希海の胸元から顔を離し、ゆっくりと顔を見上げた。



 「もう大丈夫か?」

 「………ごめんなさい。いい大人なのに泣いたりして。何か恥ずかしいな……」

 「いいさ。大人だってそういう日もある」

 「………うん。ありがとう。ちょっと、顔洗ってくるね………」



 そう言って、空澄が彼から離れて、ソファから立ち上がろうとした。けれど、希海がこちらに体重をかけてきたので、バランスを崩し、空澄はソファに戻りそして、仰向けに倒れてしまった。



 「ちょっ………どうしたの?希海………ふ、ふざけているの?」



 希海に押し倒されるような体勢になり、空澄は驚きながら彼を見つめた。

 先ほどは泣き顔を見られたくなく、希海の表情を見ることが出来ていなかった。だが、首をあげて自分の胸に倒れ顔を埋めている彼を見ると、驚いたことに希海の顔は真っ青になっていた。



 「希海っ!?どうしたの………?あなた、顔が………もしかして、体調悪いの?」

 「………悪い………鴉の時と人間の時の魔力が溜められる量が違ったみたいで………今、ほとんどの魔力がなくなってしまったんだ。………だから、ちょっと眩暈しただけだ」

 「そんな………どうすればいいの?」



 冷や汗をかいて苦笑しながら話す希海を、心配しながら見つめた。魔力の事はよくわからないが、彼が苦しそうにしているのはわかった。

 魔力をあげる方法があるならば、教えてもらえればやりたいと思った。



 「寝てれば治るけど………その間、この家の結界が心配だな…………」



 希海はしばらく独りでブツブツと呟いて何か考え込んでいた。けれど、その後にジッと希海を見つめた。

 虚ろな瞳だが、何か真剣なものを感じとり、空澄は「何か思い付いた?」と、質問をした。すると、彼は少しだけ顔を上げて、頷いた。



 「1番いい方法がある。………おまえの魔力を貰うことだ」

 「私の魔力?……それならいくらでも使って!希海がそれで元気になるなら。私、まだ魔力なんて使えないし………だから………」



 空澄が言葉を言い終わる前に、希海は体を起こし、そして空澄の顔に近付いた。


 

 「……じゃあ、遠慮なくいただくけど……怒るなよ」

 「………ぇ………っっ………ーーーー!」



 視界が暗くなり、次に感じたのは唇にぬるりとした冷たい感覚だった。

 希海にキスをされている。


 それがわかり、空澄は目を大きくした。そして、彼の胸を強く押そうとするが何故か力が出ない。その間も、彼は空澄の口を食べるように口を開いてキスを繰り返してくる。空澄はただそのキスに翻弄され身をまかせるしかなかった。

 久しぶりに感じる唇を合わせる感触。それは、とても甘くて全身が気持ちのよい痺れを感じさせていた。それと同時に体の力が抜けていく。これは彼に骨抜きにされているのか、魔力を吸われているからなのか、空澄にはわからなかった。

 とろんとした瞳のまま、時折見える彼の深海の瞳がギラギラと輝いているのを見つめた。綺麗だなとこんな無理矢理のキスをされているのに思ってしまう。




 息苦しさを感じ始めた頃、希海はようやく空澄から唇を離した。

 唾液で濡れた唇を舌でペロリと舐め、そして「ご馳走さま」と、微笑んだ。そんな希海の表情は、先ほどの真っ青の表情が嘘のように、明るくなっており、肌もツヤツヤだった。


 全身の力が抜けてしまった空澄はソファに沈みながらボーッとしながら元気な希海を見つめた。



 「………何で、急にキスなんてするの?希海のバカ………」

 「空澄がいくらでも使ってっていうからだろ」

 「だからキスっておかしいでしょ?」



 本当は怒りたいのに、そんな力も出ないまま無力感を出したまま話を続ける。きっと、彼は自分が怒っているとは全く思ってないだろうな、と空澄は感じていた。



 「魔力を貰うためには、体液を貰うんだ。唾液とか血液、汗とか………まぁ、エッチな体液とか?」

 「…………希海ってエッチだったんだね」

 「違うだろ!だから、魔力を貰うためにキスしたんだ。おかげで元気にはなったけど………今度は空澄がヘトヘトか。そんなに沢山貰ってないんだけどな」

 「……………」

 「少し返すか?」



 唇を指さして、ニヤニヤした笑みを浮かべながらそう言う希海に「けっこうです!」と、返事をしてそっぽを向いた。そんな様子を見て、クスクスと笑う彼の声が聞こえたが空澄は無視をして目を閉じた。

 鴉の時はずっと一緒にいたとはいえ、人間の姿になって初めて会ったのに、キスをしてしまうなんて、恥ずかしすぎて彼の顔を見る事が出来なかった。キスしなければいけない場面だったとしても、大胆な事をしてしまったなと、空澄は顔が赤くなるのを感じた。



 「じゃあ、しばらくここで休んでろ。いろいろあって疲れただろうし」

 「あ…………」



 そう言うと、希海はリビングにあった大判のブランケットをソファで横になる空澄の体に掛けてくれた。

 そして、希海の頭を撫でる。時折彼の手が額に当たり、それがとても温かくて気持ちよかった。


 「子ども扱いしてるでしょ?」



 止めて欲しくないのに、ついそんな事を言ってしまう。けれど、その気持ちは彼にはお見通しのようで、希海は「そんな事ない」と笑いながら言い、その手を避けてくれる事はなかった。


 すぐに瞼は重くなり、彼の体温を感じて空澄はまた眠りについた。「おやすみ、空澄」という、優しい声を聞こえた。

 これで怖い夢は見ない。そんな風に空澄は思った。









   ★★★




 空澄から小さな寝息が聞こえてきた。

 起きている時は常に緊張していたようだったが、寝顔はとても安らかだった。

 そんな彼女の無邪気な子どもらしい寝顔は昔から変わることがないなと、希海は思った。髪を撫で、そのまま柔らかな頬に触れれば、気持ち良さそうに手に顔を押しててくる。猫のような仕種に思わず微笑んでしまう。



 

 そんな穏やかな時間はすぐに終わりを迎える。



 「無粋な奴は何処の誰だ………」



 ため息と共にそう呟き、希海は重たい腰を上げた。

 外からカツンカツンッと足音が聞こえる。今は朝方で、やっと出勤の人並みも落ち着いた頃だがこの足音がけがやけに響いて聞こえた。

 魔力を持った者だと、希海はすぐにわかり早足で玄関に向かった。


 空澄の両親が亡くなった後、この家を守るために使い魔である希海が結界をはって守っていた。魔女の素質がある空澄がいつ魔力を使っても誰からも襲われないようにするためだった。

 そのために、なるべく彼女が出掛ける時も見守るようにしていたのだ。



 そして、彼女が魔力を使った途端に沼で追ってきた奴もいる事から、すぐに彼女が魔女になったのは広まったのだろう。力を持つ前にとやってくる者は多いはずだ。

 あいつかもしれない。

 そう思い、警戒しながら玄関のドアを開けた。


 するの、結界ギリギリの門の前に姿勢正しく立っている男がいた。


 真っ黒な軍服を着た、銀髪の男だった。

 身長は希海より低めだが、堂々とした雰囲気があるからか、大きく感じてしまう。

 鋭い視線で希海を睨み付けていた。



 「あなたは誰ですか。何故、この家に入れている?」

 「その軍服は警察の魔王か。犬がどんな用件だ」



 希海が腕を組んで笑みを浮かべながらそう言うと、軍服の男は更に苛立った表情に変わった。



 「………その瞳………わかりました。魔女の使い魔。呪いの鴉の、黒鍵家の者ですね。やっと呪いが解けたとは、おめでとうございます。大変でしたね」



 見下すようにクスクスと笑う軍服の男に、希海は内心では激怒していたが、ここで喧嘩しても意味がない。男の言葉はグッと飲み込んで、冷静に対応する事にした。

 この男がここに来た理由を知る必要があったのだ。



 「さすがは警察さん。すぐにわかるとはお見それしました」

 「この結界はいつもより強くなっていますね。………花里の魔力が使われてる。やはり彼女は魔女になったのですね」

 「やはり犬は鼻が利くな。……その通り、彼女は魔力を使った。けれど、魔女になるかはまだ決めてないんだ。決まったら、警察にお邪魔するさ」



 軍服の男の話で、ここに来た目的がわかった。空澄が魔女になったかを確かめに来たのだろう。純血の魔女が誕生すれば、魔女達の間では問題にもなるはずだ。

 希海は男を見据えたまま、心の中でため息をついた。



 「………そうですか。純血として立派に育つといいですね。………それまで無事だったら、ですど」



 冷たくそう言い捨てた軍服の男は、冷えきった笑みを見せた後、すぐに背を向けてその場から帰っていった。

 希海はその姿を見送り、足音が聞こえなくなるまで玄関で男が立っていた場所を強い視線で見つめ続けた。



 「あいつは俺が守る。………だから、ずっとここに居たんだ」



 誰の耳に入る事のない言葉をもらし、希海は力強く手を握りしめた。

 言葉通り、彼女を守りきると誓いながら………。






 

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