第15話 待機命令

「はい」


 のんのが勢いよく右手を上げた。

 倉橋課長はジッとのんのを見つめ、一言だけ「ダメです」と言った。


 かれんの供述では、取り引きは毎月第一日曜日の秋葉原の、歩行者天国の路上ということであり、今週の日曜日がその日にあたる。張り込みの人数を調整することになり、のんのが真っ先に手を挙げて希望したのであるが、秒殺で却下されたのだった。

 なにしろ顔も知らない裏社会の連中であり、そんな場所へ将来の幹部候補生を行かせて怪我でもしたら、という倉橋の気持ちもいたしかたなかろう。


「先日から秋葉原の所轄とも連絡を取り合っているが、以前から同じようなタレコミはあったらしく、どうやらまるっきりのガセネタというわけでもなさそうだ。当日までにあの辺を仕切ってる奴らと思われる写真をいくつか用意しておくから、その辺は必ず頭に叩き込んでくれ。しっかり頼むぞ」


 倉橋が捜査員を鼓舞して捜査会議はいったん解散となる。


 不満げになかなか席を立たないのは、張り込みに行かせてもらえないのんのだ。


「ほら、日暮警部補。立ちましょうよ」


 山根が水を向けると渋々立ち上がる。


「だってさあ、仕事でアキバに行けるんだよ。ずるい、あの人たちだけ!」

「だから、仕事で行くんですから、ずるいって言っても仕方ないじゃないですか」

「だってえ……」


 のんのがほっぺをふくらませている。これではまるで駄々っ子をあやしているみたいだと山根は思ったのだった。


「おい、山根。三課からお前も張り込みに出るからな」


 振り向くと、そこには倉橋課長が後ろを歩いてくる。


「やった。わかりました」


 張り切って返事をしてふと隣を見ると、のんのが鬼の形相で睨んでいた。もうほとんど涙目のようにも見える。


「いや、その、命令だから仕方ないですよね。せっかくの日曜日に。あーつらいなあ」


などととぼけて見せても後の祭り。席へ帰るまで一言も口を聞いてもらえなかったのだ。


 ⌘⌘


 席へ帰ってしばらくすると、刑事課から写真が回されてきた。今回のバックにいくつか考えられる組織の構成員のメンバーと思しき顔写真だ。


「自分、見当たりって苦手なんすよねえ」


 写真を見ながら山根がこぼしていると、隣からのんのから、「見当たりってなあに」と質問があった。少しは機嫌も治ってきたらしい。


「見当たり捜査と言って、写真とかを見てその人相、目つきを覚える捜査手法ですよ。そうやって記憶して街とかを歩きながら、指名手配犯とかを探すんです。その道のスペシャリストもいるし、この頃は専従斑もあるくらいです」

「ふーん」


 気のない返事をしながら、のんのも写真を何枚か手にしている。


「自分、ホントこういうの苦手で。人の顔ってなかなか覚えられないんすよ。もう格好が変わっただけで別人に見えちゃうくらいで」


 少し自虐的に笑ってみせた。すると、のんのがその中の1枚の写真を手に取り、

「この人って、私たちが飛び降りた場所にいた人だよね」

と、さりげなく口にした。


「いや、さすがにあの騒ぎでしたから、見間違いでしょう」


と山根が言ったのだが、のんのは他にも3枚ほどの写真を手にしていた。


「ほら、これも。私、一度会ったことのある人の顔、忘れないよ」


 そう言いながら、山根の前に手にした写真を置いた。机に置かれた写真は30歳前後の日本人らしき男たち。髭面で目付きが鋭い。


「なんで人を見間違うの? 目つきなんて同じ人っていないじゃん。指紋よりはっきりしてる」


 それだけ言うと、「じゃ、帰るね」とのんのが席を立った。山根はのんのの言葉が気になって、机の上の男たちの顔をジッと睨んでいたのだった。

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