第9話 生活安全三課の秘密
ところで、東江戸川署の生活安全課には一課と三課がある。生活安全課とは市民の生活に密接に関係するような身近な問題と取り扱う部門であり、少年係、防犯係、保安係などに分かれて担当する。例えば、少年係は児童買春や夜間遅くに出歩いている少年たちの補導などを担当し、防犯係はオレオレ詐欺やひったくり、保安係は賭博やゴミの不法投棄などの公害問題まで取り扱う、私たちに一番身近な課と言ってもよい。
東江戸川署ももちろん同様であるが、先に挙げた諸問題を取り扱うのはこの署では一課である。他の警察署と同様、捌き切れないほどの案件を抱えており、課員がこれらの仕事に忙殺されている。
では、東江戸川署の生活安全三課は何をしているかというと、何も担当していない。いや、していないというと語弊があるのでもう少し詳しくいうと、実は将来の幹部となる人材を育てるために東江戸川署に設けられた人材育成の場所なのだ。
すでにお気づきの方をおられると思うが改めて紹介すると、警部補日暮のんのは将来警視総監にさえもなり得る、いわゆるキャリア官僚である。キャリアとは一般の警察官がまず巡査を拝命し、内部試験を受けて巡査長、巡査部長、警部補と昇進していくのに対し、おそらく司法試験と並び日本で一番難しい試験である超難関の国家公務員一種を合格した者が警察庁への配属を希望した場合には、拝命と同時にまずは警部補に格付けされるのだ。それだけ飛び抜けて優秀な人材ということになるのだが、逆にいうとほとんどが大学を卒業したばかりであり、社会適合能力など未知数ということでもある。
さて、この物語の主人公「美月のあ」こと日暮のんのである。通常のキャリア官僚が警察庁への配属を希望した場合、警察庁においてそのキャリアをスタートすることが多いのであるが、のんのは最初に警察庁に配属された後、なぜかすぐに東江戸川署の生活安全三課に配属された。
これに慌てたのは東江戸川署長である。なぜなら言うまでもなく、警察組織はガチガチの縦型社会であるからだ。つまり、現時点においては署長の方が階級は上であり、指揮命令権もある。しかし、キャリア官僚である日暮のんのはおそらく数年後には署長より上の階級に昇進していくのが確約されているのだ。彼女の取り扱いを間違えると、自分の警察官人生さえも危ういものとなるのだから、普通なら腫れ物扱いなのだが……。だが……。
警察庁から引き継がれた人事記録には驚くべき記載がある。
——令和◯年度国家公務員一種筆記試験において最優秀の成績
つまり、国の最難関試験の筆記試験を全国トップの成績で合格し、警察庁が三顧の礼で入庁を招請したらしい。ここまで読むとバリバリのキャリアを予感させるのであるが、さらに入庁後の面接記録によると、
——平成◯年高卒認定試験にて大学入学資格取得して東京大学入学後、首席にて卒業。
と記録が補完されている。ただ、さらに面接記録は続く。
——大学入学以前は中学三年からいじめを受け不登校となり……。
——17歳頃からコスプレに目覚めやっと引きこもりをやめ外出するようになり……。
そして、最後に人事記録の枠欄外に手書きの殴り書きで、
——なんとか、社会常識を身につけさせて欲しいのです。なんとか頼みます。
と震えた文字で書かれていたのだ。
そして配属された生活安全三課は、課長は一課の倉橋が兼職となり、課員は今のところ、日暮のんの一人なのである。署長の憂鬱も致し方ないのだ。
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