一月十三日/ギャラリーA

 (西の山のうえにあるギャラリーAでのできごとに関して、見出しにその旨を書く。)


 スペインはマヨルカ島から、糸杉シプレスかみさまがやってきた。かの国でつくられた精油が、このたびの媒介である。

 ……まだ匂ってはいけませんよ。手にとって、目を閉じて。ゆっくり、顔のほうへと近づけてみてください。あなたが香りを感じるところまで、ゆっくり……。

 いま、わたしの手のひらに置かれたどんぐり帽も、海をこえてきたのだ。この小さな天然の帽子のなかに、糸杉のエッセンスが落とされている。

 ひとりひとつ、聴衆にどんぐり帽を渡して歩く宝飾家兼彫金師が、友人とつくりあげた作品の一部分。それは本来、ペンダントにおさめるかたちの、香りのしずくである。

 ……みなさん、お手元に届きましたか。ではどうぞ……。

 彼のパートナーが通訳として語りかけている。わたしも言われたとおりに匂ってみる。呼吸。また呼吸。と、鼻さきに、訪れたこともないマヨルカ島が触れた。

 晴れやかな島々の、岸壁は紺碧を絶つ。明瞭。ひかる草々。糸杉が爽やかな香りとなって、こどものせいの、素足のいろで駆けぬける。

 訪れたこともないマヨルカ島は……わたしに蓄積された思いでから、ひと呼吸のうちに立ちあがった。訪れたこともないその島を、どうしてか懐かしくおもった。……


 香りというものは、ちいさなちいさな粒として存在する以上のできごとを、わたしにやりとりさせる。それは非常に名づけがたい、たまらない気もちである。

 ただ、ただあの清らかな素足のいろを、いつまでも忘れずにありたいとおもう。


 夜。西の山のうえに流れ星を見た。……

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