Aへのメッセージ〜京都アニメーションのこと

安納にむ

 どうしても君(A)に読んでほしいと思い、このメッセージを書いた。



 君は2019年の7月、『京都アニメーション』というアニメ制作会社のスタジオに放火して何十人もの人を殺し、傷つけた。

 犠牲になったのはその会社の社員さんである、監督やアニメーター、スタッフの人たちだったと報道で知った。



 今さら説明するまでもないけれど、この京アニがつくる作品はどれも人気があって、世界中にファンがたくさんいる。

 僕も10年ぐらい前に、小説が原作の『涼宮ハルヒの憂鬱』というテレビアニメがきっかけで、このスタジオのことを好きになった。

 当時、僕は映画を専攻する芸術大学の学生だった。

 映画が大好きで、将来は漠然と映像に関わる仕事に就きたいと思っていた。

 実写の映画ばかり見ていた僕にとって、京アニがつくるアニメーションはとても新鮮に映った。

 特に『ハルヒ』を初めて見たときの感動は今でも忘れることができない。

 夢想家で傍若無人なヒロインの言動に振り回される男子高校生の学園コメディと思いきや、実はそのヒロインには自分の願望を実現する能力があって、そのせいで宇宙人や未来人や超能力者が登場し――という奇想天外な筋立てに心を奪われた。

 合計6時間ぐらいあるテレビアニメ1クールを、僕はほとんど一気に見た。原作にはまだアニメ化されていないエピソードがあると聞いて、早く続きが見たいと思った。こんなにもひとつの作品に夢中になったのは、映画を見始めた中学生以来のことだった。

 それから僕は、京アニがつくった作品を片っ端から借りてきて浴びるように見た。

 京アニ以外のアニメ会社の作品も面白いのかと思って、興味の湧く作品はなんでも見た。

 素晴らしい作品はあったけれど、他のスタジオのアニメを見れば見るほど、僕は京アニの魅力に取りつかれていった。

 キャラクターの心情を反映した芝居の細やかさ。

 物語やエモーションを効果的に表現した巧みな画づくり。

 そしてほとんどの作品に通底する、人間の存在を前向きに肯定するような優しいまなざし――。

 それらが僕を魅了してやまなかった。

 今思い返せば、僕はアニメーションの表現の面白さ、美しさ、豊かさを京アニから学ばせてもらったように思う。


 進路選択のタイミングになって、僕は考える間もなく京アニの採用試験を受けた。結果は不採用だった。憧れの会社の一員になれなかったことは残念だった。


 でもその後、僕は紆余曲折あって映画をやめて小説に転向したのだから、あのとき採用されなくてよかったのかな、とも思う。

 それから僕はプロを目指して小説を書き、京アニは変わらずヒット作品を何本もつくっている。

 執筆に割く時間が増えるにつれ、僕はだんだんと京アニの新作を見ることは少なくなっていった。

 けれどもたまに過去の作品を見返したり、ネットで京アニがどんな作品を手がけているかチェックしたりすることはあった。

 それはまるで何年も会っていない友達のことを思い浮かべるような――ずいぶん一方的なたとえだとは思うけれど――、そんな感覚に似ていた。

 ときどき、どこかで京アニがつくる新作の情報を耳にする。今度は今まで手がけたことのない作品に挑戦しているらしい。予告編を見て「へえ~面白そうだな! 京アニもがんばってるんだな。僕も小説がんばらなきゃ」――そんなふうに言うと、偉そうに聞こえるかもしれない。

 でも僕にとって、京アニとその社員さんたちはアニメの面白さを教えてくれた恩人であり、尊敬と憧れの対象であり、そして旧友のような、そんな存在だった。




 そんなある日、君はあの事件を起こした。



 あの日から今まで報道などで見聞きしたことは、僕の想像なんて及びもつかないような、悪夢のような内容だった。




 被害に遭った人たちやその周りの人たちのことを思うと……何を言おう?

 何と言えばいいのだろう?

 かける言葉がない。

 見つからない。

 どんなに心を尽した慰めやいたわりの言葉も、悲惨な現実を前にするとすべてが無力に思えてしまう。

 無念とかお悔やみ申し上げますとか、負けないでがんばってくださいだとか、言葉にかける気持ちに偽りはないはずなのに、全部が薄っぺらく空疎なものに聞こえてしまう。

 ただただやるせない。

 あまりの惨たらしさにため息しか出てこない。

 こうして事件について思い出していることが苦しくて仕方ない。

 事件の報道を目にしては、その非情さに胸が張り裂けそうになって叫びたくなる。

 いくら気を紛らわせても、テレビ越しに見たおぞましい光景が脳裏に焼きついて離れない。

 できるものなら、すべてなかったことにしてほしい…………。




 さっき京アニと僕とのことを書いたからわかるとおり、僕は事件の当事者じゃない。


 社員さんの知り合いだとか、一緒に作品をつくったことがある関係者の人でもない。

 かと言って、自分をファンの代表だなんて思ってもいないし、事件を取り上げて注目を浴びたいわけでもない。


 だから正直に言って、このメッセージもはっきりした目的があって書いているわけじゃない。どうしてこれを書くのか、人に読んでほしいと思うのか、自分にもよくわからない。


 ただ、僕は自分のやり場のない気持ちを、君に聞かせてやりたいだけなのだと思う。

 そして、君に少しでも抗いたいからなのだと思う。



 君のしたことは人の道にあるまじき行為であるのと同時に、アニメや小説など表現をする活動への冒涜だと僕は思う。

 人はみんな好きなように絵を描いていいし、物語を書いていいし、歌っていいし踊っていいし、演じていい。自分の思ったことを自由に表現していい。

 それは住みたい場所に住んだり、好きな人と交際したりする自由と等しくて、この国じゃ憲法でその自由が保障されているぐらいだ。

 ましてや君が暴力を振るった京アニは、アニメーション制作会社という表現をなりわいにする人たちが集まる会社だ。

 多くの人たちが見て、感動し楽しめるようなモノを作品としてつくっていた人たちの場だ。

 きっとそこは人を喜ばせたいという善意にあふれた、素晴らしい作品をつくりたいという気概と熱気に満ちた、自由で貴い空間だったはずだ。

 それを君はぶち壊した。

 報道によれば、君は小説を書いていてそれを盗作されたから放火したのだという。

 だったら、なぜ、と僕は思う。

 君が本当に小説を書く表現者なら、アニメーションという同じ表現をする人たちとその空間を暴力で踏みにじろうだなんて、どうしてそんな蛮行を思いつく?

 そして、なぜそれを実行に移す?

 仮に、君から小説を書くためのペンや原稿用紙を一方的に取り上げて「金輪際、小説は書くな」と言ったら、君はどう思う?

 なぜだ、と憤るだろう?

 表現をする人間なら、表現の自由を妨げられることがどんなに苦痛で不愉快なことか、理解できたはずだろう?

 それなのに、なぜ君はあんな恐ろしい暴挙に出た?

 なぜ、あんなことをしなきゃいけなかったんだ?

 他に、何か理由があったのか?

 君の人生について、僕は微塵も知らない。

 同情を引くような惨めな境遇にいたのかもしれない。

 その欝憤を晴らしたいというのが、本当の動機だったのかもしれない。

 もしそうなら君の身近に、君の話を聞こうとする人がいなかったことが残念でならない。


 でもどんな理由だったにせよ、僕は君の振るった暴力に屈したくない。

 自分も小説を書いたら何かされるんじゃないかと、臆病になりたくない。

 自由に表現することをためらいたくない。

 僕は小説を書き続けたい。

 そして京都アニメーションには、どうかアニメを描き続けてほしい。

 そう思って、僕はこのメッセージを書いている。



 君がもし文字を読めるほど回復したのなら、ぜひこれを読んでほしい。




 僕は絶対に君の暴力に負けたくない。


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