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桜咲優

第1話 白いカベ

 私はコーヒーを片手に書斎のデスクに座っている。机の上には本が一冊。

 その本をゆっくりと開く。そこには何もない。

 ただ、真っ白なページが広がっているだけ…………




 けたたましく鳴り響く目覚まし時計の音と共に、少女の声が聞こえてくる。しばらくするとそれに振動が加わる。横に揺さぶられる体の感覚。お世辞にも気持ちの良い目覚めとは言えない朝が、今日もやってきた。

 目を開けると、いつも目にする天井。目を横に向けるといつものように怒った様子の少女が俺の顔を覗き込んでいる。

「兄さん、いい加減に起きてよ!ご飯が冷めちゃうから!」

 言うまでもなく、この子は俺の妹。

 お節介で口うるさい彼女は、今日も俺を叩き起こした。

「うぅ、もう朝か……」

「そう、もう朝だから、早く起きてよ。食器が片付けられないじゃない!……兄さん?どうしたの?」

「いや、変な夢を見たような気がして……」

「兄さんの見た夢なんて知らないよ!ほら、早く起きる!でも、いい夢ほど忘れるって言うし、いい夢だったんじゃないの?」

 そう妹に言われ、それもそうだとベッドを後にする。机に準備された朝食をとるため席に着く。

「もう、今時実の兄にご飯を作ってあげて、ベッドまで起こしに行く妹なんてそうそういないからね!感謝してよね、もう」

 いつものように感謝を強要してくる妹に、俺は答える。

「ああ、感謝してるさ。こんなに料理が上手くて可愛い妹なんてそうそういないよな、ありがとう」

「……そ、そこまで言えとは言ってないでしょ!もう」

 まあ、妹は見ての通りちょろい。確かにこんな恋愛ゲームに出てくるようなのような妹はそういないだろう。

「もうこんな時間か……」

 時計に目をやると、登校の時間が迫っていた。俺は朝食を食べ終え、制服に着替える。今日もまた、バラ色とは言い難いただ時間を過ごすだけの学生生活が始まるのかと思うと気が滅入るが、家にいたところでやることはない。

「兄さん!早くしてよ!遅れちゃうよ!」

 階下から妹の声。遅れそうなら俺を放って先に行けばいいものを。

「わかった、すぐ行くよ」

 学校指定の通学カバンを手に取り、玄関へと向かう。背を向けて座っているわが妹。

「遅いよ、兄さん。遅刻しちゃうじゃない」

「ごめんごめん」




 俺たちの通う学校までは徒歩十五分ほど。家を出てからはそれほどでもなかったものの、学校に近づくにつれ同じ制服を着た人たちがまばらに登校している。正門が見えてきた。

 正門では風紀委員会が服装チェックを実施している。正門に差し掛かると、何人かの女子生徒が「スカートが短い」だの「身だしなみに気をつけろ」だの注意されているのが聞こえた。僕たちはもちろん、模範的学生であるからして、注意されることはない。

 校舎の正面玄関に着く。靴を脱いで上履きに履き替える。

「じゃあ、またね。兄さん」

 一年生のわが妹は東棟の最上階、二年生である俺は西棟の三階へと向かう。

 いつもと変わらず騒がしい教室。だが、いつもと違う雰囲気の騒がしさだ。どこもかしこも会話で騒がしいというより、ざわざわしている。何かあったのか?そう思うが、数秒で「どうでもいい」との脳内決議がなされる。窓際の一番後ろ、自分の席に座ると、風のようにどこからともなく一人の男子生徒がこちら向きで前の席に座った。

「おいおい、聞いたか、かなで

馴れ馴れしく下の名前で呼ぶこいつは、中学のころからの「知り合い」。名を古室哲平こむろてっぺいという。主語のない問いに、僕は黙って無視する。

「隣のクラスに転校生が来るらしいぞ」

 転校生?どうでもいい。ましてや隣のクラスの話だ。まったく関係ない話だ。

「その転校生、超絶美人らしいぜ」

 そんな情報どこから仕入れてくるんだ。隣のクラスの超絶美人転校生の話など、まったく関係もなければ興味もない。

「どうにかその子とお近づきになれないかなー」

「無理だろ、お前じゃ」

「おい、ひでーな。そういうお前は気にならねえのかよ」

「まったく」

「おいおい、花がねえなぁ。そんな色味のない学生生活で楽しいか?」

 意外と核心を突いてくるな。楽しいか、と問われると楽しいとは言い難い学生生活だが、かといって色ボケするような学生生活もどうかと思う。

 しばらくこの男のくだらない話を聞き流していると、担任が入ってきてホームルームが始まった。古室はそそくさと自席へと戻る。これから決して楽しいとは言えない一日が今日も始まる。昨日と代り映えのしない景色が、目の前に広がっていた。




 この小説を書くにあたって、私の経験は少しも反映されていない。だが、この小説のような生活を送りたいとも思わない。今日もコーヒーを片手に、何もない壁を見つめて文章を考えるだけ。私の生活に色を加えるとしたら、この壁だろう。四六時中私に見つめられているこの壁に感情があるなら、どのようなことを思っているだろうか。たぶん、こうだ。

「こっちを見るヒマがあったら続き書けよ」

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