第12話 涙の理由は
事務所に帰り着いた頃には、既に夕方になっていた。ドアノブに手を掛けて振り返る。リンゴは大丈夫だろうか、と彼女の顔を覗き込む。
「どうしたの?」
意外にも、彼女の表情はいつもと変わらない。
いや。
正確には、変わらないように見える、だろう。
何も思わないはずがない。それでも、彼女は街の子供とは違う。青色地区で育ったのだ。魔法少女の玩具を親にねだる市街の子供とは違う。
「ただいま」
「た、ただいま?」
俺に続いて、リンゴが言った。しかし、出迎えが無い。
「詩姉、寝てんのか?」
すると、屋上の方から声が聞こえて来た。
「二人とも、おかえり!」
俺達も屋上に出てみれば、詩は大きな鍋に、ホースで水を注いでいるところだった。
「……詩姉。何してんの?」
「これ、食べようと思って!」
詩が、足元のスイカを持ち上げる。彼女の顔よりも大きな、立派なスイカだ。縞も黒々として、鮮度が良さそうだ。
詩は氷と一緒に、スイカを鍋の中に放り込む。ついでに、トマトとキュウリも浮かべる。この野菜は、カラス退治のお礼として貰った物だ。俺はキュウリを一本、引き上げると齧りつく。パキリッ、と小気味いい音がする。
「……旨い」
冷たくてシャキシャキ。青臭いのだが、採れたてだからか、嫌じゃない。むしろ、爽やかだ。
詩が、氷水からトマトを掬い上げると、濡れた赤い実に唇を重ね、カプリと齧りとる。
「……ん。美味しい。証、マヨネーズ取って」
「かけすぎんなよ」
「リンゴも食べなよ。味噌と一緒に食べると、凄く美味しいよ」
差し出されたキュウリを、リンゴは律義に両手で持って齧る。彼女の耳と相まって、どこか小動物みたいだ。
「畑のおじさん、喜んでたよ」
詩が得意気に言った。
「そうだな」
俺はキュウリを齧りながら答えた。
日が暮れようとしている。一日の終り。屋上からは、そんな街の様子が見渡せた。蚊取り線香の匂い。渦巻の形から立ち上る煙が、鼻をくすぐる。何処かで、虫が鳴いていた。リリリ、と澄んだ涼し気な音を奏でる。こんな夕暮れも、悪くない。
「詩姉。そろそろ、行っとくか?」
「行っときます?」
ソワソワし始めた俺達を、リンゴは交互に見た。
「……なにするの?」
「「スイカ割!」」
「すいかわり? ……もしかして、えっちなこと?」
「「違う!!」」
詩と俺が叫んだ。
「あー、スイカ割ってのは、目隠ししたまま」
「やった方が早いよ」
待ちきれなかったのか、俺の説明を詩が遮った。ハンカチでリンゴに目隠しをする。
「怖く無いからね」
そう言って詩は、リンゴの手を取ると、その場でくるくると回る。ダンスみたいに。俺はそんな光景を横目に、スイカを持ち上げると、適当な場所に置く。
「詩姉。準備できたよ」
「うん。それじゃあ、リンゴ。これ」
鉄パイプをリンゴに渡す。
「これ、なに?」
「目隠ししたまま、そのパイプでスイカを割るの。パイプを一回振ったら交代。上手く割れたら、その人がスイカの一番美味しい所を食べられるの」
リンゴが目隠ししたままで、コクコクと頷く。
「大丈夫。場所は声で教えるから。右だよ、右」
スイカが有るのは、リンゴから見て左だ。早速、嘘を教えている。これがスイカ割の楽しさでもあるのだけれど。
その時、リンゴが舌打ちをした。
詩が驚いて、俺の服を引っ張る。
「今の何⁉」
「舌打ちだろ」
「リンゴが⁉ 証がぶっきらぼうだからだよ! 真似しちゃったんだ!」
「酷い言い掛かりだな……」
ちぇっ、ちぇっ、ちぇっ。
リンゴが定期的に舌打ちを繰り返す。舌打ちを繰り返しながら、真っ直ぐにスイカに向かって歩いて行く。
「……いや。これは、
「何それ?」
「音の反射で、物の位置が分かるんだ」
リンゴは舌打ちの反射を聞いて、スイカの位置を把握していた。
生まれつき盲目の人間は、誰に教わるでもなく、この技術を身に着ける場合が有るらしい。極めて稀な例だが。
その時、パコンッ、と小気味良い音がした。リンゴが振り降ろした鉄パイプが、まさにスイカを捉えていた。
「うそ?」
詩が驚く。
「あいつの耳、かなり良い」
耳の位置が、少しばかりずれているだけだと思っていた。しかし、違ったらしい。目隠しされたままで、スイカの位置が分かるくらいに、彼女の聴覚は優れていた。
「リンゴ凄い!」
彼女は首を傾げていた。
詩が驚く理由を、分かっていないらしい。
「そうか……」
リンゴは、自分の五感が特別であることに気付いていない。彼女は人を避けて生きて来た。だから、普通の人間の、五感の性能なんて知らないのだ。
危ういな、と思う。自分が特別であることを知らないのは、危うい。その特別さが、良い意味だとしても。そのうち教えなければ。
考え込んでいると、不意に袖を引かれた。
「証。早く切ってよ」
詩が俺の事を急かす。
「ああ。スイカ」
リンゴの一撃は、いかんせん非力だった。改めて、包丁でスイカを斬り分ける。リンゴは、塩でスイカが甘くなることが不思議だったらしい。かけ過ぎて、逆に塩辛くなっていた。慌てて水を飲む。
突然、頬に、ペタリ、という感触。手を当ててみると、ヌメヌメした黒い粒が有った。ギョッとするが、よくよく見るとスイカの種だ。
「詩姉。止めてくれよ……」
横を向けば、口をすぼめた詩が居た。ぷっ、ぷっ、ぷっ、と種を勢い良く飛ばして来る。俺も、お返しとばかりに種を飛ばしてやると、
「わっ!」
本気で避けられたので、少し凹む。
「じゃあ、詩姉は、コレ、やらないんだな?」
わくわく花火セット。
物置で発掘した。おそらく、前の住人が置いていったのだろう。
「花火だ!」
詩が目を輝かせた。リンゴはそれが何か分からず、首を傾げていた。
既に、日はドップリと暮れていた。見渡せば、街の灯り。その光が疎らなのはここが
青色地区だから。手持ち花火を一本抜き出すと、穂先を指で摘まむ。
分子の運動量の揺らぎを利用して、局所的な高温を造り出す。ちょっとしたライターの代わりだ。数秒後、鮮やかな火焔が噴き出す。青白い火花の濁流。驚いたリンゴが、詩の背後に隠れる。
「心配すんなよ」
手に持った花火を、少しばかり揺らしてみる。
「何ともないだろ? ほら」
俺が差し出した手持ち花火の端を、リンゴは恐る恐る持った。火を点けてやる。プスプスと黒い煙が上がり、すぐに火焔が噴き出した。これは黄色の閃光だ。
「うわっ! うわっ!」
炎から遠ざかりたいけど、花火を手放すこともできず、リンゴは精一杯手を伸ばし、首を後ろに逸らしていた。
「大丈夫だって。熱くないだろ?」
ぽん、と彼女の背中に手を置いてやる。
「綺麗だろ?」
「…………うん」
リンゴは手に持った、炎の花を観賞していた。しかし、数秒後、その寿命が来る。彼女は残念そうな顔をして、俺の事を見上げる。
「まだ一杯有る」
「ほら! リンゴ! 見て、見て!」
手持ち花火を両手に持って、詩がくるくると回る。回りながら笑う。吹き流れる、火花と亜麻色の髪。
「危ないから、あれは真似すんなよ。……何で残念そうなんだよ」
山のように有った花火は、いつの間にか無くなっていた。
「夏、満喫した」
詩が言う。
「そうだな。始まったばっかりだけどな」
「今日は良い日だったね。人助けもできたし」
そう言って、詩は笑う。良い笑顔だった。この生活も悪くない。金は無いけど。
最後は、大きな筒型の花火を残すばかり。
「それじゃ、火、点けるぞ」
導火線に、指先でそっと触れる。
ジリジリと火花を散らし、導火線が短くなっていく。
そして、爆ぜた。
堰を切ったように溢れ出す火花。彗星の尾のように、とめどなく流れる。
「綺麗だね」
詩が言った。リンゴは頷く。
「……きれい。……とっても、きれい」
リンゴは独り言のように、言った。そんな彼女に、詩は訊き返す。
「でも、どうして泣いてるの?」
リンゴは泣いていた。嗚咽を漏らすこともなく、ただ、さめざめと泣いていた。迸る火花を、風が揺らす。それを見つめながら、リンゴは、流れ出す涙をそのままにしていた。
「ともだちができた」
「うん」
「だけどしんじゃう」
嗚咽交じりにリンゴは言う。
「すいか、おいしかった。はなび、きれいだった。でも、しんじゃう。……ミユは、しんじゃう」
死に行く友。しかし、自分は死なない。それどころか、こうして美味しい物を食べ、花火に興じている。生存者の
「何が有ったか、答えて」
詩が言った。その冷ややかな声は、俺に向いていた。
リンゴは自分の失言に気づいて、伺うように俺を見る。手の平を見せて、「気にすんな」と合図を送る。
初めてできた友達が死のうとしているのだ。事実を受け止めるのも辛いだろう。それにも関わらず「言うな」と釘は刺した俺の方が悪い。
しかし、俺は答えた。
「何も無いよ」
「嘘」
「嘘じゃない。本当に何も無かった。俺たちに関係のある事は、何も」
花火が止んだ。
「何が有ったか言って」
「言ったら、首突っ込むだろ?」
「助けられる人がいるなら、助けるよ」
詩がそう答えるのに、一切の躊躇いは無かった。
「なら、言わねえよ」
「証」
「俺たちに助けられる人間は居ないって言ってんだよ。手に余る」
「やってみないと分からない」
詩は、チラリとリンゴを見た。それから、キッと俺を睨む。言葉なんて無くても、彼女の意図は汲み取れた。
目の前で泣いてる女の子がいる。それを放って置くのか。
詩が言いたいことは、おおよそこんな所だろう。しかし、俺は答える。
「だから何だよ」
何が有ったのか教えてしまえば、詩は一人でも、麻酔を守りに行ってしまうだろう。考えを曲げない彼女に、俺はしびれを切らして言った。
「分をわきまえろよ。万象律なんて使えても、何もかも思い通りに出来るわけじゃない。俺たちは、神様なんかじゃない。そもそも、詩姉は律術士一級の免許すら持ってないじゃねえか。ろくに万象律も使えない奴に何が出来る?」
流石に言い過ぎたかと、言ってしまってから思う。詩は口をキッと結び、目の端には涙を蓄えていた。それでも、彼女は震える声で言う。
「……嫌だ」
何故、誰かを助けることに、彼女はここまで情熱を燃やすのだろうか。
いや。
その答えは、多分、俺も知っている。
かつての仲間たちだ。
まだスラム暮らしだった頃、俺達は一緒にゴミを漁っていた。僅かな食べ物を等しく分け合い、寒い夜は身を寄せて眠った。俺と詩以外、全員、死んだけど。
詩が誰かを助けるのは、自分達だけ生き残った事に対する、贖罪なのだろうか。
彼らの面影が、詩を駆り立てるのか。
ずっと、詩に言えないままでいた事が有った。
それを、俺は言った。
「今更、詩姉が何人助けたところで、あいつらは帰って来ない」
「……証、それ、本気で言ってんの?」
詩が凄む。一瞬、空気が凍ったのかと思った。俺は気圧されながらも、答える。
「……本気だ」
今更、退けない。退く気も無い。
「う、うた! あかり!」
その時、リンゴが叫んだ。俺達の間に割って入る。精一杯、勇気を振り絞ったのだろう。声が震えていた。しかし、俺は首を振る。
「お前さんのせいじゃない。いつか詩姉とは、けりをつけないといけない問題だった」
「そうだね」
詩が頷く。
俺と詩の視線が交錯する。
「何が有ったか、聞かせてよ」
詩が言う。
「助けに行かないなら、教える」
俺は答えた。
最終確認は済んだ。このままだと平行線が続く。
まるで敵でも見るような目で、詩は俺の事をにらむ。
そして、言った。
「久しぶりだね。本気で喧嘩するの」
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