貧乏晦日

シンセミア

貧乏晦日

「ええ、ごめんください、ごめんください。開けておくんなさい」


「誰だい、この大晦日の夜に俺ンちの戸を叩く奴は」


「へい、実はあたくし貧乏神でございまして」


「貧乏神!?」


「ええ、確かに貧乏神で。ではこうして名乗りましたし、この戸を開けて早いとこ中へ」


「おいおい嫌だよ。貧乏神と知って中に入れる馬鹿がどこに居るんだい」


「ははあ、道理ですな」


「嫌だと言われても暢気なもんだね」


「まあ、随分長いこと貧乏神をやっておりますから、これぐらいは慣れっこです」


「とにかくそういうわけだ。俺ン家に入るのはあきらめてくんな」


「そんな意地悪言わずに入れてくださいよ。いいこと教えてあげますから」


「いいこと?」


「へえ、実はこの後疫病神と死神もこちらを訪ねてくることになっておりまして」


「もっと嫌だよ!!」


「おや、嫌ですか」


「なんでちょっと不思議そうなんだい。そんな縁起でもないのが揃ってやってくるなんて冗談じゃないよ」


「まあまあ旦那、ちょっと落ち着いて話を聞いて」


「ようし、入って来れないように戸板に板を打ち付けといてやる……まだ居たのかい。聞く話なんてないよ!」


「聞いといたほうがいいですよ。死神はそんな戸板なんてぶち破って入ってきますからね」


「えっ、そういうもんなのかい」


「あいつ毎日鍛えてて乱暴だから。来るとなったら戸だろうが床だろうがぶち破ってドカーンと」


「嫌なこと聞いちゃったなあ」


「そこであたくしがお役に立つわけです」


「貧乏神が何の役に立つって言うんだよ。どうせ俺を貧乏にしちまうんだろう」


「へい、そこは貧乏神ですから……ただですね旦那。一軒に住み着ける神は一人だけと決まってるんでございますよ」


「へえ、そういうもんなのか」


「神様が喧嘩をするからお守りをたくさん持っちゃいけないよ、なんて話を聞いたことがあるでしょう。神って言うのは縄張り意識が強いんです」


「つまり、お前を家に入れといたら、疫病神や死神は入ってこられないと、こういうことかい」


「へい、まさにその通りで」


「ああ、なんで年末だってのにこんな話を聞かなきゃならないんだろうね。紅白でも見て蕎麦でも食って、のんびり正月を迎えようと思ってたのに」


「お、いいですな年越し蕎麦。あたくしの分も作ってくださいよ」


「図々しい奴だな全く……さっき話、確かなんだろうね」


「へい、あたくしが先に入ってれば、あとの二人は入って来られません」


「嫌だなぁ……どうしようかなあ……」


「よけいなお世話かも知れませんが、早く決めたほうがいいですよ。あの二人足が早いですからね。来年も皇居マラソンに二人揃って出るんだって準備も余念がなく」


「ああもう、しかたねえなあ……ほら、入りな。そのかわり確かに頼んだよ」


「へへへ、ありがとうございます」


「へえ、貧乏神ってのはこんな顔してるんだねえ。もっと汚らしいものかと思ってたよ」


「汚らしいのは疫病神ですよ。あいつ人を病気にしなきゃいけないから」


「うへえ」


「貧乏神は貧乏なお宅にずっと住むんですから、健康が命綱です。そうなると汚い格好はしてられないでしょう」


「解ったような解らないような」


「では早速おじゃまします……うわ、汚ッたねえ家だなあ」


「入ってくるなりなんて言いぐさだい。まあ、確かにしばらく掃除もしてねえんだが」


「貧乏神が言うんだから相当なもんですよ旦那。年越し蕎麦食う前に、少し片づけちまいましょうか」


「おいおい、勝手なことするんじゃないよ。ベッドの下を漁るんじゃあない」


「どうせ掃除しに来てくれる彼女も居ない男やもめなんだ、かまやしないでしょう」


「ひどい事言う奴だね、傷つくよ俺だって」


「まあまあ。その替わり、今日の掃除はあたくしがやったげますよ。旦那は蕎麦の方をお願いします……おっと、その前に」


「なんだい?」


「あたくしが今入ってきた戸に、鍵をしっかりかけといてください。何せ貧乏神がいるんです。うっかり泥棒に入られるかもしれませんからね」


「盗られて困るようなモンはないけど、そうするかあ」


     ◇◇◆



「おや旦那、今年も除夜の鐘が鳴りますよ」


「早いねえ、ほら、蕎麦ができたよ」


「へへへ、旦那の蕎麦は相変わらず旨そうだなあ。いただきます」


「いただきます……しかしなんだね」


「はい?」


「お前が上がり込んでもう十年になるけど」


「そんなになりますか」


「なるんだよ……だが案外、なんとかなるもんだねえ」


「旦那、良く働きなすったもの。むしろ前より羽振りが良くなってるんじゃないですか?」


「貧乏神がいるんだもん。稼がなきゃ貧乏になるのは解ってるもん。そりゃ稼ぐよ」


「稼ぐに追いつく貧乏なし。あ、七味取ってください」


「はいよ……まあ、おかげで毎日忙しかったが、このご時世に切れずに仕事があったのは、有り難かったねえ」


「貧乏暇なし」


「毎日へとへとだが、家に帰ればカカアが居るし、子供もたくさんできて、毎日にぎやかで」


「貧乏人の子沢山」


「調子に乗って諺並べてるんじゃないよ、お前は」


「へへへ、すみません……まあ、なんですよ」


「うん?」


「なんとなく自分は貧乏にならないと思ってるとか。貧乏を嘆いてなにもしないとか。そういうのはすぐ貧乏にやられて潰れちゃうんですがね」


「まあ、そういうものかもなあ」


「そうするとあたくしはその度寒空に放り出されて次のお宅を探さなくちゃなりませんから。旦那みたいに来るぞと構えて頑張る人は有り難いですよ。貧乏にしてもしても果てがない。こうして蕎麦も食わせてもらえるし」


「複雑な気分だけど、お前が来なきゃ俺もなんとなく貧乏にゃならねえだろうと思ってただろうしな。今の俺があるのは、お前のおかげもあるのかもなあ」


「おっ旦那、そういう諺もありますよ」


「あるのかい」


「へい。貧は世界の福の神、ってね」


「福の神とは大きく出たね。お前がいなきゃせずにすんだ損があることも忘れちゃいないからね」


「へへへ、除夜の鐘が鳴ってる間は、忘れといてくださいよ」


「蕎麦も伸びるし、そうするか。酒でものんで、テレビを観て」


「で、あたくしがお相手すると」


「カカアは呑めないし、子供はさっさと寝ちまうしな」


「酔いつぶれるまではお相手しますよ……おっと、その前に」


「なんだい?」


「もう一度、戸締まりを見ておきましょう。貧乏人の子沢山。今のあんたにゃ、盗られちゃまずいものがあるんですからね」


(おしまい)

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貧乏晦日 シンセミア @yume1153

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