年越し

「お疲れさん!」

 皆に声をかけ、もう既に忍装束から解放されている部下に安堵の息を漏らした。

 年明けのその日ノ出から長だけは忙しくなる。

 本当に一瞬。

 その一瞬を愛しき旦那と過ごしたい。

 そう思っているのにも関わらず主の声がこの名を呼んだ。

「此処に。」

「夜影、ご苦労であった。今年もありがとうな。」

「あんた様も、お疲れさん。今年も生きて終われるなんてね。」

 その笑みにもう一度安堵した。

 部下の無事、主の御言葉とその心への安堵。

 あと一つ、感じたいものがある。

 それを読まれたかふと笑われた。

「良いぞ。才造も待っておろう。心底、な。」

「……まったく、あんた様ってのは。御言葉に甘えさせて貰うとするよ。伝説級の良き年を。」

「あぁ。」

 一礼し、その場を後にする。

 待っているであろう旦那の元へ駆け足で行く。

 その途中、酒を手にして。

 少し近くまで来てから足を止め、歩くことにする。

 駆け足で来ただなんて恥ずかしくて。

 静かに開けて、その背中を見つめる。

 その背中にこの背中を預けたあの時を思い出す。

 あんなに安心して頼ることなんて、あんた以外に有り得ないんだよ。

 そんなこと、言えやしないんだけど。


 ふと振り向くと、酒を片手に立ち尽くす夜影がいた。

 どうやら終わったらしい。

 その表情は何かを思い出しているようだった。

 何かを言いたげで、でも言えないと唇を噛んでいる。

「来い。終わったなら。」

 言われるまでそこに立ったままなのかというほどにその瞳が揺れた。

 言われるのを待っていた、のかもしれない。

 ゆるりと歩いてきて隣に腰掛け酒をそこに置く。

 杯を差し出すから受け取った。

「一年て…早いもんだね。」

「…こうも必死に駆けていればそう感じるのも仕方ないな。」

 酒を口に含んで笑ってやる。

 切ない声が震えて語る時の流れは重みがあった。

 夜影には常に人と違う感覚で生きている。

 己の一年が人の一年と違うのだと。

 だから毎年泣きそうな顔をしている。

 これがまた、忍だからこそ余計に重い。

「夜影。」

 ワシがつけた名を名乗るお前の本当の名を知りたい。

 そして、その名で呼んでやりたい。

 偽りであるかのような気分になりそうだ。

 杯を落とし夜影を抱き締める。

 頭を撫でてやって、互いの鼓動に耳を澄ませる。

「才造、来年も、ちゃんと…。」

「ああ。来年もまた。だから、泣いてくれるな。」


 その様子を見て安堵を覚えたのは頼也だった。

 夜影の口から音の無い「幸せ」という言葉を読み取り、もう不安はない。

「頼也?」

 伊鶴が不思議そうに首を傾げた。

 頼也の心はただ親友が幸せになることだけが望み。

 それが確認できて嬉しいだけだ。

 普段は笑まない口が僅かに笑んでいることに他の十勇士は笑む。

 頼也はそっと離れ座った。

「頼也も苦労だったな。」

「何が。」

「長の為に才造の背中押し。」

 言われて溜め息をつく。

 なにかと才造をからかったりしていた理由は既に皆も把握していた。

 才造を挑発することで夜影へ向かわせるとは誰が思い付くだろうか。

 頼也だからこその方法ではあるが。

「で、最後まで見届けなくていいのか?」

「もういい。影が幸せなのはわかった。」

 少しだけその目を向け、口を緩ませた。

 才造と夜影が盛り上がりそうなところでもう誰の目にも一切触れないように閉めに立ったところで伊鶴が酒を中心に置いた。

「生真面目な伊鶴が酒なんて珍しー。」

「酔わない程度には飲む。それに、お前らも飲むんだろう?」

「まぁな!」

「任務納めしたしな。俺も飲むか…。」

 冬獅郎までも酒に手を伸ばした。

 静かなる宴の向こう側では、武士の方も年越しに話を弾ませている。


 甘えるように才造に顔を埋めている夜影の忍装束を器用にほどき、着物を羽織らせる。

 酒はもうそっちのけだった。

 あと少し。

 夜影が静かに「幸せ」と言葉を転がしたのを読み取り、息をつく。

 どうせなら、この時間がいつまでも続いてくれていい。

 全ての時のを止めて、夜影の一年に手をかけて。

 夜影が幸せだと言う度にそう思ってきた。

 それでも時は流れゆく。

 夜影がいるというだけでいい言えるのに、どうしてだかその夜影が幸せそうにすればするほどにそれこそが幸せなんだと感じている。

 収まらないほどに膨らむそれをどう片付けていいのかわからない。

「邪魔をしてくれるな。」

 近くに虎太が居るのが気配でわかった。

 その気配に何の気持ちがあるにしろ、この時間は奪わせない。

「才造…。」

 夜影のその先の言葉はものの見事にワシを貫いた。

 単純な短い音。

 それが、堪えきれないほど…。

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