第16話 社畜とビュッフェ

翌朝。

 ドリスさんが用意してくれたベーグルとチーズを、皆で食べた。

 

「理瀬ちゃん。今日は宮本さんと、どっか行きなよ」


 最初に切り出したのは、篠田だった。


「えっ……?」


 理瀬は驚いていた。この後俺たちを見送る予定だったので、食事中もどこか浮かない顔をしたままだった。


「今日は、二人でグランドキャニオンの方に行くんじゃなかったんですか?」

「その予定だったけど、雪降って危ないから。ほら、私、栃木にいた時も雪降ってると危ないからどこにも出かけなかったし、ちょっと怖いんだよね」

「じゃあ……宮本さんと二人で、どこか散歩でも行けばいいですよ。私は今日、式田さんの大学に連れて行ってもらう予定なので、気を使わなくても大丈夫ですよ」

「だったら宮本さんと一緒にその大学行きなよ」

「ええ……」


 理瀬は混乱していた。俺のことはもう完全に篠田のものだと認識しているのか、頑なに拒否していた。


「あのね、理瀬ちゃん。私と宮本さんはこの先ずっと一緒だけど、理瀬ちゃんと宮本さんはしばらく会えないでしょ。だから遠慮しないで、今日は宮本さんと二人でいてもいいから」

「いいん、ですか? 宮本さんはそれでいいんですか? 新婚旅行ですよ」

「俺も迷ったんだが、篠田がそうしろって言って聞かないんだよ」

「そうそう。私は一人でもなんとかなるから。ね?」


 最後まで、理瀬は解せない表情をしていた。九時過ぎに式田さんが迎えに来るというので、俺と理瀬はさっさと着替えて、外出の準備をした。

 式田さんに事情を話すと、「そうですか。いいですよ」と簡単に言われ、俺もついて行くことになった。

 式田さんの車はスバル・レガシイだった。車中でそのことを話題にした。


「日本車なんですね」

「うーん。特にこだわりはないんですけど、このへん雪が降るからスバルの四駆が人気なんですよ。アメリカでは日本車がけっこう普及してますし、特別ではないですね」


 言われて見ると、道行く車は半分くらい日本車だった。日本では外国車をめったに見かけないのとは対照的だった。

 車の話がよくわからない理瀬は、ぼうっと車外を見つめていた。

 式田さんが勤めるコロラド大学ボルダー校は、さすがアメリカというだけあってかなり広いキャンパスだった。まだ雪が残っていて寒いのに、若い学生たちが広場でフリスビーをしていた。そんな様子を見ながら、式田さんの研究室へ向かった。

 研究室の雰囲気は、日本の大学と似たようなものだった。パソコンや実験装置が雑多に転がっていて、その間に学生がいる。学生は三人いたが、中国系アメリカ人と韓国人、それにブラジル人で、アメリカ人はいないらしかった。


「アメリカでは理系大学ってあんまり人気ないんです。頭いい人はみんな経営者になりたがるから。それに理系の学問に関してはアジア系の人たちが向いているところもあるから」


 式田さんが解説してくれた。

 理瀬は式田さんの知り合いと紹介され、その学生たちと英語でコミュニケーションをとっていた。その間、俺は式田さんの教官室に通され、二人で話していた。


「ちょうど良かったです。あなたには理瀬の様子をもう少し聞きたかったので。日本での理瀬の様子はどうでしたか?」

「ああ……ちょっと周りから浮いていて、馴染めていないところもあったみたいです」


 俺は、理瀬の情報を隠さず伝えることにした。この先は式田さんが親代わりになる。理瀬は弱っても自分からは言わない子だから、そばにいる式田さんが機敏に感じ取らないと、俺がいた時のようにフォローできない。


「なるほど。能力が高すぎる子にはありがちな事ですね。日本の学校。本当につまらなかった。クラスという閉鎖的な空間に閉じ込められて、その中の世界しか知らないから」


 式田さんと理瀬には似たような雰囲気があったので、彼女がそう言うのは納得できた。


「ええ。でも、バイトを始めてみたりして、自分から社会性を鍛えた事もあるんですよ。学校でも、何人かのお友達がいたみたいですし」

「そうなんですか? 意外ですね。まあ、社交性が高くて損する事はないですから。ずっと勉強するより、そういう訓練の方が役に立つかもしれないですね。あの子、ものすごく頭いいから」

「理瀬はそんなに優秀なんですか?」

「あの子、うちの大学の学部どころかマスターの入試問題もさらっと解けるんですよ。優秀な和枝の娘とはいえ、一体どんな頭の作りになっているんだか。私なんかよりずっと能力は高いです」

「そうだったんですか。じゃあ、成績の心配はないですね。研究室の学生ともうまく喋れているようだし、もう、何も問題ないのかもしれない」

「強いて言うなら、あなたとの失恋の壁を超えられるか、ですけどね」


 式田さんにさらっと言われて、俺はコーヒーを吹きそうになった。


「……知ってたんですか?」

「カマかけてみたんです。どうやら図星みたいですね」

「まあ……その、色々あって」

「いいですよ、別に。詳しくはあの子から聞きます。背伸びしたがる女の子が、年上の男性に恋してしまうのはよくある事なんです。それで大切な青春を台無しにしてしまう女の子もいます。私としては、あなたが理瀬に手を出さなかったことを称賛したいくらいです」

「は、はあ……そう言ってもらえると、少し安心しました。理瀬といる間、とても悪いことをしている、という気持ちがどこかにあったんで」

「和枝の娘だから、私と違って色仕掛けで落としてしまうんじゃないかって思ったんですけど、流石にそこは受け継いでいないみたいですね」

「ま、まあね」


 俺は理瀬に激しく迫られて落ちそうになったことがあるので、苦笑いをした。


「あの子がここまで、あんな優秀に育ったのは、キャリアを捨てて日本に残り、理瀬を優先した和枝のおかげですから……私が責任を持って預かります。あとの事は心配しないでください」

「ありがとうございます。もし理瀬のことで何かあったら、俺に相談してくれれば話はしますよ」

「ええ。その時はそうさせてもらいます。まあ、一度ひとりで飛び立ったら、あの子はもう大丈夫だと思いますけど」


 その後、戻ってきた理瀬と一緒に、大学の食堂で昼食をとった。

 食堂といっても、日本の『学食』とはわけが違った。わずか8ドルでビュッフェ形式、つまり食べ放題だった。

 料理の種類も、パンやスープはもちろん、肉料理、魚料理、パスタ、東南アジア風の米料理など様々で、スシ・バーまであった。さらにデザートとしてドーナツやケーキを持ち帰ることもできた。何だこれは。さすがアメリカ。まあ、理瀬は少食だから持て余すだろうが。

 案の定、俺と式田さんが三皿分の料理を取ったのに対し、理瀬は一皿しか取らなかった。


「それで大丈夫なの?」

「はい。そんなに食べないので」


 俺は不思議に思わなかったが、大食なアメリカ人をいつも見ている式田さんは首をかしげていた。

 ちなみに料理は、正直まずかった。大味というか、食材に味が染み込んでおらず、全てソースと具材を別々に食っているかのような味。これが日本との食文化の違いか。アメリカ人たちは皆、うまそうに食っていたが。


「午後はどうするんですか?」


 食べ終わった頃、俺は式田さんに聞いた。


「理瀬から聞いてないんですか? この後は、和枝の墓参りに行く予定です」

「和枝さんのお墓? アメリカにあるんですか?」


 そういえば、葬儀のドタバタで和枝さんの遺骨があの後どうなったのか、全く知らなかった。


「お母さん、『死んだらあなたのそばがいい』って式田さんに前から言ってましたよ」

「ええ。その遺言の通り、遺骨はこちらに移させてもらったんです」


 理瀬が食事中、少し暗い表情をしていた理由がわかった。葬儀の後、理瀬と和枝さんが――物言わぬとはいえ――再会するのは、おそらくこれが始めてのことだ。

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