第15話 社畜と荒野

 飛行機は大きな遅れもなく、現地時間の昼過ぎにデンバー国際空港へ着陸した。

 篠田が機内で二回目の機内食を食べられず、お腹が空いたというのでまずランチを取った。日本でもあるバーガーキングだった。日本のものより、少し粗雑な感じがした。篠田はうまそうに食べていたが。

 それから俺たちは、理瀬が事前に調べていた大型乗り合いタクシーへ乗った。理瀬がこの先滞在するのは、デンバー市から車で一時間ほどのボルダー市だ。バスでも行けるが、乗り合いタクシーの方が理瀬の滞在先のすぐそばまで移動できるらしく、費用もそんなに変わらなかった。

 日本では見たことのない大型SUVで、俺たちの他には若い白人のカップルと、中年のアフリカ系アメリカ人の夫婦。最初にハローと言った以外は特に会話もせず、目的地まで無言のままだった。

 何もない、ハイウェイだけが走る荒野をひたすら走り、ボルダー市の住宅街へ到着した。

 車を降りると、目の前にある一軒家から、背の低い年老いた女性が出てきた。


「Hi,Lise!」


 そこから先は、理瀬が英語で会話していた。

 俺は親が教師で、これからは英語が大事だと教わって、小さい頃に英会話教室へも通っていたので、なんとなくニュアンスはわかった。日本人どうしの英会話とは違って発音がだいぶ違うので、ところどころわからない所もあったのだが、どうやら和枝さんの話をしているようだった。

 ちなみに篠田は英語が全くできない。ぽかんとして「あれ、わかります?」と俺に助けを求めていた。


「こちらがドリスさん。私がしばらくホームステイするこの家のオーナーです」


 理瀬が解説したあと、「This is Mr.Miyamoto, my mother’s dear friend」と俺たちのことを紹介してくれた。篠田は俺の妻だと言われて、少し恥ずかしくなった。

 ドリスさんとNice to meet you, という挨拶をして、俺たちは家の中に入った。

 理瀬は、ハイスクールを出るまではこの家でホームステイとして過ごす予定だ。血縁も何もない赤の他人が一緒に暮らすのは、日本ではとても敷居が高い。実際、理瀬と俺との関係がそうだった。しかしアメリカでは難なくホームステイという形で実現する。文化の違いが理瀬の環境をここまで変えるとは思わなかった。俺たちだけで理瀬の今後を考えていたら、絶対に思いつかなかった方法だ。やはり和枝さんの力はすごい。

 ドリスさんにお茶を出してもらって、俺達はしばらく、今後の理瀬の運命を握るキーパーソンの到着を待った。


* * *


ほどなくして、式田幸子という日本人女性がドリスさんの家に到着した。

 和枝さんの同期入社で、かつては和枝さんと同じくシルバーウーマン・トランペットのエースだった。しかし和枝さんが結婚したのと同時期に、「金融業に興味がなくなった」と突然宣言して退職。以降はアメリカに留学して宇宙に関する研究を続け、今はコロラド大学ボルダー校で教授を勤めている。

 和枝さんに負けないハイキャリアな女性で、「理系の研究職に就きたい」と希望する理瀬のお手本のような人だった。

 その肩書や、和枝さんが絶対の信頼を得ていることなどから、理瀬をこの先導く力は俺なんかよりずっと高いとわかるが、一応、一度会って話がしたいと式田さんから申し出があった。

 社畜風にいうと『業務引き継ぎ』だった。

 式田さんは長身の短髪で、モデルのような体型をしていた。ファッションにあまりこだわりがないのか、それともアメリカの文化なのか、仕事帰りだというのにジーンズ姿だった。

 お互いに軽く挨拶をしたあと、すぐ本題に入った。式田さんは忙しく時間がないから、と理瀬が言っていた。


「宮本さん。今まで理瀬ちゃんの面倒を見てくれてありがとう。まさか和枝が亡くなって、こんな状況になるとは思わなかったけど、そうなった時の準備は全部、和枝が手配していました。この先は安心して、理瀬ちゃんのことは任せてください」

「は、はい」


 理路整然と、早いペースで話す式田さんに、俺は気圧された。

 式田さんはその後、理瀬の今後のキャリアについて説明してくれた。

 理瀬はドリスさんの家に滞在して、現地のハイスクールに通う。それはアメリカの大学に入るためというより、文化に慣れるためだという。日本と違って、アメリカでは周囲の人間とのコミュニケーションが成立しなければまず生き残れない。

 理瀬はすでにコロラド大学へ入学できるほどの学力を有しているから、ハイスクールにしばらく通って、問題なければ大学受験をする。アメリカの大学は日本と違って飛び級での入学もありなのだ。

 あとは普通の大学生と同じように、一人暮らしで大学に通う。その先どうなるかは、本人が決める。

 資金面は、和枝さんの遺産や理瀬が仮想通貨で得た金を使えば全く問題ない。それに最悪、何かあったら式田さんが持ち出してもいいと言った。


「私は独身で、仕事以外に大した趣味もないから。親友の和枝の助けになるなら、何だってしますよ」

「和枝さんとは、すごく仲が良かったんですね」

「ええ。私がシルバーウーマン・トランペットを辞めて留学するって言った時、ちゃんと話を聞いてくれて、背中を押したのは和枝だけだったんです」


 和枝さんらしい話だな、と俺は思った。

 その後は、理瀬と式田さんがしばらく話していた。和枝さんが死ぬ間際のことをどうしても知りたかったらしい。理瀬もそのことを話すのはまだ辛くて、暗い空気になっていたので俺と篠田は一旦離脱した。

 家の外に出ると、雪がちらちらと降っていた。


「もう三月なのに、寒いんですね。コート持ってきてよかった」

「ああ……」


 実家の徳島は雪があまり降らないので、俺は雪を見ると異国に来たという実感が湧いて、かえって寂しくなった。

 外は暗くなってから、式田さんと理瀬は話を終えた。俺とは一応、連絡先を交換した。

 これで、理瀬をこの家に置いて、俺とはお別れになる。

 俺と篠田はボルダー市の郊外にある観光用ホテルへ移動する……はずだったのだが、ドリスさんがなにやら騒ぎはじめた。理瀬の通訳によれば、『今日は雪が降って危ないからここに泊まった方がいい』とのことだった。

 一軒家にドリスさんだけで、かつて彼女の子供が使っていた部屋が空いているから、スペースは問題なかった。それは悪いです、と俺は言ったが、せっかくの新婚旅行で怪我をさせたくない、とドリスさんは言い、なかなか折れなかったので従うことにした。

 なぜか用意されていた巨大な、鶏一羽ぶんのチキンを夕食で食べた。ドリスさんは世話好きで、理瀬の通訳と共に笑顔が絶えないディナーを過ごせた。

 食事が終わると、ドリスさんは寝るのが早いといって、さっさと寝室に入ってしまった。

 理瀬は、これからもずっと滞在する部屋へ、俺と篠田は今日かぎりの寝室へ向かった。一人用の部屋なのに俺の千葉のボロアパートより広かった。セントラルヒーティングが家中に効いていて少し汗をかくくらいで、居心地もよい。さすがアメリカ。

 俺も篠田も、時差ボケで眠くなっていた。シャワーを浴びたあとは、さっさと寝るつもりだった。新婚とはいえこんな場所で盛ろうとは思えなかった。

 同じベッドに入ってさあ寝ようと言う時、篠田が静かに話しはじめた。


「明日の朝で、理瀬ちゃんと会えるの、最後ですね」

「ああ……」


 急に寂しくなるのは、俺も、篠田も一緒だった。

 まだ実感はないが、これからは理瀬と会いたくても会えない日々が続く。

 俺は、そのことを思うと、少し体が震えた。式田さんという強力な『保護者』がいるとはいえ、これまで保護していた女の子を誰かの手に委ねるのは、とても不安だった。


「……明日、理瀬ちゃんと一緒にいていいですよ」

「……なに?」

「だから、明日は理瀬ちゃんと一緒にいていいですよ。私は適当にどっかで遊んでますから」

「いや、お前英語全然できないのにどうするんだよ。女が一人で出歩くのは危ないんだぞ」

「じゃあこの家でドリスさんと遊んでます。どのみち、今日降った雪のせいで明日は遠くへ行けない、みたいな話してましたし」

「なんで急に、そんなこと言い出すんだよ」

「だって、ドタバタしすぎて、理瀬ちゃんと、ゆっくりお別れできてないでしょ。このままの流れで明日の朝別れたら、なにか大切なことを言い残してるんじゃないかって……私の勘ですけど」


 俺は、新しい保護者を確保できた時点で、これ以上理瀬に伝える事はないと思っていたのだが、確かにまだ、もやもやしている所はあった。


「……いいのか?」

「いいです。来週からは私がずっとそばにいるんだから、今くらい、いいです」

「新婚旅行だぞ」

「もう。しつこいですね。やっぱりやだって言えばいいんですか?」

「いや……」

「ちゃんとお別れ、してください」


 そう言って、篠田は眠ってしまった。

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