第11話 女子高生と将来のはなし

 社畜、社畜と自分のことを呼ぶ俺だが、うちの会社はブラック企業じゃない。

 大手メーカーで社員数が多く、組合の力も強いため有給休暇の取得数が多い。年間十日以上は取れる。というか、取らされる。そうしないと管理職が労働組合に怒られるらしい。

 世の中は年間五日間の有給休暇取得義務化で揺れているが、ホワイト企業にいれば「えっ普通じゃね……他の会社どんだけブラックなんだ」とすら感じる。

 そんなわけで、俺は水曜のド平日に豊洲のタワーマンションで休んでいた。

 休暇を取れるといっても、業務量が膨大な中で無理やりねじ込むから前日はいつも遅くまで仕事をする。千葉のボロアパートに戻ろうと思っていたが、体力切れで理瀬の家にふらふらと帰ってしまった。

 何の用事もない朝。三月になった豊洲は、早くも少しだけ暖かい。俺はベランダに出て、隣の空き地の工事現場をぼうっと見ていた。すると理瀬も俺の隣にやってきた。


「なんの工事かわかるんですか?」

「……いや、なんでお前この時間に家にいるの?」

「今日の授業はあまり興味ないやつなので、家で自習してます」

「それ、不登校ってやつじゃないのか?」

「単位制だから、空き時間は自習室でいることもあるんです。どこで勉強しても同じですよ。それより、あれは何の工事なんですか?」

「ああ。でかいビルだ。多分またタワーマンションだろうな。まだ整地してるだけだが、杭打ちが始まったらめちゃくちゃうるさいぞ」

「杭打ち?」

「地盤を固めるために、でかい杭を何本も地面に打つんだよ。俺の会社で大型機器を設置する時は基礎工事が必要だから、それくらいは知ってる」

「そういう知識があるのって羨ましいです」

「投資で稼げる方が十分すごいと思うぞ」

「私、投資家になるつもりはありませんよ。早く宮本さんみたいにちゃんとした社会人になりたいです」


 俺がちゃんとした社会人か。まあ理瀬は俺の会社での姿を見ていないし、はたから見れば立派な大人に見えるのかもな。


「そういや、投資より勉強してる時間のほうが長いんだよな」

「はい。投資はあくまで世の中の流れを知るための副業で、本当はメーカー研究職を目指してます。理系科目が好きなので」


 さらっと高収入な業種を出してくるあたりが理瀬らしい。俺の会社選びなんか、就活でなんとか受かった今の会社にすべり込んだだけで、ひどいものだった。

 上級国民様は十代の頃から自分のあるべき姿を思い浮かべられるのだ。今の理瀬ほどの社会的知識が高校時代の俺にあれば、人生はもっと変わっていたのではないかと思う。高校時代に成績だけじゃなく将来年収の話とか、業種による忙しさの違いとかもっと教えてほしかったよね。


「宮本さんの会社も大手メーカーですよね?研究職はあるんですか?」

「研究所はあるけど、技術系の職種で優秀なヤツが行くところだから研究職での採用はないし、給料もそんなに変わらないぞ。電機メーカーの製品は大昔からのノウハウが多いから、新卒ですぐ研究なんてできないんだ。メーカー研究職なら半導体とか、生物化学とかじゃないか。知らんけど」

「なるほど。私も、早く社会人になりたいです。学生の時間は勉強するばかりで、バイトくらいしかお金を稼ぐ方法がないので」

「ああ、そうだなあ。何者でもないのは辛いよな」


 何気なく出た俺の言葉で、一瞬だがベランダの空気が変わってしまった。

 高校生くらいの若者は、今が楽しくて大学生や社会人になりたくない、と思うものだが。

 今の理瀬の気持ちは、学生時代に俺が思っていたことと一致したように感じた。

 ある程度勉強ができ、将来の高収入を約束された身でありながら、実はまだ何も生み出していないガキだという学生の身分を、若い頃の俺はどうにも上手く受け入れられなかった。

 勉強はだるかったが、サボるのは不誠実なこと。

 だから早く、行動と生産が一致する社会人になりたかった。

 そんなことを考えていると、理瀬がどこか不思議そうに俺を見ていた。


「宮本、さん?」

「ああ、すまん。今のは忘れてくれ」

「てっきりおじさんっぽく『バイトなんかしないで勉強した方がいい』って言うと思ったのでびっくりしましたよ」

「そう言うべきだったのかもな」


 理瀬の考えはどこか、俺に似ている。

 そう考えると、俺はこの数億円の資産をもつ女子高生から離れられなくなりそうだった。

 自分と考えが同じ女性ほど、一緒にいて心地よいものはない。

 豊洲の果てないタワーマンションの建設工事を眺めながら、俺はふと今の環境に恐怖を覚える。


「冷えるから戻ろうぜ」


 理瀬にそう言ってベランダからリビングに入ると、理瀬の携帯が鳴っていた。着信音からしてLINE通話の着信だ。理瀬は相手を確認して、だるそうな顔で応答する。


『理瀬!あんた今日も学校来てないでしょ!』


 江連エレンらしかった。かなりの大声なので俺にも会話が聞こえている。


「家で勉強してるわよ」

『学校でしなさい!』

「それだけ?なら切るけど」

『あっちょっと待って!実はあんたに、というかあんたの知り合いのミヤモトさんにお願いがあるんだけど』


 俺と理瀬は顔を見合わせる。俺を不審がっていた江連エレンが、俺にお願い?


「何のお願い?」

『実は、その……リンツとのことで相談が……』

「リンツ君ってあなたの彼氏よね。宮本さんとなんの関係があるのよ」

『直接関係はないんだけど、大人の男の人に恋愛相談したいのよ!ああもう恥ずかしいから言わせんな!理瀬のバカ!急だけど今日の夕方、宮本さんと会えない?』

「一応、予定を聞いとくわ」

『ありがと!決まったらまたLINEしてね!』


 江連エレンは涼宮ハルヒばりに一方的なお願いをして、通話をガチャ切りした。


* * *


 江連エレンが指定した場所は、理瀬の家だった。

 人の家にお邪魔するのは悪いが、誰にも聞かれたくない話だという。

 一人暮らしを始めた直後から、エレンは何度か理瀬の家に来ているらしい。ただ友達と『だべる』という概念がない理瀬はエレンをさっさと追い出そうとするので、最近は来ていなかったのだとか。

 俺は会社から帰ってきたサラリーマンを装い、理瀬の家に入り直した。理瀬と俺が二人きりになるのをエレンに見られたらまずい。エレンだって、三人いるから安全だと思っている。

 いつも二人きりなんだけどな。


「あっ宮本さん、お忙しいところすみません」

「まあ気にするな。ほら、食べな」


 俺がコンビニで買ってきた安いお菓子を渡すと、エレンは「わーありがとうございます!」と喜んだ。なんだ、面倒なヤツだと思っていたけど案外可愛いじゃないか。


「で、誰にも聞かれたくない相談ってなに?」

「実は……私の彼氏のリンツとのことなんですけど。あ、リンツってドイツ人とのダブルなんでそういう名前なんです。中身はただの日本人ですけど」

「喧嘩でもしたの?」

「そういうのじゃなくて……その……リンツと、手をつなぐところから先に進めないんです」


 エレンが恥ずかしそうに俺を見る。これ以上は言わせるな、ということだ。


「エレン。もう帰れば?」


 理瀬は呆れたようにため息をついた。


「まあまあ、せっかくここまで来たんだから、話くらいは聞くよ。リンツ君とはどこで知り合ったの?」

「私が合唱部の部長で、リンツが部内の指揮者なんです。あ、基本指揮は顧問の先生がやるんですけど――」

「えっ、エレンちゃん合唱部なの?俺もそうだったからなんとなく話はわかるよ」

「えーそうなんですか!確かに宮本さんテノールっぽい声してますね」


 予想に反して、打ち解ける俺とエレン。理瀬はむすっとしている。


「まあ、今は全然やってないけどね。部長と指揮者のカップルなんてすごくお似合いじゃん」

「よく言われます。実際、どっちかが告白したんじゃなくて部活のことをいろいろ話してるうちに自然と付き合ってたようなものですし。でも一応付き合ってるのにリンツは全然積極的じゃなくて、私から誘わないと一緒に帰らないし、デートもあまり行かないし、その、ほんとはリンツ、私に興味がないんじゃないかって」


 最近の若い子って、昔より『付き合う』の障壁が低いよね。

 十年前、俺が若い頃だと、誰かが告白したとか、付き合い始めたとかいう話は学校中の大ニュースだったし、一緒に下校するようなカップルも少なかったと思う。

 今の若い子は違う。そもそも男女間でコミュニケーションの障壁が少ない。よほどのコミュ障でなければ男女でも普通に話すし、男女混じった集団で下校する姿も普通に見かけるようになった。付き合うのも一大イベントというより、そこからシームレスに移行しているように思える。

 まあ、俺の地元が田舎すぎるので、都会の高校生はみんなそうなのかもしれないが。


「興味がないのに付き合ったりしないんじゃない?」

「それはそうなんですけど……うちの学校カップルとか結構多くて、逆に相手がいないと寂しい感じなので、とりあえず私と付き合ってることにしてるんじゃないかって」


 見た目からしてキラキラしているエレンだが、本当にリア充みたいだ。リア充の世界にいる時、人はリア充であることを自覚しない。


「エレンちゃんはどうなの?リンツ君のことは好き?」

「好きに決まってるじゃないですかもう!」


 エレンはなぜか隣にいる理瀬の肩を叩き、理瀬は本当に嫌そうな顔をしていた。


「なるほどね。で、エレンちゃんはリンツ君にどうしてほしいの?」

「えっ?」

「セクハラって言われるかもしれないけど、ものすごく極端な話、エレンちゃんはリンツ君にキスとかしてほしいの?」


 エレンの顔がかっと赤くなる。

 やべ、なんかナチュラルに話してしまったけど、事案じゃないかこれ。


「それはその……よくわからないです」


 幸い、エレンは俺の言葉をまともに受け取ってくれ、セクハラだとは言わなかった。


「自分から全部誘う必要はないけど、まずしてほしいことを決めて、そうしてほしいってちゃんと相手に伝えたほうがいいんじゃないの?」

「してほしい、って言うんですか?」

「そう。デートに誘うんじゃなくて、デートにつれて行ってほしい、って言ってみな。そうしたら相手が本気かどうかわかるよ。どんなに奥手な男でも、好きな女の子にはちゃんと答えようとするものだから」

「なるほど……それは考えてませんでした!宮本さん、ぱっとしないけど意外に経験豊富なんですね!」

「お、おう」


 経験豊富、というところで理瀬の耳がぴくりと動いた、ような気がした。


「もし上手くいったら、その、キスの仕方とか、雰囲気の作り方とか教えて……ああもう恥ずかしい!言わせないでくださいよもう!遅くなると親が心配するので今日は帰りますね!」


 エレンはまた理瀬の肩を叩き、さっさと出ていった。


「青春だなあ。常磐さんは青春しないの?」


 俺が言うと、理瀬はソファで横になり、愛猫・三郎太を呼んでごろごろしていた。

 ふて寝、のように見えた。理瀬のこんな態度は初めてで、少し不思議な感じがした。

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