第8話 女子高生とお母さん
豊洲のららぽーとを出たあと、俺と理瀬、エレンはそれぞれ別の方向へ帰っていった。
俺は少し迷っていた。江連エレンとの会話は、豊洲のタワーマンションで女子高生とサラリーマンが同棲するなんてありえない、と再確認したようなものだったからだ。俺と理瀬はエレンに対して、病気のところを助けたことや料理を教えたことは話せたが、今から同棲を始めるなんて言い出せるわけがなかった。
やっぱり、こんなことは早くやめて、理瀬とは縁を切った方がいいんじゃないか。
そう思いながら、理瀬に送るLINEのメッセージを決めかねていると、先に理瀬から送られてきた。
『先に戻ります。五分後くらいに戻ってきてください』
どうやら理瀬は、俺とのシェアハウスをやめようとは思っていないらしい。
置いてきた荷物や愛猫三郎太のこともあり、結局俺は理瀬の家に戻らざるをえなかった。
部屋に戻ると、理瀬はリビングで三郎太を膝にのせてぼうっとしていた。外出用の服のままで、なんとなくだが疲れているように見える。
「……やっぱり、一緒に住むのはまずいんじゃないか」
俺は理瀬の対面に座り、つとめて優しく話しかけた。
「どうしてそうなるんですか」
「俺と常磐さんの間だけで済めばいいけど、エレンちゃんみたいな同級生とかに知られたらまずいだろ。料理教える代わりに同じ家に住むサラリーマンだなんて言えない」
「私は変なことだとは思ってません。世間一般的には認められそうにないこともわかってます。でも、私はそうしたいんです」
「……どうしてそんなに俺にこだわるんだ?」
「宮本さんは、私を止めてくれるからです」
どうやら、やっと本音を言ってくれるらしい。
俺みたいなサラリーマンなんかと一緒に住みたいという本当の理由が、料理を教えてもらうとか猫がほしいとか、そんなしょうもない理由であるわけがない。
「……数ヶ月前の仮想通貨の異常な暴騰で何億円もの利益を確定させてから、私はどう生きていいかよくわかりませんでした。母の影響で投資を始めたとはいえ、それは将来の勉強のためで、普通の人が一生かけて稼ぐようなお金がいきなり手に入るとは思わなかったんです」
「普通はそういう時、親に相談するものだと思うけど」
「お母さんにはもちろん相談しました。でもお母さんは投資家で、仮想通貨の相場のことも知っていて『投資の世界ではたまにそういうこともあるから、運がよかったと思って好きに使いなさい』としか言いませんでした。お母さんは、私が当時あまり知られていなかった仮想通貨への投資という選択肢にたどり着いて、利益を得たことを評価してくれて、宝くじが当たったような幸運ではなく私の実力だと言ってくれました。それは嬉しかったのですけど」
少し辛そうに語る理瀬。三郎太がそれを不思議そうに見上げている。
「そのあとお母さんは『もうあんたは一人で生きていけるだけの財産があるから、あとの人生は好きにしなさい』って言って、アメリカのシルバーウーマン・トランペット本社に赴任したんです」
ここは俺の解せないところだった。
理瀬の母親はバリバリのキャリアウーマンとはいえ、高校生の娘を一人置いて海外に赴任するものだろうか。俺も共働き家庭で育ち、母親はそれなりに仕事をしていたが、俺が熱を出した時は仕事を休んで帰ってきてくれたり、どちらかというと家庭優先の生活をしていた。
だが中の下程度だった俺の家庭と、日本でも最上位クラスの理瀬の家庭では常識が違うかもしれない。高収入を得るためにプライベートが犠牲になるのは仕方ないことだ。理瀬は母親のことを悪く思っていないようだし、安易に母親のことを否定したら理瀬を傷つけてしまう。
だから俺は、黙って話を聞くことにした。
「お母さんがアメリカの本社に行きたがっているけど、私を育てるために諦めていることは前々から知っていました。初めての一人暮らしは不安でしたけど、早い子は十代で自立するし、なによりお金があるから多少の問題は解決できる、という理由で心配はしてなかったみたいです。家を買う手続きとか、保護者の同意がいるものだけ手伝ってもらって、私の一人暮らしが始まりました。その結果、私は体を壊して宮本さんに助けられました。はじめての一人暮らしは、想像していたよりずっと寂しいものだったので」
気持ちはわかる。
俺も大学生になって一人暮らしを始めた頃は、毎日のようにゲームや麻雀で友人と集まっていた。あの頃はただ単に遊びたいだけだと思っていたが、今になって思えば、みんな初めての一人暮らしが寂しかったのだ。
家族や友人と一緒にいられる居場所がなければ、人間は意外に脆いもの。
「今からでも遅くないから、お母さんに戻ってきてもらうことはできないのか」
「それも考えました。胃潰瘍の痛みがひどかった時はそうしようかと思いました。でも時々連絡をとってくるお母さんはアメリカの生活をすごく楽しんでいて、今まで私のためにこれを我慢していたのだと思うと、今更戻ってきてほしいなんて言えません」
「親に遠慮する必要なんかない。正直に今までのことを言えばいい。一人で言うのが辛いなら、俺も協力する」
「私は、私の力で今の自分をなんとかしたいんですよ」
理瀬の強い言葉で、俺はいままで理瀬に感じてきたものがわかったような気がした。
理瀬は、強い。
高校時代の俺とは比べ物にならないほどに。
ストレスに押しつぶされそうになりながら、それをはねのけようと抗っている。
なんとなく世間の流れに身を任せ、大学に進み、会社に入って社畜という敷かれたレールの上を走るだけの人生を送っている俺と、理瀬は根本的に違う人種だ。
そして俺が、理瀬から離れられないのは、ただ心配なだけではない。
俺のような社会に流されるだけの弱い人間と、理瀬のように『何かを持っている』強い人間が一体どう違うのか、この目で確かめたかったからだ。
「これでお母さんを日本に戻してしまったら、お母さんはアメリカで得られる大きな利益を失います。だから私が寂しく思わなければいいんです。そのために部屋を貸すという対価を払って宮本さんに住んでもらう。高校生が一人で生活していたらわからないことを教えてもらう。私はそれなりのコストを払って生活を立て直し、宮本さんは対価として会社近くの住まいを得る。お母さんの仕事はそのまま。私の考え、どこか間違っていますか」
理瀬の言葉がだんだん強くなってゆく。
俺は、会話の内容はどうあれ、理瀬が悲しむ姿を見たくなかった。
「いや。常磐さんの話は間違っていないよ。そこまで決意が硬いのなら、俺は常磐さんを応援する。しばらく俺はここに住むから、俺を頼ってくれていい」
「本当、ですか……」
「遠慮するな。常磐さんが考えたとおり、会社の近所に住めるというメリットは俺にとってすごく大きい。それに高校を卒業したら誰だって一人暮らしを始めるんだ。その時までに一人暮らしができるようになればいい。それでいいだろう?」
「はい……それまで手伝ってもらえると、嬉しいです」
理瀬は三郎太を抱きしめながら、弱々しくつぶやいた。その姿はまだあどけない、大人になれていない高校生の姿にちがいなかった。
俺はこの子から、普通の人間にはない何かを見つけられるのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます