第7話 女子高生とパンケーキ

「私、高校生なんですけど、同級生の友人が知らない成人男性に連れ回されています」


 女子高生っぽいポップな見た目とは対照的に、エレンはとても落ち着いた言葉で110番に事情を説明している。

 理瀬はエレンが何をしているのか、よくわからない様子だった。


「おい、俺たち通報されてるぞ?」

「あれ通報なんですか?」

「110番したら最初に事件ですか?事故ですか?って聞いてくるから通報だよ。なあ、あれ止めてくれないか?」

「警察に通報したらどうなるのか、興味あるんですけど」

「警察のお世話になんか一生ならなくていいんだよ!」

「この場合、お世話になるのは宮本さんですよね」

「確かにそうだけど!お前だって根掘り葉掘り事情聴取されるかもしれないからな!」

「それはちょっと困りますね」


 理瀬はエレンに近づき、とても厳しい顔でエレンを見た。落ち着いて電話していたエレンの顔が急に怯えはじめる。


「エレン。何度言ったらわかるの。私に許可を得ないで、私のことに手を出さないで」

「あっ……」


 俺にはわからないが、理瀬の宣告はエレンにとって心当たりのあるものだったらしい。

 女子高生が女子高生に言う言葉としては固く、事務的な言葉だったように思えたが。


「……ごめんなさい、いま話してみたらお兄さんと一緒に歩いてたみたいで……はい……私の勘違いです、申し訳ありませんでした」


 理瀬にすごまれたエレンは、急に語気を弱め、適当な言い訳をして通報をやめた。

 電話を切ったエレン。理瀬はなおもエレンをにらみつづけている。


「ごめんなさい、は?」

「……ごめんなさい」

「わかればいいのよ」


 何なんだろう。

 三十年近く生きてきた俺だが、女子のコミュニティについては理解できないところが多い。あいつら笑顔で話しながら、裏では明確なヒエラルキーが存在するというが、理瀬とエレンの会話はそのような感じではなかった。

 単純に、エレンにとって理瀬は頭の上がらない、偉い存在のようだった。


「でも、あんたが知らない大人の男と歩いてる理由は、ちゃんと説明してもらうんだからね!」


** *


「えっ、このパンケーキ食べてもいいんですか……?」

「いいよ別に。そんなの、若いうちしか胃袋に入らないからな。食べられるうちに食べな」

「ありがとうございますっ!」


 俺の存在に疑いしかなかったエレンは、豊洲のららぽーとのちょっと高めのカフェでパンケーキをおごる、と言うとあっさり落ちた。

 機嫌の悪い女の子には甘いものを。太宰治の『人間失格』から学んだ教訓だ。

 エレンは一人前二千円くらいのパンケーキセット、少食な理瀬はコーヒーとケーキのセット、俺はコーヒーだけ。低収入の社畜だが、後輩と女の子には奢るようにしている。相手がぱっとしないアラサー社畜おじさんでも、おごられて嬉しくない奴はいないからだ。


「で、なんであんなことをしたの、エレン」


 理瀬は依然として不機嫌そうだ。

 カフェまでの道中、エレンについて色々聞いた。本名は江連

えづれ

エレン、アメリカ人女性と日本人男性のダブル(エレンに釘を刺されたのだが、混血児のことを半分という意味のハーフと呼ぶのは日本人の悪い習慣で、本当はダブルと呼ぶべきらしい)。理瀬の母親とエレンの母親が知り合いで、理瀬とエレンは小学校から高校までずっと一緒に過ごしてきた。

 この説明で理瀬とエレンの関係はなんとなく予想できた。通報をやめさせた時、二人のやりとりはちょっとした友人どうしのものではなかった。そもそも深い仲の友人でなければ、相手を助けるために通報までしないだろうし。

 なんとなくだが、クールな理瀬とおせっかいなエレン、という凸凹コンビの姿がわかる。


「あんたが心配だったからよ。最近授業に出ないのは、変な男に捕まったからかもしれない、と思ってここまで探しに来たんだから」

「授業に出てないんじゃなくて、あんたの受けてるのと私の授業ではレベルが違うから一緒にならないのよ」

「うそ!選択科目はともかく、必修科目も出てないでしょ!」

「全部レポートとテストで単位取れる授業じゃない。十分で理解できることに五十分も拘束されるなんて嫌よ。本当に優秀な人はみんなそうしてるもの」

「ぐぬぬ……」


 理瀬が授業に出ていない、というエレンの最初の言葉を聞いて、俺は理瀬が不登校なのかもしれない、と心配したが。

 途中から、会話の内容が理解できなかった。

 高校なのに必修?選択?レポート出せばいい?俺の記憶にある高校は、小学校や中学校からの延長にある、クラスという閉鎖的な集団生活を目的とした日本社会の象徴みたいな学校しかない。


「なあ、横から申し訳ないんだけど、最近の高校って必修とか選択とかあるの?それ大学みたいだよね?」

「あー、おじさんはわからないかもしれませんね。うちの高校、単位制なんで」


 エレンは俺をナチュラルにおじさん呼ばわりする。つらい。


「全日制と違って、単位を取得すれば進級できるので、必修科目と選択科目のいくつか選んだのを受けるんです。単位制といっても必修科目をガチガチに固めてほぼ全日制みたいな高校もあるんですけど、うちの学校は特殊で、応用物理学とか経済学とかの専攻科目もあります。大学受験だけでなく、本当に頭のいい生徒を育てるのが目的らしいです」

「は、はあ」


 最近の高校すごい。おじさんついていけない。

 要するに大学と同じシステムのようだ。確かに、俺も大学の頃は出席とってない授業をすっぽかしたりしてたから、理瀬の気持ちはわかる。

 そのうちに料理が運ばれてきた。俺と理瀬は普通に食べたが、エレンは「やった!」と目を輝かせ、パンケーキセットをいろいろな角度から撮り、画像をしっかり編集してインスタに上げていた。

 早い。俺が若い頃は写メール(死語)で友人にすぐ送ったりしていたが、今はカメラも編集ソフトも高性能だし、インスタというSNSの進歩もある。これが現代の女子高生なのか……でもアピール行為に縛られているのは、昔から変わっていないかもな。

 エレンは撮影が終わると、楽しそうにパンケーキを切り分け、一口ずつ噛みしめるように味わっていた。女の子が甘い物を食べる様子は、時代が変わっても同じだ。


「理瀬!これすごくおいしいよ!一口食べてみる?」

「いらないわ。そんなに食べたら太るわよ」

「若いからいいの!」


 微笑ましい女子高生どうしの会話。癒やされると同時に、俺がここにいていいのだろうか、という気持ちもあり、とても複雑な心境になる。

 それを察したのか、エレンがはっと何かを思い出したかのように話しはじめた。


「パンケーキでごまかされるところだった!で、宮本さんは理瀬とどういう関係なんですか?」


 まずい。俺と理瀬がどういう関係なのか、そしてエレンにどう説明するのか、まだ決めかねているところだ。


「宮本さんは、学校の帰り道に私が風邪で倒れそうだったところを助けてくれたの。そのあと私の食生活が偏っているのを指摘してくれて、自炊の仕方とか買い物とかを教えてくれている。だからたまに二人で歩いてる。それだけよ」


 頭がいい子だとは思っていたが、理瀬の説明はさすがだった。

 胃潰瘍に侵されていたことや、俺と理瀬がシェアハウスをはじめたことはさらりとかわし、当たり障りのない説明に落ち着いている。


「ふーん。なんかありえそうな話ですけど。本当にそれだけですか?風邪で倒れそうだったのを助けたのは仕方ないですけど、料理教えたりするのは、理瀬に下心があるからじゃないんですか?」


 エレンはまだ疑っている。無理もないことだ。

 俺自身、理瀬に対する世話は行き過ぎていると、自覚があるのだから。


「エレン。それ以上宮本さんを悪く言うようなら、二度と口聞かないから」


 助けてくれたのは、またも理瀬だった。

 というより、理瀬はエレンに対してシンプルに怒っていた。

 理瀬とエレンは、傍から見て悪い関係には見えない。だが理瀬の確固たるパーソナルスペースにエレンが踏み込んだ時、理瀬は容赦なく攻撃してみせる。


「……ごめんなさい。理瀬が宮本さんを信頼しているのはわかったわ。でも、本当に心配だったんだからね?風邪で倒れそうなのだって、学校出る前に私に相談してくれれば、先生とか私のお母さんとかに頼んでなんとかできたんだから」

「あまり人に迷惑をかけたくないから」

「でも、今は宮本さんに迷惑かけてるじゃん。宮本さんだって社会人だし忙しいんだよ。そうでしょ?」

「お、おう」


 俺は生返事をした。理瀬のために否定したかったが、ここで「女子高生と一緒にいるのは苦になりません」みたいなことを言えば事案発生。

 煮え切らない俺の返事のせいか、理瀬は少し表情を曇らせる。


「誰にも相談せずに悩んでたら、また中二の時みたいに――」

「その話はしないで」


 エレンの言葉を、理瀬が強い言い方で遮った。


「私は大丈夫だから。エレンが助けてくれることも忘れてないから」

「……そう。ならいいけど」


 過去の話だ。俺が割って入るべき話題じゃない、と思う。


「よくわかんないけど、常磐さんはあまり悩みとか気軽に言えるタイプじゃないみたいなのは、俺もなんとなくそう思うよ。これからはもっと、学校とかでもよく話したほうがいいよ」

「そうですよね!全くもう、理瀬はいつもこうなんだから」


 大人っぽく、わかったようなことを言って場を丸く収めてやった。

 こういう時、大人は問題をわかっているのではなく、問題の深淵に踏み込みたくないだけだ。

 エレンは機嫌を直してパンケーキをおいしそうに食べはじめたが、理瀬は少し元気がない。

俺に裏切られたと思っているのかもしれない。でも仕方がない。俺はアラサー社畜おじさんだから、女子高生と百パーセントわかり会える場所には、もういないのだ。

この時の俺は、そう思っていた。

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