第13話 灰色髪の狼と軍神


 大陸暦2718年1月8日。

 ウィレ・ティルヴィア西大陸モルトランツ市庁舎

 現モルト・アースヴィッツ西大陸侵攻軍司令部。


「東大陸侵攻は3月。2月までに西大陸上のウィレ・ティルヴィア軍を一掃する」


 モルト軍参謀将校の声が、暗い会議室に響く。


 グレーデンは目の前に投影された立体地図を見つめ、腕を組んだ。布陣したウィレの残存戦力は一個軍に満たず兵力数にして数万。機甲兵力は無きに等しい。すでにモルトの手に落ちた宇宙衛星によって、ウィレ・ティルヴィア軍の全容解明も進んでいる。


 今後に思いを馳せるより早く、よく通る男声が響いた。


「元帥閣下、ご到着」


 モルト軍の黒い士官服を着た青年が扉の脇に立った。


「傾注」全員が踵を合わせる。


 軍靴の踵鉄の音が聴こえた。その音は徐々に大きく、近くなり、そして室内で止まった。グレーデンは音の主に向き直り、手を挙げて敬礼の姿勢をとった。


 身の丈七尺近い、黒地に金刺繍の元帥服を着た大男が、そこにいた。自身の上官であり、侵攻部隊"モルト機動軍"の司令官、ゲオルク・ラシン元帥であった。軍帽を乗せた頭部は豊かで硬い黒髪に覆われていて、研ぎ抜いた刀剣を思わせる厳めしい顔に長い顎髭がよく似合っている。


「くずせ」低い遠雷を思わせる声が響き、全員が休めの姿勢をとった。


 モルト王国時代から一千年に渡ってモルト民族の尚武の象徴であり続けたラシン家。その大当主であり、ブロンヴィッツに意見できる唯一の軍人。モルト軍内に身を置く人々は畏敬を込め、彼のことをモルトの軍神、あるいは風貌に例え、大鷹元帥と呼んでいる。


 その黄に近い茶色の瞳が、灰色髪の部下を捉えた。新兵であれば竦み上がるような眼光だった。


「具申せよ、グレーデン」

「侵攻の日程は把握しております。しかしまずはモルトランツの占領政策を優先すべきかと」


 モルトランツの旧市庁舎には占領軍たるモルト・アースヴィッツ機動軍の司令部が据えられた。戦火に焦げ付き、荒れた市街地でまともな施設と呼べるものは、この庁舎と市内のいくつかの学校、そして郊外の運動公園くらいだろう。

 今や市庁舎はモルト軍の西大陸制圧の象徴でもあり、その中でグレーデンが口にした"占領政策"が現状をよく表している。西大陸は最早モルト軍の掌中にある。


「理由を問う」

「北岸の残存部隊を攻撃するとなれば、主力部隊同士の正面からの激突となるでしょう。決戦の最中に西大陸の市民が蜂起ともなれば大事に関わりましょう」


 モルトランツ市民を十分に懐柔することに時間をかけ、その間に兵の英気を養う。急ぐ必要はないとグレーデンは説いた。


「後ろを脅かされる危険性は減らす必要がありましょう。それに―」


 灰色髪の指揮官は周囲に目を配ったうえで、ゲオルク・ラシンにささやいた。


「―ベーリッヒ元帥の到着を待ってから攻撃を掛けるべきかと」


 ゲオルクはグレーデンの看破に対して驚いた素振りを見せることはなかった。しかし厳めしい表情の口元を少しだけ緩めて頷いた。


「耳の早いことだな。それが理由か」

「本国筋から聞きはしています。筆頭元帥のウィレ降下が何を意味するか」


 グレーデンは先を見据えている。元帥ひとりが宇宙船に乗り、ピクニック気分でやって来ることはありえない。為政者としてベーリッヒ元帥が本国からウィレに到着するということは、すなわちモルト軍主力部隊の増援も意味している。


「グレーデン。貴官には明かしておく」


 グレーデンは踵を打ち合わせ、顎を引いた。こうした口ぶりの時、ゲオルク・ラシンが最重要事項を口にするということを、グレーデンは知っている。


「元首閣下も西大陸統治に注力せよとの仰せだ。しかし、その実は時間稼ぎだ」

「時間稼ぎ?」

「これを見よ」


 ゲオルクは虚空に手を伸ばす。彼の求めに応じて、西大陸の立体地図の隣に東大陸が写し出され、その東岸が拡大される。


「今朝、我が方の衛星が捉えたものだ」


 その画像が何を映しているのか、判別するまでに数瞬を要したグレーデンが呻く。


「ウィレの主力部隊、ですな」


 海岸線におびただしい数の航空機、艦艇が停泊している。海に見えるものは全て艦艇で、陸地に見えるそれは駐機する航空機、戦車、そして人、無人機の群れだ。


「これほどの動員ならば、ついにウィレ・ティルヴィア海軍が動くと見てよかろう。彼奴らは最終戦争で演じた西大陸上陸作戦をもう一度行う肚らしい」

「銀河最強の海軍が相手ですか。戦力は?」

「見えるもので40個軍。東で留守居を勤める軍があるとしても、動員数にして200万は下るまい」


 モルト軍西大陸侵攻軍の戦力が100万。これを上回る。


「元首閣下は敵軍が北岸に到達するまで、あえて待ち、ウィレ軍の命脈を完全に絶つと仰せだ」


 グレーデンは抑えきれない震えに襲われた。武者震いだ。灰色髪の指揮官は、彼らの国家元首が何を考えているかを理解した。


「元帥閣下、もしや―」

「有史以来、この宇宙で初めての戦となるであろう」


 ゲオルク・ラシンは腰に佩いた軍刀を抜き、机上の地図―北岸―に突き刺した。


「モルト軍100万対、ウィレ軍200万の大会戦を、元首閣下は望まれている」

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