第96話 死王
さらに三週間の月日が流れた。
現在の踏破数は五百九十層。残り十層だ。
ここまで来ると、さすがに敵も一筋縄ではいかない。というか、強い。
「エイル、右に出るぞ!」
「うん!」
黒い霧がわたしの右側に凝縮していく。
やがてそれは青白い肌をした人影へと変化していった。
――ヴァンパイアロード。不死者の王。
その力は強く、素早く、そして打たれ強い。
しかも身体を霧に変えたり、瞬間転移したりと、特殊な能力もてんこ盛りだ。
挙句の果てに『魅了』を常時仕掛けてきていて、精神抵抗の指輪が無かったら、きっと仲間に刃を向けていただろう。
急激な敵の位置の変化に体勢が崩れ、半ば倒れこみながら、クト・ド・ブレシェを横薙ぎにする。
軽業のギフトがなかったら、きっと耐えられずに転んでいただろう。
その攻撃すらも読んでいたのか、今度は霧ごと掻き消えて、イーグの後ろに回りこむ。
「このぉ! うっとーしぃ!」
ヒョイヒョイと立ち位置を変える敵に、イーグにもいつもの余裕が存在しない。
ヴァンパイアロードの攻撃はイーグの防御を貫けないが、イーグもまた、ヴァンパイアロードを追い切れないでいた。
ここが屋外ならば、目に見える範囲ごと焼き払えばそれで済む。
だがここは迷宮内で、しかも本来樹木で形成される壁や天井を、石組みに作り直していたのだ。
ここで無茶な攻撃を仕掛ければ、崩れて生き埋めになる。
自分の弱点を知った上で、そういう戦場を用意しているのだ。この敵は。
「くそ、自分の特性をよく理解してやがる……」
愚痴るアルマの手はすでに震えている。
長い追いかけっこに着いていけなくなっているのだ。
そもそも彼も迷宮でかなり腕を上げているのだが、それでもこの敵には攻撃が通用しない。
イーグの剛剣がヴァンパイアロードの腹を掠め、僅かばかりのダメージを負わせる。
だがその直後にわたしの腕に噛み付き、ずるりとその血を啜り上げた。
クラリと眩暈を覚え、膝が震える。
「――『
失われるわたしの力、そして反比例するかのように傷が癒されるヴァンパイアロード。
そのまま膝を付きそうになる直前で、やさしい光がわたしを包み、失われた活力を回復させる。
リムルの【
先ほどから、何度もこの繰り返しである。
リムルは光明の上位魔術である陽光でヴァンパイアロードの動きを制限している。
だがその効果はほんの僅か。その僅かな制限が、今のわたしたちをかろうじて生き延びさせている。
ヴァンパイアロードとしてもリムルを排除したいのだろうが、それは陽光の真っ只中に飛び込まねばならないことを意味する。
あちらもこれ以上の制限を受けると、わたしやイーグの斬撃をまともに受けてしまうので、それはできない。
お互い、紙一重の状況で生を繋いでいる状況なのだ。
「フハハ、歯痒かろう、治癒術師よ」
「うっせぇ!」
いつに無く苛立った声で吼えるリムル。なぜ彼が苛立っているのかは分からない。
そんな会話の隙に切り込んでいくアルマ。
その攻撃を片手の一振りで弾き返すヴァンパイアロード。
その背後から切りかかるイーグを、とっさに飛び退って躱す。
さすがの不死王も、竜の王の攻撃は受け止められないらしい。
その隙にリムルがわたしのそばにやってくる。
肩に手を置いて魔術を発動させ、【快癒】を掛けてくれた。
その行動の合間に、わたしの耳にささやく。
わたしとリムルの密談の合間にも、アルマとイーグは攻撃を掛け続ける。
だがヴァンパイアロードは物理攻撃に耐性を持つため、イーグは傷を負わすことはできても、致命打を与えるほどの攻撃を持たない。
アルマは焔纏により効果的な攻撃をできるが、その攻撃自体が当たらない。
やがて反撃でアルマが両手を地に付いて、イーグが一人で立ち向かうようになる。
ほんの僅かな均衡の崩壊。
これがどれほど大きなズレか、わたしたちもヴァンパイアロードも理解している。
だからこそ、ヤツは勝ち誇っている。そこにリムルの声が飛んだ。
「エイル、今!」
その声に応え、わたしはクト・ド・ブレシェを投擲した。
竜の力と魔力付与で凄まじい勢いでヴァンパイアロードに迫る。
その攻撃をギリギリで叩き落し、振り向き様にイーグの攻撃を受け止め、勝ち誇った笑みを浮かべた。
「キサマ……だが、惜しかったな!」
「まだまだぁ!」
投げつけた斧槍を追う様にヴァンパイアロードへ迫る。
わたしの武器はクト・ド・ブレシェだけじゃない。
左腕の爪も充分な攻撃力を持っている。これに魔力付与を掛ければ、ヴァンパイアロードにも有効なダメージを与えられる。
「闇雲な攻撃など――!」
不死王は右手でわたしの攻撃を受け止め、左手で再度イーグの剣を止める。
イーグは魔力付与を行えない。その豪腕ゆえに必要としていなかったからだ。
何よりブレスの一噴きで倒せる相手だ。その切り札は環境によって封じられている。
だが、相性の悪いこの敵でも、その馬鹿力は充分な効果を生む。
けっして無視していい存在では無いのだ。
わたしとイーグ、このパーティの最大の攻撃力を左右で受け止め、完全に動きが止められる。
ここに来て、完全にリムルの思惑に嵌った。
「使え!」
続いて飛んだ、リムルの声。それに応えたのは、その場で膝を付いていたアルマだ。
その手には、
彼の力では、ヴァンパイアロードにはまともなダメージを与えられない。
そもそも重量武器であるクト・ド・ブレシェを振り回すことすらできない。
だが、武器に込められた身体強化の付与を利用すれば、それらの問題は一気に解決する。
「おおぉぉぉぁぁぁぁぁぁあああああ!」
絶叫と共に斧槍を振り上げる。
その刃が股間から頭まで一息に切り裂いていく。
完全に視覚外からの一撃。
転移することも、回避することもできず、まともに喰らって二つに裂かれたヴァンパイアロード。
「バカな――この様な、雑魚に……くあぁぁぁぁぁ!?」
こうしてわたしたちは強敵を撃破したのだった。
二つに裂かれたヴァンパイアロードを見て、わたしもその場にへたり込んだ。
何度も血を吸われ、延々と戦い続け、本当に疲れ果てた。
「エイル、無事?」
「うん、でもなんだか身体が熱い……」
「毒があったのかも知れない、あの蚊モドキめ」
いや、確かにヴァンパイアロードも血を吸うけど。蚊はヒドイんじゃない?
それに蚊ほど大人しく殺されてくれる相手でもなかったし。
周りを見ると、アルマも大の字に倒れ込んで動けなくなっている。
元気なのはイーグだけという有様だ。
「イーグは元気だね?」
「うんー? まぁあの程度はねー。それにしてもよくアルマが動けたもんだね」
疲労でへたり込んでいたのに、最後の最後で一撃を与えてのけた。
今回の大殊勲と言える。
「アルマ、最後、よく動けたなぁ」
「ああ、あれ? こっそりエイルに快癒掛けると同時に、アルマにも活力回復を飛ばしておいたんだ。ほら、二つの魔術を同時起動して誤魔化すってヤツ」
破戒神がわたしと戦った時にやってのけた手法。
リムルはあの時、こっそりとアルマにも魔術を飛ばしていたのか。
それにしても陽光に快癒に活力回復。三つの魔術の同時起動とは……リムルもとんでもなく成長してるようだ。
「アルマもよく気付いたね?」
「あ? だって、あの時起き上がっても武器がもう無かったしよ。意図はすぐ読めたぜ」
確かに両手を地面に着いていれば、武器は持てない。
あの場面で立ち上がっても、彼は役に立てなかっただろう。
そこで哄笑が上がった。
「くははは、見事だ。まさか役立たずに最強の武器を渡すとはな! だが我も仮初とはいえ不死王を名乗る身。ただ独りで黄泉路を逝くわけにはいかぬ!」
二つに裂けたヴァンパイアが倒れたまま狂った声を張りあげる。
「お前、まだ――」
「イーグ!」
わたしもアルマも剣を置いてへたり込んでいる。
今動けるのはイーグのみ。それを見て取り、リムルが指示を飛ばす。
トドメを刺せと。
「置き土産を貴様らにくれてやろう――『死』を!」
不死王の叫びと共に視界が暗転する。
わたしは咄嗟にリムルをかばうべく、彼に覆いかぶさる。
やつが使用したのはおそらくは瞬間転移。
この能力でわたし達に死を与えるというのなら、最も簡単なものは迷宮の外に放り出すことだ。
ここは五百九十層。地上からおよそ六千メートルの高さはある。
そこに放り出せば、普通なら墜落死だ。
だがこの世界には飛行魔術がある。
そしてわたしやイーグのように翼を持つ者もいる。
それは絶対の死ではない。
だから飛べないリムルに覆いかぶさった。
彼は空を飛べないが、わたしと一緒なら助かることができる。
見るとイーグもヴァンパイアロードに向かうのをやめて、アルマの元へ駆け寄っている。
そして、ついに視界は闇に覆われた。
次に視界が戻った時、そこは真っ暗闇な部屋の中だった。
わたしの目は闇の中でも見通すことができる。
だからそこが部屋であることも、その先に繋がる通路も、そばで倒れるリムルの姿も見ることができた。
「リムル、リムル!」
倒れるリムルの顔に手を翳し呼吸を確認する。
息をしていることを確認して、肩を揺すって起こす。
その甲斐があったのか、しばらくしてリムルが眼を覚ました。
「ん、あぁ……エイル? ここは……?」
「わかんない。でもまだ迷宮の中」
わたしは闇の中でも見通せるけど、リムルはそれができない。
だから彼はランタンを取り出し、シャッターを開く。
その中には光明を付与した石が固定してある。
この石は半年ほどの間、常に光り続ける。
だからこういうシャッター付きのランタンに入れておけば、いつでも灯りを点灯させられるし、消せる。
照らし出された室内は五メートル四方の、小さな部屋だった。壁や床に蔦が這いまわり、茶色の樹皮と緑の蔦が斑に模様を描いている。
中には赤い蔦なんかもあって、結構『さいけでりっく』だ。
ここは部屋というより、通路が少し広がった場所という感じだった。
だがその片方は完全に行き止まりになっていて、一方しか進むことができない。
「リムル、どうする?」
「どうするって……進むしか無いだろうね。イーグとアルマは?」
「わかんない。でも、どっかにいるはず」
わたしたちのように迷宮内に飛ばされていれば、どこかにいるだろう。
もし迷宮の外に放り出されていたとしても、イーグがアルマに駆け寄っていたので無事でいるはずだ。
それに――
「進む以外にも、壁を壊して外に出ることもできるよ?」
わたしのブレスを利用すれば、迷宮の壁や外壁を破壊して外に出ることも可能だろう。
「それは……やめておいた方がいいだろうね。ここが迷宮のどの辺かわからないし、ブレスも十発しか納めていないんだろう?」
「うん」
確かにブレスは十発しか持ち込んでいない。
簡単に取り込んでいるように見えるけど、意外と神経を使うのだ。
竜の左腕ならブレスにも短時間は耐えられるけど、タイミングを間違うと、凄く熱い。
そもそも、腕だけではない。
妙に身体全体が――?
「あれ?」
そこでわたしは、プツリと……キレた。
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