第97話 魅了
パキリ、という小さな破砕音。
それが聞こえた途端、わたしの理性は綺麗に吹き飛んだ。
そばにいるリムルが愛しくてたまらない。
いや、今までだってリムルのことはすごく好きだった。自分の命と引き換えにしてもいいくらいに。でもこの衝動はそういうのとは違う。
彼の全てを、自分の物にしたい。そんな我が侭で、暴力的で、理不尽な――愛欲だった。
彼を問答無用で押し倒し、その上に圧し掛かる。
「ちょ、エイル? なにを――むぷっ」
驚きを発する唇を自分のそれで塞ぎ、服を緩めに掛かる。
彼の
だがそれは金属部分のみ。身体に固定する革紐部分を引き千切って、投げ捨てる。
その下の薄い生地の神官服を引き裂いて、首筋に舌を這わせる。
薄い生地とは言っても冒険者用の神官服だ。本来のわたしの筋力じゃ破れるはずもない。だけど左腕の力なら何の問題も無かった。
細い身体に薄く乗った筋肉。それを包む柔らかな脂肪。
バランスよく鍛えられた身体が、情欲を誘う。
「リムル……がまん、できない」
「ちょ、待っ!? いきなり何?」
彼の服を上から下まで破り捨て、自分の下着も脱ぎ捨てる。
そのまま上に跨り――
「リムル、行くよ?」
一気に最後の一線を突き破ろうとしたところで、リムルが声を発した。
「――鎮静」
「…………あれ?」
そこでリムルが鎮静の魔術を使い、、わたしは冷静になった。
今わたしは――何をしてた? ナニをしてた? いや『する』寸前で……
「あれ……あ……あぁ……」
「正気に戻った? いやー、少し惜しい気もしたんだけど」
「うわぁぁぁぁぁあああああああぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
自分の行為を振り返って、盛大に悲鳴を上げる。
彼の上から全力で飛び退いて、転がり、異空庫から毛布を取り出し、頭から被る。
「なんてこと! なんてこと!? なんてことをっ!!」
毛布の中でバンバンと床を叩く。
そのつどバフバフと音が立ち、床の埃と毛布の埃が宙に舞った。
自分のしでかしたことを思い出し、彼の顔を見ることができない。
「精神抵抗の指輪が壊れたのか……エイルは何度も血を吸われてたから、吸血鬼の『魅了』の効果が残ってたんだね」
冷静にわたしの痴態を分析するリムルの言葉に、わたしの頭は羞恥に染まる。
「お願いだから分析しないでえぇぇぇぇぇ!」
ごろごろと左右に転がって悶える。
自分のしでかしたことだけに、怒りをぶつける先が無い。恥ずかしさをごまかす相手もいない。
「とりあえず、解毒と浄化を掛けておこう。ほら、顔を出して」
「やだ。今、顔見れない」
「ワガママ言わない。掛けておかないと、また発情するかもしれないでしょ? 今度はきちんと最後までいただくからね?」
「そんなのやだあぁぁぁぁぁ!」
左右に転がる速度を上げて、抗議する。もう何がなんだかわからない。
「むしろ今から続きしてもいいよ? いや、ぜひしよう」
「しないから!」
がばっと跳ね起きて、却下する。
視線を向けた先の彼は……なんと言うか、背徳的な格好になっていた。
ビリビリに裂かれた服が下の肌を微妙に隠し、そして隠しきれてない。
胸元どころか股間などの要所はきちんと剥ぎ取っている辺り、自分の正直さに嫌気が刺す。
その隙間からはしっかりと興奮して自己主張をする部位がちらりと覗き、わたしの頭に血を昇らせた。
「あうぅぅぅぅぅぅ」
「ああ、服着替えないと……エイルも下着くらいは着替えた方がいいよ。さっき脱いだでしょ」
「ひぁ!?」
がばっとスカートの裾を押さえる。
わたしのスカートはリムル好みのミニ丈で、のた打ち回ったら中が見えちゃう。ということは……
「うん、ばっちり。でも今更だしね」
ちらりと視線をやると、その意図を正確に読み取って親指を立てて返してくる。
そりゃ一緒にお風呂とか入ってるし、見慣れてるだろうけど、そういうのとは少し違うの!
「忘れてえぇぇぇぇ!」
「やだよ、もったいない」
そんなことを言いながらも、解毒と浄化を掛けてくれる。
解毒は魅了状態が唾液などによる毒物効果による場合を考えて。浄化は『吸血鬼化』の危険を考えての対処だ。
軽薄なことを口にしながらも、きちんとわたしの心配をしてくれている。それが少し、嬉しい。
「こういうのはもっと、こう……雰囲気がいい時がいいの」
「まぁ、あのまま食べられるのも悪くないとは思ったけどね。ボクとしても最初くらいは普通がいい」
普通に最初とか口にするのが憎らしい。わたしがいつかは受け入れると自信を持っているのだ。
でもリムルはリムルで、ちゃんとわたしのことを考えて我慢してくれているのだから、反論できない。
「あぁぅ、それはいつかね、うん」
「……やっぱりあの媚薬があれば、トラウマとか余裕で乗り越えられそうだ」
「そこで黒いこと考えないの!」
ぺちりと背中を叩いて抗議。
そこで、ふと気付いた。あれだけ恥ずかしかったのに、今はもう普通に接することができてる。
それもリムルが冗談で雰囲気を紛らわせてくれたからだ。
「むぅ……顔もいいのに、実力は確かで料理上手で気配り上手、だと……」
よくアルマ辺りがわたしを反則生物だとか、色々言ってくるけど、実はリムルの方が反則なスペックを持ってるじゃない。
今はまだ少年っぽさが先に出てるけど、これは将来すごい女っ誑しになるかも?
「リムル、刺されないでね?」
「なんで! どうしてその結論に到ったの!?」
彼の気遣いで和んだ雰囲気の中、わたしたちは着替えを済ませたのだった。
幸い、リムルの胸当ては革紐を交換するだけで修理できた。
この鎧は彼の生命線なので、使用不能になったらとても困る。
わたしは水を一口含み毒消しの丸薬も飲み下しておく。
一応リムルが解毒してくれているけど、念には念を、だ。
それに丸薬の毒消しは消化するまで持続的に毒を中和してくれる。
ほんの三十分程度だけど、これが実にありがたかったりするのだ。
「エイル、準備はできた?」
「うん、毒消しも準備万端」
「……媚薬って毒消しで消えるのかな? ちょっと試して――」
「みません!」
顔を真っ赤にして否定するわたしを見て、笑いながらからかってる。
これはどこかで反撃しないと、主導権を持っていかれたままになりそう。
そんなことを考えて、どう反撃するか思案していた時……ズドン、と迷宮が大きく揺れた。
「なんだ!?」
「地震、じゃないね」
「震源地は、この先か」
「行ってみる?」
「……そうだね」
まだイーグとアルマも見つかっていない。
むしろ、迷宮そのものを揺らすほどの何かと言うと、イーグの仕業くらいしか思い浮かばない。
あの二人が何らかの厄介事に巻き込まれているのなら、わたしたちもそこに行かないと……それがパーティって物だし。
「行こう。エイルは先行して。ただし充分気をつけること」
「わかった」
なんにせよ、イーグがあれほどの振動を起こすほど暴れるなんて、ただごとじゃない。一刻も早く駆けつけた方がいい。
斧槍を構えて、わたしは通路の先を走っていった。
通路の先は広いドーム上の部屋になっていた。
いや、これはもう広場と言っていい程の空間だ。
その広さは三十メートル四方もあり、高さもそれくらいは存在するだろう。先程までの部屋と同様に、一面を蔦が這いまわっている。
そして、その天井付近に竜化したイーグの姿があり、その足には気絶したアルマが掴まれていた。
部屋の中央には――首の無い冒険者風の男。
だがその革鎧は……なんの生物の物かわからないが、不思議な雰囲気を醸し出していて、新品同様の光沢を持っていた。
男の首は顎の部分すら無いほど粉々に砕けていて、一目でアンデッドと分かる……いや、一種のゴーレムなのかも?
「あれは……」
リムルがゴクリと唾を飲み込む。
破戒神から聞いていた。
つまり、あれは――
「あれが、魔王――か?」
言う間にもイーグはブレスを放ち、守護者――ヴィゾフニールを激しく攻撃している。
だが魔王は、破戒神の結界すら打ち抜いたそのブレスを、まるで気にも留めずに床に落ちていた剣に向かって歩き、拾い上げ、そして投げつけた。
凄まじい勢いで飛来する剣を、イーグは身を捩るようにして躱す。
そのまま天井に当たった剣は屋根を砕き、そして跳ね返されて地へ落ちる。
打ち砕かれた天井はすぐさま再生を開始し、蔦が覆い、数秒のうちに元通りの姿へと戻っていく。
そして魔王はまた落ちた剣に向かって歩き出し、それを投げつけるという行動を繰り返していた。
「なんだ……これ……」
イーグのブレスが床を焼き焦がす。
魔王の剣が屋根を打ち抜く。
砕かれた部屋が瞬く間に再生する。
この部屋だって世界樹の一部だ。
その強度は生半可な城壁すら足元にも及ばないほどの強度がある。
それを紙のようにブチ破り続ける戦いを目にして、リムルは戦慄した声を上げた。
そして戦況はさらに変化する。
魔王の投げる物が増えたのだ。
崩れた壁の破片、数メートルはあろうかというそれを軽々と拾い上げ、イーグへと投げつける。
壁は再生するが、飛び散った破片まで消えるわけではない。
周囲を崩せば崩すほどに、魔王の『弾』は増えていく。
イーグは次第に攻撃が減り、回避にする側へと追いやられていき、ついにその翼を破片で打ち抜かれてしまった。
背中から地上に落ちるイーグ。背中から落ちたのは、手に持ったアルマに配慮してだろう。
だがその結果、大きな隙を魔王に見せることになった。
腹を見せたイーグに魔王が駆け寄り、そのまま拳を振り下ろす。
ゴブン、と鈍い音がしてイーグの身体全体が波打つように震えた。
続いて口元から大量の吐血。
さらに跳ね上がった頭部をまるで石ころのように蹴り飛ばされる。
ゴシャっという、まるで菓子が潰れたような音を立てて弾け飛ぶイーグ。
その体はわたしの足元まで転がされてきた。
イーグの下顎が完全に砕け、でろりと舌が垂れている。
内臓からの出血が止まらないのか、その口からとめどなく血が吐き出され、床に血溜まりを作っていっていた。
だがまだ微かに息がある。
あれだけタフなイーグが、全く相手にされていない。
その事実にわたしは、鳥肌が立つ。
破戒神が手を出すなと口にするはずだ。
こんな問答無用で不条理な存在は初めて見た。
本能的な恐怖か、カタカタと手が震え、それがクト・ド・ブレシェに伝わり穂先が揺れる。
魔王はゆっくりとこちらを振り向き、新たな侵入者の登場に警戒を表す。
リムルはすぐさまイーグに快癒を施している。
だがイーグの生命力が大きすぎるのか、一度の快癒で治りきる様子が見えない。
わたしはむしろ、イーグにそれ程のダメージを与えたことに驚愕する。
名実共に最強の災獣。
それがまるで子供扱いされ、相手にもされず蹂躙されたのだ。
震えながらも、わたしは武器を魔王へと向ける。
リムルが治療しているのならば、それを護るのがわたしの使命だからだ。
当のリムルは、イーグの生命の危機が落ち着いたと見ると、アルマへと治癒の対象を移していた。
彼の傷はイーグよりはるかに軽かったのか、あっさりと意識を取り戻す。
だがまだ身体を動かせるほどには回復していない。
「アルマ、無事か?」
「リムルか? 正直あまり無事じゃねぇ……」
そう言って、手の中にあるものを見せる。それは砕け散った彼の愛剣だった。
頑強を付与され、鉄より硬くなったそれが、ぐしゃぐしゃに砕かれている。
「アイツが軽く腕を振ったと思ったらこの有様だ。生きてるのが奇跡だよ」
「グルルル……」
イーグが同意とばかりに呻き声を漏らす。
おそらくイーグが必至になって彼を護っていたから、無事だったのだろう。
「向こうの通路は?」
「行き止まりだ。そっちは?」
リムルは部屋の反対側の通路を指差し、アルマへと尋ねるが、答えは絶望的なものだった。
こちらの通路に付いてもアルマに伝えると、やはり絶望した表情を浮かべる。
「つまり……ここは完全に封鎖された空間ってことか?」
「逃げ場なし、だな」
逃げ場の無い部屋。目の前には絶望的な死の具現者。
ヴァンパイアロードが言っていた『死』とは、つまりそういうことだったのだ。
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