第74話 帰港
ヒュドラの肉というのは基本的に水に浮く。水棲生物として進化した結果と言うべきか。
そんなわけで周辺に浮ぶ、九つの首と胴体をロープで結んで曳航し、港に戻ることになった。
この海域は、ヒュドラから流れ出る血液ですでに血の海という様相を成している。
気分的にも、あまり長居したい場所ではない。
「うえぇ、ひっどい臭い」
「まぁ、多少は仕方ないね。ここは海だから」
陸上と違い、海では血液や排泄物が水に乗って、薄く、広範囲に広がっていく。
むせ返るような血臭から逃れられる場所はない。
さらに戦闘の影響で、ヒュドラ以外にも様々な臭いの発生源が存在している。
腕を食い千切られたり、半身を焼かれたりして、小便一つ漏らさないような人間なんていない。
そういった異臭は甲板全体に広がっていて、状況が落ち着いてくると、どうしても気になってしまう。
リムルは慣れているのか、気にする素振りも見せずに魔力回復剤の瓶を咥え、ラッパ飲みしていた。
「リムルって、意外と逞しいね」
「ん、そうかな? 毎日鍛えてるしね」
精神的な事を言ったんだけど、どうも肉体面と勘違いしたみたい?
でも嬉しそうだから、まぁいいや。
実際、少し筋肉も付いてきてるしね。まだまだケビンには及ばないけど。
「エイル君、少し手伝ってもらえますか? ヒュドラを港まで曳航したいのですが」
「ん、いいけど……泳げないの?」
「いえ、この街の冒険者たちは基本的に泳げますよ。ですがこれだけの血が流れましたからね。鮫を始め、海は危険生物が多いので」
「あ、そっか」
小船の飛翔の魔術が使える術者たちは、すでに戦局が決まった段階で先に港に帰っている。
彼らを乗せていた船は小さなものだから、鮫や鯨、
これだけの血が流れ出してしまうと、野生の肉食生物の気はかなり荒くなっている。泳ぐなんてもっての外だろう。
わたしは海面を浮ぶ首を回収し、ロープを引っ掛けて船に繋ぐ作業を行う。
その間に、リムルは身体を洗ってさっぱりしていたのだから、戻ってからなんだかムッとしてしまった。
ヒュドラはドラゴンの一種に分類されるが、どちらかと言うとコモドドレイクに近い。
つまりトカゲだ。なにが言いたいかと言うと、ヒュドラの肉は食べることができる。しかも結構美味しい。
しかも鱗や牙、骨は魔術的な素材にも武器や防具にも向いているし、脂も獣脂として使用できる。
内臓も様々な薬に使用されるので、まさに余すところ無く使える海の資源である。
これほどの利益をもたらすヒュドラであるが、討伐されることはほとんどない。
滅多に発見されないことと、狩るとなれば軍隊レベルの戦力が必要になるからだ。
そんなわけで、港に帰港した時は物凄い騒ぎとなった。
港に水揚げされ、解体場に運ばれて、漁業ギルド総出で解体に掛かる。
解体されたヒュドラの部位は一旦冒険者ギルド預かりとなり、それから各方面に分配されるらしい。
これは冒険者たちも例外ではなく、わたしたちも報酬の上乗せ分として、ヒュドラの牙を四本上乗せで貰うことができた。
これはかなり大きな上乗せと言える。
「これは嬉しいね。エイルの異空庫にある『アレ』は頭がないから」
「巨人も上半身蒸発させちゃったしね」
戦闘になると、わたしは一撃必殺を目指すため、ヘッドショットをすることが多い。
これはすなわち、過剰火力で頭部が無くなっている場合が多いということでもある。
一応ドラゴンに属する生物の牙なので、これら魔術的な素材として使用することができるのだ。
「これで作るとなると、
「リムルはその魔術、使える?」
ドラゴントゥースゴーレムと言うのは、竜の牙を媒体に生成するゴーレムで、かなりの戦闘力を持っているらしい。
魔術的に身体を構築するため、牙一つで作ることが出来る。ヒュドラも下級とはいえ、一応ドラゴンの眷族に属するため、この魔術の素材に出来るのだ。
しかし、こういう使役系の魔術を彼が使っているのは見たことがない。
疑問に思ったので、わたしは首を傾げて訊ねてみた。
かくんと首を傾げたのが、リムルの琴線に触れたのか、頭を抱え込んでわしわしと撫でられた。
「うー、もう! 髪が乱れちゃう」
「あはは、エイルはカワイイなぁ。まぁ、ボクには使えないね。アミーさんとか使えるかなぁ?」
「使ってるの見たこと無いね。直接攻撃する魔術ばっかり」
アミーさんが得意とするのは幻覚系と火炎系の魔術だ。
こちらも使役系の魔術は使っているのを見たことがない。
「そういえば異空庫の中にある魔術書に、これの術式有ったんじゃない?」
「あったね。でもあの時は興味なかったし……今度調べておくかな? 上手くすればイーグの歯を抜いて――」
「リムル、いくらなんでも、それはヒドイ」
「冗談だよ、冗談」
ちょっとダークな冗談だったので注意しておく。
むぅっと頬を膨らませていたら、つつかれた。おのれ、わたしの方が年上なのに、なにこの子供扱い。
「ご苦労様でした。おかげで死者を出さずに討伐できましたよ。ヒュドラ相手に損害無しなんて百年ぶりくらいです」
そこへやってきたのは、シメレスさんだ。後処理は部下に任せて、抜け出してきたのだろう。
満面の笑みを浮べ、なんだか気持ち悪いくらい。
「ここの冒険者が優秀だったからですよ。まさか船の上であれだけ身軽に動けるなんて思いませんでした」
「はは、ご謙遜を」
これはお世辞なんかじゃない。実際、ここの冒険者たちは凄かった。
衝角戦で突撃したあと、船内から飛び出した冒険者たちは、暴れるヒュドラに突き刺さったまま揺れる船の上で戦い抜いたのだ。
しかも一部の冒険者は、衝角を伝ってヒュドラの首元に襲い掛かる無茶をする者もいた。
ケビンだと、揺れる船の上をまともに移動することができず、噛み付いてくる首を迎撃するので精一杯だっただろう。
さすがに破壊力では上回るだろうけど。
「それでですね。ギルドでは今回の労を
「宴会、ですか?」
「はい、丁度解体した肉が大量にできましたしね。漁業ギルドに解体報酬を分けて、尚余りある量だったので」
「それ、冒険者たちに分けてあげたらどうです?」
直接命を掛けて戦った冒険者たちに、上乗せしてあげてもいいかなぁなんて、わたしも思う。
それを聞いてシメレスさんも難しい顔をした。
「そうしてあげたいのは山々ですが、彼らの大多数に生肉の保存手段なんて無いんですよね。ギルドにしてもぶっちゃけ処分に困る量ですし」
「あぁ、そういえば……二十メートル級の大物でしたしね」
「皮と鱗と骨はそれなりに分配してますけど、肉はさすがに多すぎです」
「内臓とかは?」
むしろこっちの方が傷みは早いだろう。
薬になるとはいえ、傷んでしまえば、ただのゴミになる。
「そちらの方が高額で捌けますからね。すでに錬金ギルドの方が引き取りに来てくれました」
「もうですか! 早いですね」
「ええ、あまり時間を掛けると薬効が落ちてしまいますから。後で金額交渉の時に色々揉めてしまうでしょうが」
傷むと売り物にならないけど、それを表に出すと錬金ギルドの方が足元を見て叩いてしまう。
かといって安く売っては今回の出費を埋められない。
シメレスさんとしては頭の痛いところだ。
でも、他の素材もかなりギルドが確保したようだし、赤字にはならないんじゃないかな?
「ええ、まぁ。総合的に見ても黒字は確定してますよ。死者も出てませんし、冒険者ギルドとしては万々歳の成果です」
「それはよかったですね」
「そんなわけでですね。肉まで安く買い叩かれてしまうのは癪なので、宴会で消費してやろうと思った次第で」
「うわぁ」
なんだか聞きたくなかった本音に、わたしとリムルが声を揃えて呆れ声を漏らした。
これも地方都市独特の豪快さなのかも知れないけど。
「でもボクたち、宿の方に帰らないと……」
「そこは大丈夫です。初日の内に見つかると思いませんでしたので、『二、三日借り受ける』と連絡しておきましたので」
「……いや、帰してくださいよ。ボクたち学生ですよ?」
「何言ってるんです、あなたに助けられた人たちが待ってるんですよ。リムル君に世話になった人なら、どれほど貢献してくれたかは理解してます。落ち着いて礼を告げる機会くらい与えてあげてください」
「それで宴会ですか!?」
悲鳴の様な声を上げるリムル。
うん、大体予想は付く。リムルって、お酒飲んだ翌日は大概ヒドイ目に会ってるもんね。
「そういうわけで、会場までご案内しましょう」
気が付けばリムルがヒョイと抱え上げられていた。
その動きにわたしも気付かないほど滑らかに。
「うぇ? あれ?」
「ちょ、放し……エイル助けて!」
「えっと、シメレスさん実は結構腕利き?」
「はい、若い頃は結構有名でしたよ、私。今は引退して事務仕事一辺倒ですけど」
わたしの質問に答えてスイスイと人の群れをすり抜けていく。
その足捌きの滑らかさは、イーグとはまた違う達人の域を感じさせた。
「きゃあぁぁ、エイルゥゥゥ!」
「リムル、女の子みたいな悲鳴上げない。もう諦めてお肉食べよう」
「キミ、絶対そっちが本音だよね!?」
リムルの追求にわたしは目を逸らして答えた。
うん、別にお肉が食べたかった訳じゃないんだからね!
ヒュドラの肉なんて珍しいなって思っただけなんだから。
連れられてやってきた広場では、すでに報酬を受け取った冒険者たちが順番に肉と酒をかっ喰らっていた。
なんとギルドの修練場を解放して、そこに炭焼きの釜に網を乗せただけ調理場を設置しただけの会場。
肉と酒は各人が勝手に用意された食材の山から持ち出して、自由に焼いていくスタイル。
――つまりバーベキューだ。
「なるほど、これなら手間は掛かりませんね。っていうか肉くらい切りましょうよ!」
「面倒だったんですよ。これなら準備は楽に済むでしょう」
とにかく広場に釜を並べ、焼いた炭をブチ込んで網を乗せておく。
肉は塊のままドデンとテーブルの上に置かれていて、冒険者達が勝手に切り出して、炭の上で焼いている。
酒もコップと酒樽が用意されていて、好きなだけ汲み出して喉に流し込む。
「なんて大雑把な」
一応肉に付けるタレや野菜もあるけど、タレはともかく野菜には誰も近付いていない。
そもそも肉が切り分けられていないのに、野菜が切り分けられているはずがなかった。
キャベツもニンジンも、ナスもジャガイモも、トウモロコシも……全部収穫されたまま積み上げられている。
これを見てリムルの家政夫魂に火が付いたみたい。
「これはダメだ……エイル、野菜も切るよ!」
「え、わたしたち、お客さんだよ?」
「こんなのは料理じゃない! ボクがきちんと処理して美味しくするから!」
「じゃ、わたしお肉食べておくから――」
「もちろん、手伝ってくれるよね?」
「あぅ……はぃ」
そういうことになった。
水と包丁を用意してもらい、リムルはキャベツを洗って切り分け、わたしはジャガイモをの皮を剥く。
もちろん、わたしが皮を剥くと芯しか残らない。
なので水で洗って土を落とし、芽を取り、ざっくりと四等分するだけだ。
さいわいバーベキューなので、むしろ皮付きの方が喜ばれる。
「なんだ、嬢ちゃんたちはここでも裏方か?」
「おう、あの時は助かったぜお嬢ちゃん、ありがとうな!」
「ちなみにボクは男です」
「そうか? 女装とか似合いそうだな」
「その手が有ったか!」
「エイル、同調しないで!?」
天才的な発想をした冒険者に感嘆しつつ、ジャガイモを切る。
そうしている間に、沢山の人がお礼に来てくれた。リムルだけでなく、わたしにも。
今まで、沢山の依頼を果たして、沢山の人に感謝された。
でも、こんなに近い距離でお礼を言われたのは、初めてかも知れない。
なんだか凄く自分が誇らしい気分になって、とても心地いい夜になった。
なお、用意されたお肉はあっという間に食い尽くされた模様……
うわぁん、リムルゥ!
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