第68話 出発

 破戒神との会談以降、リムルの調子が芳しくない。

 いつもボーッとしていて、覇気が無い。というか、生気が無い。

 そりゃ、両親の蘇生手段が手に入ったけど実行できないのでは、落ち込んでも無理ないけど。


「というわけで、リムルが可哀想」


 いつもの図書室でエリーと一緒にお茶を嗜みながら、現状を報告する。

 彼女は、軽く溜息をついて、お茶請けのクッキーをつまんでいた。


「ねぇ、聞いてる?」

「聞いてるわよ。ノロケなら他所でやって」

「わりと深刻なの」

「と言ってもねぇ……『目的』があって、それを解決する手段は入手したんでしょ?」

「うん」


 エリーには蘇生のことは話していない。なので、単純に『目的』とだけ言って説明してみた。


「でもそれを実行することは出来ない。『協力者』が頑張ってくれてるけど、いつ解決するかわからない?」

「うん」

「なら待つしか無いじゃない。見通しが立った分だけ前進してるわよ」


 確かに手段すらわからなかった時期に比べれば、格段に進歩していると言える。

 ここでリムルが落ち込むのは、筋違いも知れない。

 そもそも後ろ盾に付いてくれたのは、仮にも神を名乗る存在なのだ。少々、危なっかしい印象ではあったけど。

 わたしたちは、言われた通り竜神バハムートを探せばよいだけなのかも知れない。

 それだって神様たちにしたら、大して期待して言ったわけじゃないらしい。

 何せ、相手は五百年も行方不明なのだ。わたしたちの様なお子様がちょっと探して見つかるわけがない。


「どうしても励ましたいのなら、手がないわけじゃないけどね」

「あるの!?」

「あるわよ。エイルが自分を差し出しちゃえばいい」

「ん?」


 自分を差し出すって……すでにわたし奴隷にまでなったけど?


「元奴隷でしょ。つまり最後までヤっちゃいなさいってことよ!」


 キャーと両頬を手で押さえて身悶えるエリー。

 わたしは、あからさまに冷やかすその態度に、少し気分を害した。

 なので、頬を膨らませながら手近に有ったファイルを手に取って、その頭をぺしんと叩く。


「いったた……なにすんのよぅ」

「わたしはまじめに相談してるの!」

「無理よ。話を聞く限り、あなたたちは上手くやってるもの。これ以上の成果なんて、望む方が贅沢だわ」

「そう、かな?」

「そうよ。なにやってるのか知らないけど、ベリトからここまで旅しないといけないくらいの大事おおごとなんでしょ? それを半年で片付けたんだから順調としか言いようが無いじゃない」


 確かに古代魔術の復活を半年というのは、かなりのハイペースのはずだ。

 そう考えれば、むしろ順調すぎると言っていい。それを伝えてあげれば、リムルも少しは持ち直すはず。


「わたし、ちょっと行って来る」

「はいはい……まったく、女の友情より男を取るんだから」

「エリーとお茶はいつでも出来るもの」


 軽口を叩きながら、わたしは図書室の扉を開けた。



 それから、リムルの機嫌は少しだけ持ち直した。

 エリーの理屈と、あと少しだけ色々としてあげたら、何とかなったみたい。

 もちろん、エリーが言うように『全てを捧げる』とかそういう手段じゃない。せいぜいわたしからのキス止まりだ。

 そうこうしている内に校外研修まであと三日を切ってしまった。


「というわけで、本格的に準備をしよう」

「もう、リムルは今までのんびりしすぎ」


 とはいっても大した準備があるでもない。

 いつもよりちょっとだけ上等の服を着て、いつもよりちょっとだけお洒落な鞄に荷物を詰めて、集合場所に行くだけだ。


「ま、エイルはそれでいいかも知れないけどね。ボクは他の準備があるの」


 リムルのいうところによると、家内の保全でやらなければならないことが多いらしい。

 まず、食料の保護。地下にある数百キロの肉の塊に凍結の魔術をかけて、腐らないように処理しないといけない。

 同じく、野菜も処理しておかないといけない。

 実家から持ち出した薬品類や機材も傷まない様に保管しておく。

 これは元々厳重に管理していたから、そう手間は掛からなかったらしい。


「で、イーグだけど……」

「いい機会だから、しばらくユーリ様のところで里帰りさせてもらうよー?」

「一緒に来なくていいの?」

「エイル、ウチにはイーグの分まで旅費を払う余裕は無いよ」


 それもそうだった。でも彼女ならどうにでもなりそう?

 我が家の家計は、あれからケビンと同じ武器をわたし用に調達してもらったので、報酬がほとんどすっ飛んでしまったのだ。

 もちろん、アッシュさんにもアルバイン氏にもかなりサービスはしてもらっている。

 それでもこの武器は今までの物と違って、色々必要な物が多くなってしまったのだ。


 まず手入れ道具が違う。

 今までの砥石では、逆に石の方が削れてしまう。

 骨製なので、磨き油も特殊な物を使う。

 巨大なサイズなので、特製の吊るし紐スリングを用意してもらう。


 そういった細々した物を用意していたら、結局ちょっとした武器を購入できるだけのお金が掛かってしまった。

 赤貧に喘ぐケビンの気持ちが、ちょっと理解できた。


 こうして我が家は、再度貧乏暮らしへ突入することとなった。

 しかし冒険で倒した魔獣の肉や素材で食費の大半を賄っているため、そこらの家庭よりは食事は裕福と言うアンバランスな暮らしである。


「まぁ、目的はほとんど達成してるんだし、生きて食べていければ、それでいいよ」


 とは、リムルの言葉である。先日までのドンヨリした雰囲気が嘘みたいだ。

 そんなにわたしからキスしてあげたのが嬉しかったのかな?

 いつもはどっちかと言うと、彼の方からせがむ感じだし。



 三日で家の事を全て整え、出発の日となった。

 イーグは破戒神さまに預けてきているので、こっそり付いてくる心配はなさそう。

 今年の校外研修は一年と三年が同じ場所に行くらしいので、エリーの姿も出発待ちの列の中に見ることができた。

 ちなみに二年はマタラ合従国の北寄りの鉱山で、どうやらハズレを引いたらしい。わたしたちは逆に海側の島だそうだ。

 観光地として有名だとか?

 マタラは海と島と鉱山の国なので、当たり外れが大きいらしい。


「ではこれから転移魔法陣を使用します。一クラスごとに固まって陣から出ない様にしてください」


 魔法陣の管理を行っている魔術師の人が、大声を張り上げている。

 毎年、面白がって発動の瞬間に陣から飛び出し、術を掛け直す羽目になるそうだ。

 転移の魔術は魔術師が十人単位で行うため、一度で済ませられない場合の負担がとても大きい。

 そういった馬鹿が出た場合、必ず数人の術者が倒れ、入院することになるらしい。


 そして、そういう労働者の苦労がわからないのが貴族どもなわけで。


「あ、ダメですって言ったじゃないですか!」


 案の定、一組の馬鹿どもが魔法陣を飛び出して掛け直しをやらせていた。

 予備の魔術師も控えているとはいえ、一度の行使ですでに青い顔をしている術者もいるというのに。

 怒鳴り声を上げた係員が、逆に貴族の子息に叱られている。

 なんて理不尽な光景!


「リムル、あれ」

「まぁ、イラッと来る光景ではあるね。でも、これがこの国の日常なのかも」


 目の前で展開される理不尽な光景。あの人たちは一般市民だけど、奴隷と変わらない。

 半年前のわたしと、まったく同じ立場だ。首輪の代わりに身分と言う枷を嵌められている。


 自然と、拳を握り締める。

 その握り締めた手が、ゴリゴリと不穏な音を立てた。


「エイル。落ち着いて、ね?」

「わかってる」


 最近出した覚えの無い、あまりに低い、威嚇的な声が漏れる。

 自分でも自覚が無かったけど、わたしはかなり怒っていたようだった。


 深呼吸をして気を静めていると、エリーが列から飛び出して、貴族に張り手を食らわせていた。

 そしてそのまま、貴族を逆に叱りつけている。

 エリーのこんな気丈な姿は初めて見た。

 貴族も最初は腹を立てていたようだが、いつも一緒にいる腰巾着に何か囁かれた途端、頭を振って魔法陣の中に戻っていく。


「ほら、戻っただろう! さっさと起動しろ!」


 苛立たしげな、その大声だけが、こちらまで届いてきた。


「まったく、貴族の質も落ちた物ですわね。本来下々の物を煩わせぬよう、心を砕くのがマナーですのに」


 背後から呆れたような声が聞こえてきた。

 わたしの後ろに並んでいた、ヴェルマーテさんだ。相変わらず冒険者を五人、引き連れている。

 リムルの挨拶に彼らも軽く手を振って答えるが、その雰囲気は明るい。

 彼らには、一組の連中に雇われている、薄暗い印象が無い。

 おそらくヴェルマーテさんに気分良く仕えることができているからだろう。


「そうなの?」

「もちろん私のように何もできない貴族もいますけどね。それでも、できないならできないなりに、仕事として下げ渡すことで経済を回すのも貴族の務めですもの。あのように迷惑をかけて居直るのは、貴族の所業ではありませんわ」

「へぇ」


 ベリトにいた冒険者たち、ここの貴族たち……力や権力を持つ者は腐敗した奴が多いと思っていた。

 でも、エリーやセーレさん、ヴェルマーテさんみたいに考える貴族もいるんだ。

 そう思うと、少し気が晴れていくような気分だった。


「ヴェルマーテさんがそういう人だって知ってたけど、凄いね」

「そう? そんな貴族たちと親交を持っているあなたの方が凄いと思うけど。あのカークリノラース家のご息女とお知り合いなんでしょう?」

「それは、まあ」


 セーレさんは例外中の例外だと思う。あのざっくばらんな性格は、どちらかというと飲み屋の親父だ。

 それとエリーのお喋り好きも、かなり例外だよね?


「それから、私のことはマリアで構いませんわよ? クラスメイトですもの」

「いいのですか?」

「しょせん下級貴族ですわ、気取っても仕方ありません」


 ツンと顎を逸らし、視線を外して見せるけど、彼女の頬が少し赤い。

 この人、可愛い性格してるなぁ。

 後ろの御付きの冒険者たちも、口元に手をやって笑いを堪えている……いや、堪え切れてない。


「あなたたちも、なに笑っていますか!」

「いや、お嬢……なんでも、な――ぶふっ」

「――このっ!?」


 扇子のような物を取り出してペシペシ殴りかかる様子は、まるで兄妹のようで微笑ましい。

 いいなぁ、ああいう主従関係ってうらやましい。


「お嬢様も、ブランシェ君と親密になりたいのならそう仰ればいいのに」


 冒険者の一人の女性が、そう彼女に告げる。

 それを聞いて、マリアさんの顔が真っ赤になった。


「い、…聞き捨てなら無いことが聞こえた気がする」

「え、エイル。落ち着いて」

「リムル、いつの間にそういう相手が?」

「そんな相手いないって!?」


 手を振って後ずさるリムルを、じっとりした目で追い詰める。

 そう言えば最近慣れてきて、気にしてなかったけど、リムルは美少年で、しかも将来有望な治癒術師だ。

 学院の生徒が粉を掛けないわけがなかった!


「これは旅行中も目は離せない……」

「こら、そこぉ! 列を乱すな。ほら、順番が来てるだろ!」


 そこに担任のワラク先生の声が掛かった。

 いつの間にか、順番が回ってきていたらしく、すでに列はかなり進んでいた。

 旅行中は出来るだけリムルと一緒に行動しよう。そんな決意を秘めて、わたしたちは魔法陣へと足を運んでいった。

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