第54話 調査

 渓谷への案内はコーエン氏自らが買って出てくれた。

 足を怪我していた彼は、今はご主人の治癒魔術を受けてすっかり元通りに動けるようになっている。


 その彼の案内されて、森の中を進んでいく。西側の森は村の東側や南出口付近と違って、植草が深い。

 森に出来ている小道は獣道のような有様で、視界が悪く陽も当らないので、苔生こけむしていて、足を取られやすい。

 本来森を進むのは非常に体力を消耗し、時間を取られるものだ。しかし元々小道であった場所を定期的に狩りで使用しているため、踏み固められた地面が糸の様に伸びていて、そこを歩く分には進みやすい。

 しばらく巨大な岩や木を回り込み、グネグネと進むこと二時間ほどで問題の渓谷に到着した。


「ここがその渓谷です。ほら、そこに落ちた吊り橋の残骸が残ってます」


 コーエンさんが指差した所には、確かに吊り橋を支えていたであろう、金属製の柱が残されていた。

 ご主人がその残骸を調べに崖に近付いて行く。

 崖下から風が吹き上げているのが、周囲に満ちたもやの流れで良くわかる。

 こんなに風が強いのに崖にヒョイヒョイ近付いていくなんて、ご主人は少し危機意識が足りないんじゃなかろうか?


「あ、リムル様……危ないから、一人で行っちゃダメ」

「ん、ああ。じゃあエイルも来てくれる?」

「りょーかい」


 崖の近くは少し靄が掛かっていて見通しが悪い。しかも靄の湿気った空気が苔を繁殖させ、いつ足を滑らせてもおかしくないほどだった。

 そんな状況だったので、わたしはいつでもご主人を抱きかかえて飛び上がれるよう、翼を展開して腕にしがみ付いておく。これでいつ落ちても取りこぼすことは無いだろう。

 さらに危険を事前に察知できる様、角の感知範囲も広げておいた。すると、崖下の方で多数の魔力の反応があった――小さなモノが数十個。動きは無い。


「リムル様、崖下に魔力反応。小さいのが十個以上」

「なにかある? それにしても視界が悪いな。高さは二十メートルほどだって聞いていたのに、底が見えない」


 柱に身を預け、谷底を覗き込むご主人。

 確かに谷底から吹き上げる風にも関わらず、谷底の風景を見ることはできない。

 これは靄と言うより霧、それも濃霧の類になるだろう。

 だが、今はそれよりも――


「リムル様、危ないから覗き込んじゃダメ」

「ぐぇ、わかったから襟を引っ張るなよ」


 いくらわたしが控えているからといって、落ちたらどうするの。まったく危ないことに無意識に首を突っ込む癖は直して欲しい。

 ご主人を崖から引き剥がすべく、ぐいぐいと襟を引っ張る。そのせいで首が絞まったかも知れないけど、落ちるよりはマシなはず。

 だがご主人は意に介さず、柱の周りをぐるりと回って様子を調べだした。


「柱の方は傷一つ無いね。ロープが腐食しているから、自然に落ちたと見るのが正しいんだろうけど」

「危ないから。そう言う際どいところはわたしが調べるから」

「エイルじゃ見落としがあるかもしれないだろ」

「でも落ちたら、リムル様は対応する手が無いじゃない」


 わたしやイーグは飛ぶことが出来る。アミーさんも落下制御の魔術があるので、大事には至らないだろう。

 ケビンはぶっちゃけ、どうでも良い。

 だけどご主人は落下と言う事象には、全くの無防備。単独で足を滑らせたら、なす術も無く谷底に叩きつけられてしまう。

 わたしが多少心配性になっても、仕方のない話だった。


「で、どーする、ボス? なんだったら、わたしが先に降りて様子見てこようかー?」

「……いや、イーグだと何がおかしいかわからない場面もあるかもしれない。ここはみんなで降りよう」

「ケビン様、では私も――」

「いや、お前は先に帰れ」


 コーエンさんはケビンに同行する許可を求めていた。だが、ケビンはそれを一蹴した。

 確かに、彼がいるとイーグが元の姿に戻れないし、相手は三十メートル近い巨体だ。守りきれるという保証も無い。

 アミーさんとケビンも人外の力を得てる今、天才肌のご主人や、ドラゴンのわたしやイーグに同行するのは、いささか無理があるだろう。

 もはやすっかり、名実共に人外魔境なパーティと化しているのだから。


「先に帰って、俺たちが谷底に降りたと村長に伝えろ。もし帰ってこなければ、何かが谷底に居るということだ。それを知らせるだけでも、意味はある」

「しかし!」


 谷底に魔力の反応がある、谷底に降りた冒険者が帰ってこない。その情報だけでも、今後原因を調べる際の足がかりにはなる。

 すっかりケビンに心酔している様子のコーエンさんは、彼を置いて村に戻ることに不満そうだけど。

 しかし、それをケビンが指示すると言うのは……成長しているなぁ、コイツ。

 昔のケビンなら、万が一に備えるなんて考えもしなかったはずなのに。それなりに冒険者として経験を積んだってことかな。



 言い募るコーエンさんをご主人と一緒に説得して、どうにか村へと戻らせた。

 これで思う存分実力が発揮出来るというものだ。

 金属製の柱はそれほど腐食していなかった為、ロープをここに結んで谷底へ降りることにする。

 わたしやイーグが運んだり、アミーさんの落下制御があれば問題なく降りることはできるんだけれど、登る際にわたしたちに何かあれば、ご主人やケビンが困る。このロープは念の為の措置だ。


 わたしがサポートについて、まずはケビンがロープを伝って降りていく。

 飛行できるわたしは、彼の降下速度に合わせて横に浮遊しておく。もちろんわたしに命綱を繋いだままで。

 わざわざロープを使って崖を降りるのは、帰りに登る時の足場の確認も兼ねている。

 ここまで慎重に事を運ぶのは、ご主人が未確認の敵を警戒しているからだ。


 しばらくして崖下に到着。高さは本当に二十メートルくらいだった。

 水量の多い川の脇の、ゴツゴツとした狭い河原に足を踏み入れる。


「ここもかなり足が滑るな……エイルも気をつけろよ。お前ウッカリ症なんだから」

「ケビンに心配されるほど酷くないもん」


 とはいえ、彼の言うこともまた事実。わたしは右足のみ靴を脱いで、ドラゴン化した爪で岩を掴める様にしておく。

 河原の広さは精々五メートル四方くらいか。少し水嵩が増水すればあっという間に水面に沈んでしまうだろう。

 崖下まで来ると、さすがに周囲を見通すことが出来る。

 よく見ると岩肌の苔の色が微妙に赤黒く染まっている部位も見える。

 川の半ばには、崩れ落ちた吊り橋の残骸や、その原因になったであろう大きな馬車の姿があった。


「ケビン、馬車」

「ああ、アレが原因で橋が落ちたんだな」

「見てくる」

「待てって!」


 川の中にある馬車を調べるなら、空を飛べるわたしが最適だろう。

 そう考えて近付こうとするわたしの肩を、ケビンが掴んで止める。


「敵の正体がわからない、何が待ってるかもわからない。そんな場所に一人で突っ込むな。後続の連中が来るまで待つんだ」

「むぅ、ケビンの癖にナマイキな」


 彼と組んで本格的な冒険に出るのは久し振り……というか、ここまで本格的なものは初めてかもしれない。

 この街で着実に経験を積んだケビンの言葉は、名声に恥じない冷静な物だった。

 逆らう理由も無いので、大人しく忠告に従う。

 ケビンは大声を上げて崖上に合図を送る。

 霧が視界を防ぐとは言え、二十メートル程度の高さしかない。声は届いてるはず。

 ついでにわたしの炎斧も魔力を送って振り回し、その炎で合図を送っておく。

 暗い谷底に燃える赤い炎は崖上にも伝わるはずだ。


 わたしとケビンが安全を確保している間に、ご主人とイーグが同じ様にして降りてきた。

 その脇には落下制御を使用して効果速度を落としたアミーさんも一緒だ。

 五人が河原に揃うと、ほとんど身動きが取れないほどの狭さになった。


「あの馬車か……」

「ああ。ロープが腐ってる所に、あれだけ大型の馬車が無理矢理通ろうとしたら、そりゃあ落ちるだろ」

「中は?」

「まだ調べてない。なにが起きるかわからんからな」

「賢明だ」


 視界が悪いので、ケビンが松明を用意してご主人に渡す。

 アミーさんはケビンの斧に光球の魔術を纏わせることによって、前衛にも視界を確保させている。

 この辺りの連携はさすがというところ。

 でも光球の明かりが少し強いような?


「うん、ちょっと制御がまだ出来なくて、強くなっちゃったけど、まぁ見えないわけじゃないし」

「まぁ、目が眩むほどじゃないから問題ないさ」


 やはり今の彼女に攻撃魔術を使わせるのは危険かもしれない。今回はサポートに徹してもらうことにしよう。

 わたしとイーグが翼を広げ、馬車へと飛行する。

 水中に何も潜んでいないことを確認してケビンに合図を送り、彼が残り二人を護衛しながら馬車へと辿り着いた。

 馬車は大型の物が二台。一台は柵を張り巡らせた檻の様な造りになっていて、数人の死体が中に見える。

 もう一台はガッシリとした木壁に随所を金属で補強した物で……あれ?


「リムル様、なにか……見た覚えが」

「……うん。ボクも」


 この馬車の雰囲気。そして檻の中で死んでいる死体の首に嵌まったままの首輪。


「奴隷……商人……?」

「間違いない。エイルを売った、あの商人だ」


 そう言えば、あの馬車は国境や大きな街に入る時は、人目を避けるようなルートを取っていた。

 このラウムという国でも、奴隷はおおっぴらにして良いものではない。故に裏ルートを通ってこの橋を渡り……ということだろうか?


 ふと、馬車の中の死体の一つが目に留まる。

 薄茶の髪。その髪の色から、死んだ魚の様な視線を連想した。

 あの髪の色、あの背丈、あの……腐ってよくわからないけど、それでも見覚えのある、顔。

 馬車で初めて目を覚ました時に、わたしと顔を合わせた、あの子だ。


「ぐ……うぐぇ!」


 唐突に湧き上がる吐き気に我慢できず、わたしは顔を背けて嘔吐する。

 胃が何度も痙攣し、喉が焼ける様に痛むまで吐き続け、ようやく収まってきた。

 吐瀉物は川に流されたおかげで、臭いも残らない。吐き戻した物をご主人に見られなくて、少しホッとする。

 今までに人を殺したこともある。魔物なんかしょっちゅうだ。それでも、敵では無い、知った顔の死体を目にするのは……堪える。

 特に仲が良かった訳じゃない。声だって、ろくに交わしていない。でも……


「大丈夫?」

「リムル様……うん、だいじょ、ぶ」


 震える膝に鞭を入れ、しっかりと地面を踏みしめて彼の傍に立つ。

 彼らは、わたしが弔わないといけない気がした。

 解放されたとはいえ、同じ釜の飯を食べたわたしが、彼らを看取らないと。


「エイルが感知した魔力の反応。きっとあの首輪の事だね」

「……うん。うん?」


 そこで妙な違和感に気付いた。

 わたしが感知した魔力の反応は二十個近く。この檻の中にある遺体は精々十体。

 予備の隷属の首輪は存在するだろうが、魔力を通していないそれは、魔力感知に反応しないはず。


「リムル様……数が、あわない!」

「え?」


 わたしが声を上げたその瞬間、もう一台の馬車のドアが内側から開け放たれ、中から動く死体共が飛び出してきた。

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