第46話 奨学
破戒神ユーリについて語るとしよう。
正直、神様の逸話なんて『どうだ俺スゲーだろ、信仰しろ!』って流ればかりなので、眉唾だと思ってたスルーしてたのだけど、わたしたちの目的にここまで関わってくるとなると、そうもいかない。
破戒神、もしくは世界樹を半分折り潰したことから『破界神』とも呼ばれる……世間一般で言う所の邪神だ。
この神様自体が特に何か、人類に対して害をなしたわけではない。
いや、当時主流だった世界樹信仰のご本尊をへし折ったのは害悪以外のナニモノでも無いけど、まあ邪悪な存在では無かったはずだ。
むしろ人類がこの神より得た恩恵は多い。
暑い夏、寒い冬を享受するのみだったこの世界に『空調』の概念を取り入れ、大型土木や充填式魔道具の知識を広め、転移魔術や変化の術式も開発した。
音波を使った探知の術式などは冒険者必須の術とまで言われている。
そして突如襲来した『魔王マーショシィ』と呼ばれる存在を撃退した、英雄の一人。
これだけなら、まさに救世の英雄と呼ばれるべき、凄まじい功績。
だが、この神……彼女は何を思ったのか、突如として『世界樹を破壊する』という暴挙に出る。
結果として彼女は、『世界の信仰を根底を揺るがした邪神』として扱われることになった。戒律を破壊した神、すなわち破戒神。
その栄光と没落は語り部たちの好奇心を大きく刺激し、未だ劇などの演目に上がるほどミステリアスな存在として語り継がれている。
他にも風神ハスタールとのロマンスが有ったとか無かったとか?
とにかく、彼女は多彩な魔術と魔道具を開発し、世界を救い、信仰を破壊した神として世に知られている。
一気に語って、渇いた喉を潤すために、水を口に含む。
今は学校へ向かう前の朝食時。
いつもの食堂で、いきなりご主人に『破戒神について話してご覧』と出題された。
「故に知識の神と同時に自由の神として扱われ、その奔放さに信仰者は邪教徒認定されることも少なくない……で、あってる?」
「うん、正解」
「びみょーに違うけど、まぁ間違いじゃないかなぁ?」
突然ご主人に問題を出され、慌てて手持ちの知識をひっくり返して答えて見たけど、どうやら正解したようだ。
そう言えばイーグはこの神様の眷族だったっけ。
「イーグは神様に直接会ったこと、ある?」
「そりゃ、わたしの母親代わりだもん。ちなみにこの姿も破戒神様の真似だよ?」
「え?」
今のイーグの姿とは、すなわち十歳位の美幼女。下手したらそれ以下かもしれないくらい、見た目は幼げだ。
「あの……イーグ、確か破戒神様は風神様とのロマンスとかあったりしたはずじゃ?」
「うん、結婚してたという伝説、見た」
「あー、うん。してたね、結婚。でないとオヤビン生まれてないじゃない?」
それは……たしかに。あれ、でも……じゃあ……
「子供の時の姿とか?」
「いんや、破戒神様は終生この姿のままだねぇ。不老だったし」
「もしかして、風神様、ロリコン?」
「それ、本人気にしてたみたいだから、表立って言わない方がいいよー」
「……しかもエイルがいるってことは、その……イロイロして、孕ませたり、したんだ?」
「うん、あの時は大騒ぎでねぇ。破戒神様、一回死んじゃったりしたし」
戦慄にドン引きするご主人。
わたしもそんな変態の血が流れてるとか、イヤだなぁ。
「というか、やっぱり神様も死ぬんだ?」
「むしろ破戒神様はポクポク死んでたね。すぐ蘇るけど」
「そっかー、神さま蘇るんだぁ。スゴイなぁ」
何気にとんでもないこと言われたので、わたしもジットリした汗が流れてきた。
なんだかこの話題を続けるとストレスが溜まりそう。
ご主人のほうにチラリと視線を流すと、もう物凄く『どーでもいーや』感を垂れ流しながら、海草サラダをつついていた。
自分から話題を振っておいて、ヒドイ。
「むぅ、なんだかわたし、この話題が続くと精神にダメージ受けるから、別のがいい」
「まぁ、そうだね。というか早く食べないと遅刻しちゃうじゃないか。二人ともなにのんびりしてるのさ」
「遅刻するのはリムル様だけだしぃ」
「わたし学校に入れないしー」
「うわっ、すっごいムカッときたなぁ。そりゃ生徒はボクだけだけどさ!」
ご主人のほっぺがぷっくり膨れる。
こういう仕草を見てると、まだまだ子供なんだと実感するね。
そのプニプニをつつきながら、わたしは食事を促した。
「ほら、早く食べないと遅れる。それともわたしが送ろうか?」
「やめろ。空なんか飛んだら超目立つじゃないか」
一応、飛行の魔術式も現在では確立されている。これは風神様の開発したものだったかな?
「そう言えば、破戒神様と風神様が結婚していたのなら、わたし風神様の子孫にもなるのかな?」
「うん、そうなるね。でも、破戒神様の血の方が強いから、子孫の女の子はたいていツルペタロリ体型だったよ」
「おのれ、破戒神……やっぱり邪神だ」
「ちなみに風神様も若作りだったから、成長は期待しない方がいいんじゃない?」
物言いたげな視線をわたしの身体の一点へ注ぐイーグ。僅かな未来への希望すら打ち砕かれて、ガックリと項垂れる。
ともかく、最初から怖がらずに空を飛べたのは、きっとその血統のおかげだったのだろう。
学院に登校したわたしたちは、ワラク先生に呼び出されることになった。
ちなみにイーグは日課の温泉通いである。近場のエルフ村に良質の温泉が湧いたので、毎日通っている。
代償に土木工事なんかを手伝っているので、エルフ村の人たちも大歓迎だそうだ。
エルフたちは細身で美形な分、体力的にはやや劣る面があるから、豪腕でタフなイーグは歓迎すべき存在だそうな。
それはともかく、職員室に訪れた私たちの前のワラク先生は非常に言い難そうな表情をしてから口を開いた。
「は、積立金?」
「そうだ。この学院では毎年二週間ほど、マタラ合従国への合宿を行うことになっていてね。現地の生徒との技術交流や、世界への見識を広めるというのが目的だよ」
「二週間って……このラウムからじゃ、片道でも一年は掛かりますよ」
マタラ合従国。
大陸の東西を挟んで反対側に存在する、群島国家連合だ。
主に鉱石素材の発掘と魔道具の開発が盛んで、特に鍛冶を主とした魔剣製作が有名。
魔道器術はシステマチックな魔道理論を持つ系統で、目に見えない魔力をそのまま加工して使用する、世間一般の魔術式とは一線を画している。
そしてドワーフが多数住み着いており、ラウムとマタラは正直仲はよろしくは無い。
「そこは常設された転移の術式が存在するからね」
「転移ですか。あれは確か物凄く魔力を消費したような……」
「さすがに良く知っているな。まぁ、そこはそれ。この学院には魔力を収集する設備があってね。ある程度自動で集積してくれているので、年に二、三度の往復程度なら問題なく使えるのだよ」
自動で魔力収集する設備とか、なにそれ怖い。
その設備があれば戦略級の攻撃魔法とか撃てたりするんじゃないだろうか?
「それ、凄くキワドイ話題じゃないですか?」
「おっと、これは極秘事項だから内密にな。まぁ、秘密は誰にでも何処にでも存在するものだから、もちろん守ってくれると信じているが」
「……言いたいことはわかりますので、守りますよ」
この先生、実はご主人の目的に勘付いているとか?
教師陣の中ではかなり切れ者っぽい印象だし、今後は要注意かもしれない。
「それは助かるね。で、その旅行の為の積立金が必要になるのだよ」
「転移するなら、旅費はいらないでしょう?」
「向こうで宿泊する資金とか、細かな交通費とか資材の材料費とか……いろいろ掛かるのだよ」
確かに人は生活するだけでもお金が掛かる。百五十人ほどが纏まって宿泊するとなると、それなりの施設も必要だろう。
ましてや大半が貴族様だ。生半可な所には泊められない。
「……知ってると思いますが、ボクはあまり生活が裕福では無いです」
「もちろん知っている。だから心苦しいのだけどね」
ご主人が苦い顔で家計の実情を語る。
裕福ではあったけど、家一軒借りているので、最近は圧迫されている。
「フム、どうかね、奨学金制度を受けてみる気はないか? 君が奨学金を受けれるほど優秀だと周知されれば、問題は無いはずだ。そして相応の実力があるのも、私は承知しているよ」
「それはありがたいですが、今からでも大丈夫なのですか?」
入学前のご主人は、蘇生の捜査の為に表立って動くわけにはいかなかった。
だから実力を隠し、地味に、だがある程度の発言権を持って入学することを目的に動いてきた。
だが入学してしまい、地下書庫に至るまで自由に使用できる現在では、実力を隠す必要はあまり無い。奨学金を受けれるのなら、受けておきたいところではある。
だが、申し込みのタイミングと言うのが……これまた存在するのは確か。
一般的な奨学金は、入学前に申請して厳重な審査を受けた後に支給される事になる。今はその時期を過ぎていて、審査を受けられる期間では無いはず。
「学院としても優秀な人材を留めておきたいからね。家庭の事情などで学費を払えなくなる生徒は、毎年のように存在する。そういった生徒の救済措置に奨学制度には常に余裕を設けられているんだ。奨学金を受ければ積立金も免除される。悪い話じゃないだろう?」
ワラク先生の言葉にご主人が考え込む表情をした。
どうしたんだろう、お得な話だと思うんだけど……?
「少し、考える時間をください」
「構わんが、あまり時間は無いぞ。積立金の支払期限もあるし」
「承知してます。話はこれだけなら失礼しても?」
「ああ、それだけだ。正直私は優秀な生徒が埋もれたままなのは気掛かりなのでね。できれば受けてもらいたいと思っているよ」
「お心遣い感謝します。それでは」
「……ああ」
結局その場で返事を返さず、職員室を後にすることにした。
始業の予鈴が鳴るまで、ご主人と食堂でお茶を飲むことにする。
まだ時間は二十分ほどあるので、簡単なティーバッグのお茶くらいなら充分に楽しめる時間はある。
エリーの所を訪ねてもいいのだが、この時間は図書室が開いてない為、何処にいるかわからない。
周囲には同じように時間を潰す学生の姿も、チラホラと見えた。
「リムル様、なぜ即答しなかったの?」
「ああ、あれね? それは当然じゃない。だって奨学金を受けるには審査が入るんだよ?」
「審査……」
そうか、そういえばご主人は十二の若さで入学を果たした秀才で、不便とは言え一軒家を借り受け一人(?)暮らしをして、さらには優秀な冒険者としても名が売れてきている。
ここまで出来すぎだと、
審査が入ると、そういったところにも調査の手が入るのだろう。
何処で魔術を学んだのか?
誰から学んだのか?
家を買う資金はどこから出たのか?
ケビンとの馴れ初めは?
わたしの力の秘密は?
何か良からぬことを企んでいるのでは無いか?
そんな痛くも無い腹どころか、痛みまくる腹まで探られることになる。
うっかり目的が漏れ出さないとは限らない。
そもそも十二の少年が、両親を亡くし一年もせぬうちに遠く離れた学院に入学するなど、尋常の事態では無い。
雇った奴隷は人外魔境の力を発揮しているし、同居している幼女はあらゆる面で人の領域を超える。
付き合いのある冒険者は破格の出世を遂げ、魔力付与という最新技術を会得している。
偶然に偶然が重なった結果だけど、まるで吸い寄せられるように事態がトントン拍子に進んでいる。
これを訝しまない調査員は居ないだろう。
「わかった? ボクたちってこう考えると、すっごい怪しいよねぇ」
「わ、わたしのせいじゃないし!」
「別にエイルのせいとは言ってないよ。もっとも、エイルのおかげって言うのは有るかもしれないけどね」
「どこが違うの?」
「ま、いろいろさ」
ご主人は、なんとも言えない表情でわたしを眺め、うれしそうに笑みを浮かべて、お茶を啜っていた。
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