第三章

第45話 日常

 わたしの異空庫内部に目的物が納まっていると知って二か月が経過して、三月になった。


 従者として学院に通っているわたしだけど、授業を受けているわけではないので、平時はとても暇だ。

 しかも、『災獣殺し』の金魚のフンと思われる相手には絡まれ、豪腕を知る者には疎まれる毎日。

 そんな連中と四六時中同席していたら、気が滅入るのも無理はない。

 そんなわたしも楽しめる授業がある。それは身体修練と魔法実技の授業だ。


 どちらも主である生徒が危険な目に会う可能性がある為、従者の見学が許可されている授業。

 この時ばかりは控え室を出て、運動場や魔術実習棟という場所に行くことが出来る。

 学院では身体能力の鍛錬も兼ねて、一定の修練が授業として課せられているのだ。


「リムル様ー、がんばれー」


 三月に入り、やや寒さが和らいできたこの日も、ご主人は授業でグラウンドを駆けずり回されていた。

 今日の授業内容はマラソンらしい。

 十五歳くらいの生徒達に混じり、半ズボンで息を切らせながら走る姿は……正直萌える。

 やや苦しげに顔を歪める所とか、特に。


「エイル……ハァ、なんか……視線が、ふぅ……怖いん、だけど」

「気のせい」

「そこ、喋ってないで、走れ!」

「こんちくしょー!」


 罵声を上げてご主人がスピードを上げる。

 叱られてはいるけれど、ご主人の順位はダントツの一位だ。

 伊達に早朝からランニングと剣の修練、その後学院で授業を受け、午後からは資料の調査。休日は日帰りで受けれる依頼を果たし、泊りがけでエルフ村の温泉施設へ骨休めに行くという、アットホームなパパも顔負けのハードスケジュールをこなしていない。

 ましてや貴族や金持ちの温い鍛え方をして来た様な連中が相手では、相手にすらならない。


「あの、ガキ……なんで、あんなに……足、はや……」

「不良のフリオ君はもうグロッキーのようですね、エリーさん」

「彼も結局はボンボンですから。それと不良じゃないそうだよ、エイルちゃん」


 なぜかわたしの横でエリーも見学してたりする。

 今日も公然とサボっているところを見ると、本当に進級できるのか不安になってくる。


「それよりもアレフ君ね。日頃は優等生ぶってますが、その体力は非力の極み」

「あいつは口だけだから、キライ」


 グラウンドの反対側でヘロヘロ走っているアレフを見て、エリーも辛辣な感想を述べた。

 入学から三か月も経つと、大体の人となりと言うものは見えてくる。

 フリオはアウトローを気取ってはいるけど根は善人だし、逆にアレフは優等生ぶってリーダーシップを取りたがるが、その才は無さそう。

 そして、マリアは高飛車に見えて気が利くいい子だ。ただし今は結構殺意が湧く。

 理由は……揺れてるからだ。どことは言わないが、イヤミなくらい。


「……けしからん」

「ええ、本当に。もげてしまえばいいのに」

「わたしはエリーくらいが一番好き」

「あら、エイルの慎ましいのも好ましいわよ?」

「む、そんなことない。少し増えたもん」


 前計った時より、二ミリほど。


「ほんとに? じゃあ確かめてみないと!」


 妙に指をワキワキさせながら迫るエリー。

 わたしは敏感肌なので、反応が激しい。それを知った彼女は折を見てはくすぐりに来る。

 彼女のことは嫌いじゃないけど、このちょっとサディスティックな面は遠慮してほしい。


「お姉さんが触って確認を……きゃ、なんで避けるの!」

「なぜ避けないと思ったの?」


 飛び掛かって来る彼女をヒョイと避けて距離を取ると、いわれのない非難を受けることになった。

 そのままなし崩しでトラック脇で追いかけっこを開始する。

 もちろん一流冒険者にも引けを取らない私が、素人の彼女に捕まるはずがない。

 けど、その動きが教員の癇に障ったみたいだった。


「そこ、見学者が遊んでるんじゃない! なんだったら一緒に走るか!?」


 なんで見学者のわたしが一緒に走らないといけないのか、と思ったけど、肌寒い中を座って見ているだけというのも、確かに厳しい。

 せっかくの申し出だし、ここは乗らせてもらうことにする。

 エリーの背後に回りこんで抱え上げ、グラウンドに乱入して、全速力で走り出した。


「きゃああぁぁぁぁ! エイルちゃん、早い! 早過ぎて怖いからあぁぁぁ!」


 ドラゴン化した手足に、魔力付与で身体強化した身体だと、エリーの体重なんて羽根みたいな物だ。

 地面を一蹴りするだけで十メートル近くを跳ね飛び、ほんの数歩で半周を走りきる。

 身体が軽いので疲労を感じる程では無いから、いくらでも走っていられる気分だ。

 途中でご主人も拾い上げ、ほんの十分で四百メートルトラックを二十週もして見せた。



 自宅に帰るとご主人の小言が待っていた。

 夕食の時くらいは、お小言やめて欲しいのに。


「まったく、真に受けて本当に乱入するとは思ってなかったよ」

「だって、寒かったから」

「別に見学は強制じゃないから、待機室に戻ってもよかったのに」

「あそこ、空気悪い」

「でも学校に乱入とか、たのしそーじゃない。わたしも行って見たかったなー」

「もちろんその格好で、だよね?」

「もちろん、元の姿でー」


 とんでもない事をのたまうイーグを、軽く叩いておく。


「やめてあげろ? 街中に災獣ファブニールが現れたなんて事態になったら、真っ先に被害を受けるのはケビンだから」

「人前でイーグ対ケビンの決闘が始まるんだ? うん、ケビン、死ぬね」

「えー、わたしちゃんと負けてあげられるよ?」


 ケビンもいつまでも腕力馬鹿なままでは無い。今ではかなり腕を上げて、普通に依頼を受けても変に思われないくらいだ。

 それくらいの急成長を遂げている。まさに成長期。


「ま、あいつも元々の素質は悪くなかったからね」

「腕力と体力はあったね。バカだけど」

「ボクも頑張らないとね」

「リムル様、凄く強くなったよ?」


 これは本当に。魔力付与をすればケビン以上の戦闘力を持ち、そこらの戦士くらいなら充分にあしらえてしまう程度の腕になっているのだから、驚きだ。

 見かけは細っこい少年なのに、超強い。絡んできた冒険者を叩き伏せる光景とか見てると、ちょっとドキドキしてしまう。


「周りの比較対象が桁外れだから、実感湧かないよ」

「ケビンがいるじゃない」

「アイツも急成長してるからね。おかげで、あまり自分が強くなったと言う実感は無いよ」

「わたしやオヤビンと毎日剣を合わせているからねー。一種のパワーレベリング状態?」


 イーグと毎日練習してるって事は、毎日ドラゴンと戦ってるってことになるからかな?

 それなら強くなって当たり前だ。


「ま、今は剣の成長よりこっちを進めないとね。エイル、進捗はどんな感じ?」

「んぅ、読めない文字の手記がおよそ八十冊くらいあった」

「イーグも読めないの?」

「うん、こんな文字見たことが無いよ」


 異空庫には、大陸共通語で書かれた文献の他に、見たことも無い文字で書かれているモノも混じっていた。

 二か月かけて、大量の書物の中からそれらを分類するが、読める本の中には蘇生に関する術式は無かった。

 読めない文献は、基本的に糸くずが絡まったような文字と、角ばった直線を組み合わせた魔法陣のような文字、それを簡略化したような文字に……これは数字、かな? あとわたしたちの使う文字と微妙に違う感じの文字もある。それらが組み合わされて文章を作っている。

 けれど、文字体系が違いすぎて、読解のとっかかりになる場所すらないありさま。


「まずいね、完全に行き詰ってるかもしれない」

「どこの国の言葉だろ?」

「神様の言葉だからねー」

「ひょっとしたら……地下にこの文字の辞書とかあったりしないかな?」

「エイル、それはいくらなんでもご都合主義過ぎる」

「むぅ、でも現にこうして文献が残ってるんだし、地下にも他の文献があるかもしれないよ」

「それは確かに……」


 とにかく集めまくる学院の性質から考えてたら、むしろ無い方がおかしいかもしれない。

 そして、読めない文字の文献を見つけたら、読んで見たくなるのも収集家のさが

 ならばその読解に挑戦した資料が残っていても、不思議は無いはず。


「結局、また地下を漁ることになるのかぁ」

「言語学の先生に助力を頼むのは?」

「ことがことだから、おおっぴらに頼むのはなぁ……」


 下手に外部の者に協力を申し出て、発覚するのも危険もある、か。

 できるならわたしたちだけで解決したいけど、それができない。外部に協力を頼むことも無理。


「……リムル様、詰んでない?」

「うん……まぁ、まだ本格的な調査から三か月だし、諦めるのは早いよ。もう少し自力で頑張ってみよう」

「見込み、薄い」

「そうなんだよね。とにかく、放課後は地下書庫で参考文献を探す。夜は家で資料を研究。この線で行こう」

「というか、それしかないねー」


 イーグに気楽に流され、食事兼ミーティングは終了することになった。



 夜、異空庫内の資料をひっくり返していると、ご主人が何か書き物をしている事に気付いた。


「リムル様、サボり?」

「人聞き悪い事言うなっ!?」

「なにしてるの?」

「文字のサンプルを作ってるんだ。資料を他の人に見せる事は出来ないけど、こういう文字を知っている人がいないか探すことは出来るだろ。サンプルがあれば、文になってない適当な文字を見せて『こんな文字知りませんか』って聞けるじゃないか」

「でも出所を尋ねられたりしないかな?」


 見知らぬ文字を見せられたら、その出所を怪しむのは当然。特にこの学院なら。


「そこはそれ。ボクらは冒険者だからね。新たな遺跡とか見つけたことにして、『利益に関わるので秘密です』って言っておけばいいさ」

「そんなもん?」

「冒険者なんて、そんなものさ。ボクも施療院にいた頃は『この傷はどこでどうやって付けられた物です?』って聞いても、答えてもらえたことなんて半分も無いもの」


 聞けば、素材として高額な獲物を捕ろうとして付けられた傷だったらしく、そういう獲物の情報が流れるのを防ぎたかったからだとか。

 獲物の情報、遺跡の情報、鉱石などの素材の情報。冒険者には秘しておかねばならない状況と言うのは、結構有るものらしい。


「幸いにもボクらは冒険者で、それも有名人の従者だからね。向こうが勝手に想像してくれるさ」

「でも、聞く相手はちゃんと選ばないと、ね」

「そうだね。最初は……やっぱりエリー先輩かな? 地下書庫に関しては司書の先生より詳しいそうだし」

「ん、それは当然の判断かな」

「もっとも、学院で信用できるのなんて、エリー先輩の他にはワラク教師かセーレ女史くらいじゃないかな?」


 ワラク先生はこの学院では数少ない良識派で、学院の思想をもっとも忠実に体現している存在と言える。

 彼なら、欲得抜きで協力してくれるかもしれない。知識量も申し分ないし。

 ただし、教師特有の頑固さもあるので、目的がバレたら逆に邪魔される可能性もある。


 一組のセーレ女史は、あの後も何度か顔を合わせたことがあるけど、一組にありえないフランクさと平等な価値観を持っている。

 あの傲慢な連中に囲まれて、自分が歪まないのは、ある意味凄い。

 意外と、というか、さすが実質主席だけあって、その知識量は教師に負けないほどの物があるっぽいので、協力者には向いているかもしれない。

 でも、やはりエリーほどに親しい間柄では無いので、やや信用しきれない面はある。


「ま、それは追々考えればいいかな。まずはエリー先輩の助言をあおぐとしよう」

「ん、じゃあ書写、がんばって」

「ぐっ、エイルの下手な字じゃ伝わらないかもしれないから、仕方ないか」

「リムル様、一言多い」


 ポカポカ殴って抗議を示しておいた。

 こんな感じで、少しずつ……状況は進んでいるのかも知れない。

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