第24話 番外編 転換

「つまりオヤビンは、ボスに押し倒されるのが怖いわけなんだねー?」


 その事件は、イーグのこんな一言から始まった。

 ラウムに腰を据えて数日。三人一部屋に泊まっているので、そう言うガールズトークじみた会話もたまには出る。

 もっとも三人の中で、女の子と断言できるのは一人だけだが。


「怖いわけじゃ無い、納得してなら……わたしは別に、いい……かも?」

「ボクが無理矢理とか、するわけ無いだろう? 大体エイルの方が力は上なんだし」


 抗議するリムルを、エイルは紅潮した顔で見つめ返す。


「でも奴隷契約の首輪はある。リムル様がその気になったら、やっぱり逆らえないし」

「う、それは確かに」


 リムルが『命令』すれば彼女には否は無い。

 とんでもない話題に思わず口を挟んでしまったと、リムルが後悔した時はもう遅い。


「そんなあなたに、じゃじゃーん!」


 イーグは懐から一本の薬瓶を取り出し、リムルの口に押し込んだ。


「むぐっ!? ぐふっ、ごほっ!」

「飲め飲めー」


 口腔内を埋め尽くす、激烈な苦味に何とか吐き出そうともがくが、相手は五百歳の猛者。

 そうはさせじと手足を巧みに押さえ込み、呼吸のために吸い込む空気と共に胃袋に流れ込んでいく。

 やがて、呼吸すら厳しくなり、更に腹の底から異様な熱を感じて……次第に意識が溶けていった。



 胸の上に重みを感じて、リムルは目を覚ました。

 いつの間にかベッドに運ばれ、脇にはエイルが寄り添うように眠っている。

 部屋の隅には、なぜかイーグがボコボコの顔で縛り上げられ、転がされていた。


「一体何が……」


 体が重い。なにより肩が重い……そう感じた。まるで大きな荷物を背負わされたかのように。

 服も胸元が弛んでいて……そこで、何か不自然な気配を感じた。


「なんだ、この弛み方?」


 目の前がモッコリと膨らみで、腰元が見えない。あまりにも奇妙な膨らみ方。

 パンパンと叩いて弛みを直そうとした手に、ふにょんと言う感触が返って来る。


「え……」


 その独特の手応えは覚えがある。

 治癒術師として父親の仕事を補佐した時に、何度か触れたことがあった。

 他の部位の脂肪とは格段に手触りの違う、しっかりとした質量と柔らかさは……紛うこと無き女性の胸であった。

 それもかなりでかい。


「な、なんじゃ、こりゃああぁぁぁぁ!!」



「説明してもらおうか!」


 エイルを叩き起こし、イーグも癒してから、リムルは宣言した。

 なんだかんだで怪我人を治す律儀なところは、実に彼らしい。


「イーグが……」

「オヤビンが……」


 同時にお互いを指差す配下二人。


「エイル、ボクは今初めて『お仕置き』を使いたくて仕方ない気分なんだ」

「ぴぃ!?」


 ヤバい感じに据わった視線に晒され、エイルが珍妙な悲鳴を上げる。

 彼女の説明によると、こういうことらしい。



『つまりオヤビンが押し倒されないようにすればいいわけだよ』

『どーしてそうなる?』

『ボスが女の子になれば、オヤビンの膜は安泰でしょ?』

『膜言うな! もっとこう大人しい表現は無いの?』



「つまり……エイルを守るためにしたことだと?」

「そ、そうそう。わたしに悪気は無かったんだよー」


 戦力的に圧倒的強者であるはずのイーグが、リムルの眼力に怯える様はある意味、滑稽とも言える。

 つまり今、彼はそれほどの殺意を放っているのだ。

 勝手に性別を変えられたのだから、無理は無い話ではある。


「すべてはイーグの暴走、わたしは無罪」

「オヤビン、見捨てないでー!?」

「まあいいよ。早く元に戻して」

「あ、無理」

「はぁ!?」


 速攻の否定にリムルは呆然と声を上げる。


「そのお薬、試作品だから解毒薬無いの」

「クッ、ならば解毒の魔術で……」

「それも無理。破戒神様は『即効性が売りだ!』って叫んでたから、もう完全に体に取り込まれて同化してるの」

「また破戒神かっ! くそ、じゃあもう一回飲めば男に戻るはず……」

「試作品だから、それ一本しかないの」

「そんなモン飲ませるなぁ!」


 続け様の却下と治療不可の未来に絶望の声を上げる。

 もはや体質として改善済み。解毒が効かない以上、同様の薬か解毒薬を作り出さない限り元には戻れないということだ。


「ボクはこのまま、解毒薬を完成させるまで女で過ごさないといけないのか」

「だ、大丈夫、リムル様凄く可愛いから!」

「そーそー、ボスすっごい美少女!」

「それが何の救いになるんだっ!?」


 そう言うリムルの外見は、非常に整っていると言える。

 肩口までの繊細な金髪に、澄んだ碧眼。

 すらりとした長身と存在感溢れる、形の良い巨乳。

 それでいて顔は歳相応に幼く、未完成の芸術品を思わせる。

 間違いなく十人中十人が美少女と太鼓判を押すであろう外見をしていた。


「もういい、とにかく朝食を食べに行こう……対策はその後だ」


 宿に食堂が無いので、朝食はいつも朝早くから開いている軽食屋に向かうことにしていた。

 その為には着替えないと行けない訳で。


「む、胸が……入らない!?」

「ばくはつしろ」

「ボスのおっぱいでっかいもんねー」


 仕方ないので、エイルのホルターネックのシャツを借りる。

 背中が開いているので、胸が大きくても多少は無理ができるからだ。

 だが、その結果……非常にキワドイ格好になってしまう。主に横からの光景が。


「リムル様、はみ出しそう」

「ウルサイな、仕方ないだろう」

「ボス、鳥肌立ってるよ?」

「寒いんだよ! エイルはよく我慢できるな」

「リムル様の選んでくれた服だし」

「後で温かい服、買いに行こうね?」

「リムル様が選んでくれるなら、いいよ?」

「…………まあ、いいか」



 どうにか服装をごまかし、街中で好色な視線に晒されながら軽食屋に辿り付く。

 軽食屋で安くてボリュームが売りのモーニングセットをぱくついていると、違和感を感じた。

 いつもなら育ち盛りの補正もあって余裕で食べきれる量なのに、持て余している。


「むう、女になって胃袋が小さくなったのかな?」

「わたしはたくさん入るよ?」 

「エイルはお腹がパンパンに膨らむまで食べるからな」

「でもすぐへっこむのは不思議だよねー」

「あのお腹見てると妊婦さん思い出すんだよな」

「そこまで膨らまないし!」


 リスの頬袋のように膨らむ、エイルの頬。彼女の身体は色々と柔軟性が高いようだ。

 そこでリムルは、ふと周囲の視線が自分達に集まっていることに気が付いた。


「なんだ?」

「リムル様が美少女だからじゃ無い? かわいーし」

「わたしたちみんなが可愛いからだと思うなー」


 イーグの言う通り、現在のリムルたちはタイプの違う美少女揃いと言える。

 金髪で抜群のスタイルを持ちながら、清楚な雰囲気を放つリムル。

 白金の髪と左目に包帯を巻き、儚げな印象を持つエイル。

 銀の髪に妖精のような愛らしさと妖艶さを共存させたイーグ。

 それぞれ一人だけでも充分に人目を引く容姿なのだ。

 いつもはリムルと言う男の性別が防波堤になり、嫉妬と言う形で視線はリムルの方に向かうのだが、今回はそれが無く好奇の視線が三人に直に突き刺さる。


「どうにも、居心地悪いなぁ……」


 日頃受ける敵意を含んだ視線と違う、好意と劣情の視線に身悶えするリムル。

 落ち着かずモジモジと身体を揺らす姿は、小動物の様で逆に庇護欲をそそっている。

 そこに店の扉を蹴りあける勢いで、入ってきた人影がいた。


「おう、エイルじゃねぇか。丁度いい、今度仕事手伝ってくれよ」


 リムルたちを見つけるなり、粗野で無遠慮な声を掛かてくる。ケビンだ。

 彼は一流の証である青ランクに昇進したが、実際の力量はそれほどない。

 だから、彼の冒険には必ずエイルとリムルが付き従うことになっている。

 彼は四人掛けのテーブルに許可も無くどっかりと腰を据え――


「……あ」


 リムルを見て硬直した。

 カクンと顎が落ち、目が虚ろになり、他の何も視界に入ってない模様。

 ケビンの目には、リムルがまるで後光が射すかの様に輝いて見えた。


「…………美しい」

「へぁ!?」

「あ、あの! 俺ケビンって言います! よかったら名前教えてくれませんか?」

「え、あ? ボク、リムル――」

「そっか、リムルさんっていうんだ。愛らしい名前ですね」

「はいィ!?」

「そうだ今度一緒にお食事……は、もうご一緒してますね。買い物、そうショッピングとか行きませんか!?」

「え……あ、あの、ね? 何で気付かないんだ!?」

「あなたの美しさなら先ほど気付きました! いえ、今更と言われてもおかしくない、むしろ謝罪すらしましょう!」

「なに言ってるかわからないよ!?」


 いきなりの態度豹変に目を白黒させるリムル。

 エイルとイーグは面白そうな展開に、笑いを堪えながら観客に徹している。もはや援護は期待できない。

 ケビンの目には、混乱するリムルの姿すら魅力的に見えたのか……


「あ、いきなりのことで混乱してるんですね。それとも男性からの誘いに驚いたのか? なんて純粋な方だ」

「キミは一体何を言って――」

「今日初めて会ったばかりですが、惚れました! 結婚を前提にお付き合いしてください!」

「アホかぁぁぁああぁぁぁぁ!」


 あまりの事態に渾身の右ストレートを放つ。

 だが体術はからっきしのリムルに、仮にも青ランクのケビンを捉えることはできず……それどころか足を引っ掛けて胸の中に飛び込む形になってしまった。


「ああ、俺の告白を受け入れてくれるのか……ありがとう」

「おい、待て!」

「あなたが受け入れてくれて、俺は幸せだ」

「だから待てと――」

「さぁ、誓いのベーゼを」


 歓喜に震え、近付いてくるケビンの顔。

 視界の端には、笑い転げているイーグとエイルの姿。

 ケビンの顔は、そのままリムルの顔に重なるように――



「やめろおぉぉぉぉぉ!?」


 絶叫と共にベッドから跳ね起きる。

 何かが跳ね飛ばした気がするが、今はそれ所ではない。


「……あ?」


 周囲を見渡すと、そこはようやく見慣れてきた宿の部屋だった。

 慌てて自分の身体をチェック。問題なく男の身体だ。


「よ、よかった……無い、それに付いてる……夢で本当によかった……」

「リムル様、何が良かったのか、詳しく……」


 どこかくぐもった様なエイルの声がベッドの脇から聞こえる。

 視線を向けると、そこには海老反りになってベッドから転げ落ちたエイルの姿があった。


「あ、ごめん……」

「どうしたの、リムル様?」

「ちょっと夢見が悪くてね」


 叩き起こされたと言うのに、こちらの心配をしてくれるエイルを、彼はとても愛らしく思えた。

 少なくとも夢の中で自分の苦境を楽しんでいた彼女よりは、よほどいい。


「エイルはそのままでいてね。お願いだから」

「――? うん?」


 イーグの悪影響を受けると、いつかああなってしまうのだろうか?

 それだけが心配なリムルだった。


「そうだ、あの薬は?」

「あれ? イーグが作った睡眠薬だって。リムル様が寝てたら、わたしが襲われることもないだろうって」

「そっか、それで……」


 その日、リムルは過剰なまでにエイルの機嫌を取り、逆に不気味に思われる羽目になったそうな。

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