第3話 奴隷

 『わたし』の『変異』は更に進んだ。

 背中には小さな皮膜の翼が生え、精神が平坦に変化していくのが自覚できた。

 もはや、自分の身体が変わったくらいでは動じない自分に、逆に驚いたくらいだ。

 左目は暗闇の中でも昼のように見通し、変化した手足は強靭極まりない。

 ただ、左右の力のバランスが崩れて、しばらくは歩くのにも苦労した。

 そして――精神が平坦になると共に、記憶も薄れていくようだった。

 すでに自分の名前は思い出せない。両親の顔も思い出せない。

 『居た』と言う事実だけが記憶にある。それを悲しいと思う心も、すでに無かった。


 幸いにして『変異』はそこで止まった。

 『わたし』はまだ、かろうじて人の形を保っていると言えるだろう。

 竜の肉はまだ腐るほど残っている。だが、いつまでもこの石室に居座る訳にも行かない。どうにかして脱出しないと。

 暗闇の中でも見通せるようになったので、壁面をくまなく調べて回ると、壁の一角が開くようになっていることに気付いた。

 押し開くと、壁の向こうには更に大きな部屋になっていて、そこには国がひっくり返るほどの大量の金貨や魔道具が無造作に積まれていた。

 中には神器級の魔剣や巨大すぎて持ち上がらないほどの大剣、人の力で引けるのかと言うくらい硬い弓なども投げ出されており、その無造作さに顎の落ちる思いがする。


「ここは……伝説にある邪神の神殿かな?」


 とにかく現金とか武器はあれば便利だろうし、埃を被った魔術教範や書籍なども何かの役に立つかもしれない。

 『わたし』は片っ端から異空庫に叩き込み、探索を進めることにした。


 部屋には隠し扉以外に普通の扉も付いており、その向こうは石造りの短い通路になっていた。

 左右には小さな部屋がしつらえられ、地滑りで用を成さなくなった水道設備なども設置されている。

 他の部屋にも宿泊設備があり、何物かが居住していたのは確かだ。

 だがもう何十年も使用されていなかったのだろう、積もりに積もった埃は絨毯の様に足が沈むほどだった。


「よく地滑りの中、原型を留めて……いや、この施設全体に頑強が仕込んであるんだ……すごい魔術師の住居だったんだね」


 頭に生えた角が、施設全体から流れる魔力を感知している。

 便利な体になったものだ。


 上階への階段を登り、屋根板を上げようとするが、これは土砂に埋まってしまっていた。

 どうやら上物には頑強が仕込んでなかったようだ。


「肝心な上階を強化してないとか……変な建物?」


 ともあれ、頭上を塞いでいた施設は突破できた訳だし、ここからは土を掘って地上に出ればいいだけ。

 今回は武器を始めとした道具だってあるから、岩盤が塞いでても問題なく切り拓けるはず。




 一時間ほど掛け、五メートルほど掘り進んだだろうか?

 唐突に頭上の土が崩れ、陽の光が差し込んできた。


「やっと……出れた」


 起伏の乏しくなった精神では、そう呟くのが限界だった。

 生き延びた――その感動すら薄く、涙も出てこない。


 地上に出て漫然と立ちすくんでいると、背後から声がかけられた。


「おい、誰かいるのか? 生存者か!?」


 その声に『わたし』は振り返る。

 崩落し崖の如く切り立った斜面に一人の作業員がいた。

 おそらくは生存者の捜索に当っていた、マレバ市の人間だろう。


「あ、わたしは――」

「お、おまえ! 悪魔か!?」

「――え?」


 その叫びに、ふと我に返る。

 今の『わたし』の姿は、ボロボロの服に竜の左手と右足、背中には小さな翼があり、角まで生えている。

 そして……これは後で気付いたのだが、わたしの左目は金に輝き、瞳孔も縦に長い爬虫類の様な物に変じていた。

 なるほど、神話にある悪魔って確かにこんな形状だったかな?


「違う、わたしは――」

「黙れ! この噴火も貴様が起こしたのか!? おい、こっちにバケモノがいるぞ!」


 男は腕に自信があるのか、探索用のピッケルを手にこちらに迫り、仲間を呼び集めた。

 ゾロゾロと五人ほどの作業員が集まってくる。それぞれ、手には得物を持っている。


「聞いて、わたしはこの村の――」

「黙れってんだよ!」


 『わたし』の話に全く聞く耳を持たなかった男は、手に持ったピッケルを頭に振り下ろしてくる。

 竜の左目はその動きを明確に捉え……だが混乱した頭では避けきることもできずに、再び『わたし』は気絶することとなった。




 再び目を覚ました『わたし』は、周囲の状況を見て唖然とする。

 手足には枷が嵌められ、簡素な貫頭衣のみを着せられ、床に転がされていた。

 ゴロゴロと言う振動が伝わってくる所を見ると、馬車の中だろうか?

 周囲にはわたしと同じ格好の同年代くらいの子供たちが、まるで死んだ魚のような目でうずくまっていた。


「……ここ、どこ?」

「……………………」


 やはり他の子供たちの反応は無い。

 馬車の荷台は檻で囲まれ、積荷である『わたし』たちが逃げられないようになっている。


「殺されることはなかったみたいだけど、あまり良い状況じゃない、かな?」


 これは噂にしか聞いたことが無いけど、奴隷商人という奴なんだろう。周囲の子供たちの格好から、そう判断した。

 だとすれば長居するのは不味い。何とかこの枷を外して逃げ出さないと。

 手足は竜化しているので、腕力は桁が違っている。上手くいけば引き千切れるかも……


「くっ、この――ぐぅっ!」


 強引に引っ張ってみると、反対側の人の手が引っ張られ、骨が軋んだ。

 よく考えてみれば、引き千切るには反対の手も同じだけの力が無いと引っ張られるだけだった。

 右手はまだ人の形の通り……いや、数日の断食の効果か、見た目以上に非力な少女のままだ。


「固定する側の手がこれじゃ、引き千切れない、か……」

「もう起きたか? さすがバケモノ」


 枷をガチャガチャと弄っていると、檻の外に屈強な男がやってきていた。

 彼は檻の鍵を開けると『わたし』を連れ出そうとする。


「暴れるな。身体検査をするだけだ」

「身体検査?」

「病気を持っていないか、それと処女かどうか、だ。貴様の売値に響いてくるからな」

「そんなっ、嫌で――」

「暴れるなら手足を切り落として『肉』にするだけだ。お前は変わってるから高く売れるかもな?」

「くっ……」


 奴隷が死んだら、潰してその肉を他の奴隷の餌にする……そういった話は、大人たちの脅し文句として聞いたことがある。

 多分こいつの言い様からすると、あの脅しは真実なのだろう。


 それからの出来事は思い出したくも無い。

 椅子に縛り付けられ、局部を調べ上げられた屈辱は当分忘れられそうに無かった。

 『わたし』は経験が無かったから良かった物の、そうで無かった場合を想像すると怖気が走る。

 今でも隣の部屋から響いてきた悲鳴や嬌声は耳に残っている。


 幸いにして彼らの中には他者の能力を識別する技能を持つ者はいなかったようで、異空庫について聞かれることは無かった。

 この中に入っている金貨や武器は、『わたし』の切り札だ。

 機会があれば、自分の身を買い戻すことだって可能なはず。問題は今それがバレてしまうと、彼らに没収されてしまうだけに終わってしまうこと。

 タイミングを計って、確実に利用しないと。




 それから三週間。

 『わたし』たちは聖都ベリトと言う街まで運ばれた。

 表向きには奴隷は認められていないので、関所を避け、かなりの強行軍で進んだようだ。

 もちろん、その間に何も無かったわけでは無い。売り物になるように、様々な知識や技術を叩き込まれていた。

 主に男性に奉仕する知識、そして技術。経験が無いなら無いなりの手法で。


 もちろん抵抗はした。

 だけど『わたし』の首には『奴隷契約の首輪』が嵌められ、抵抗したり逃亡したりすれば、首輪が凄まじい苦痛を与えてくる。

 この魔道具は装着者を殺さない。その代わり、気も狂わんばかりの苦痛を与えてくるのだ。

 実際に壊れてしまった子供も居た。そして、そういう日の夕食には、珍しく『肉』が出た。

 それがどういうことか、もちろん理解していた。


 ベリトに到着する頃には、『わたし』も他の子供と同じように『死んだ目』になっていた。

 『わたし』は他の子供よりはマシな状態だと思う。『わたし』の感情は起伏に乏しくなっていたのだから。

 それでも心にトラウマを受けるには充分。その経験が『わたし』に刻まれ、昇華される。


 ――つまり……情けをかけるな、容赦をするな。られる前にれ、ってこと。


 あの時、作業員に怪我をさせてはいけないと思ったせいで、対応が遅れた。

 その結果が今の境遇なのだから。


 この街の中心には折れた世界樹がそびえ立っている。

 折れたとは言え、世界樹は古代の迷宮をその内に宿し、そこから産出される宝物はまさに一攫千金の夢を叶えてくれる。

 現在は七百層にも及ぶ迷宮の二割程度しか踏破できていないそうだ。

 神魔大戦でへし折られた世界樹は、我が身を護る為により強力なモンスターを内部に召喚するようになったのだとか。


 それ故に、この街には多くの冒険者が集まる。

 欲を、名誉を、金を得るために。

 そして人が集まれば、奴隷もまた需要が伸びる。

 ある者は戦闘のために、ある者は獣欲を満たす為に、ある者は労働力として。


 表向きには生活雑貨の市として、奴隷商人は店を開いていた。

 聞いた話によると、三日後には競売が行われるそうだ。

 良い主人に買われれば人並みの生活は送れると奴隷商は言っていたが、悪ければ冒険者の肉壁として使われ、その日のうちに『廃品』になってしまうそうだ。

 そして定額を出せば、三日後の競売を待たずに売買されるとも……


「なあ、こいつの角とか翼、ホンモノなのか?」


 檻の中で鬱々とした気分で膝を抱えている『わたし』の前に、冒険者風の少年がやってきた。

 歳は『わたし』と同じ程度、成人にもなってないくらい。擦り切れたローブを着ていて、明らかに近接戦は苦手そう。

 でも服の仕立て自体は悪く無いので、お金は持ってそう。


「ええ、ホンモノですよ。こいつは竜と人の合いの子でして――」


 そんな事実は無い。

 『わたし』の記憶は薄れているが、人であった記憶は明確にある。

 セールストークを続ける奴隷商を無視して、虚ろな目で少年を眺める。

 細い手足、サラサラの金髪、整った容貌。

 その手の趣味なら一発で堕ちそうな美少年。でも冒険者としては将来性は薄いかも。

 魔術の才能とかあれば、話は別だけど。


「コイツ、強い?」

「え? ええ、この手足を見てくださいよ! 鉄すら切り裂く竜の爪でやすよ!」

「だったら、なんでここから逃げないんだよ?」

「そ、そりゃあ……契約の首輪を付けてますんで」

「ふーん……? でもオッサンたちより弱いから捕まったんだよね?」

「イ、イヤ……コイツは売られたんですよ!」


 次第に冷や汗を掻き始めた奴隷商。少年の方が機転は利きそう。

 脳内で異空庫に仕舞い込んだ宝物について検索する。少年に扱えそうな魔道具がいくつかあった。

 『わたし』は暗い陰鬱な声音のまま、少年に語りかけた。


「戦闘の経験は無いから、強いかはわからない。でも『わたし』を買ってくれるなら、役に立つことは約束する」

「へぇ?」

「おい! 勝手に喋ってんじゃねぇ!」


 奴隷商が杖を使って、檻の隙間から『わたし』を突き倒す。

 避けることもできるが、その意欲すら今の『わたし』には存在しない。ただ、ここに居続けて、見知らぬ誰かに買われるよりは、彼の方がマシだと思った。

 そんな『わたし』を少年は底の知れないような、不思議な視線で見据える。


「面白いな。外見もだけど……オッチャン、コイツいくら?」

「へぇ! 競売前なんで即金だと金貨百枚になります!」

「高いよ。ボクが子供だからってボッてるだろ?」

「そういわれましても、コイツは処女の上玉ですんで、それにこの外見が良いと言うお客様も多く……」


 そんな客は見た事も無い。


「そうか、八十なら買うんだけど」

「仕方ありませんなぁ! では八十でよござんす」

「調子いいな、オッサン」



 こうして『わたし』は少年の奴隷となった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る