第2話 発端
???の備忘録より。
『わたし』はマレバ市の近くにある、山の麓で生まれた。
『わたし』たちの住む集落は、山より木を切り出し、炭を焼いて日々の糧を得ている。
かつて、邪神の神殿が存在したと言うその山に登る『わたし』たちは、『恐れ知らずの野蛮人』と街の人に思われていたことは、幼いながらに理解していた。
事実、山の中腹に登ろうとすると、なぜか道に迷ってしまうのだ。
方向感覚が狂わされ、いつの間にか登っていたはずが、元の場所に戻ってしまう……そんなことが平気で起こる山だった。
だが、街には火が必要だ。燃料として、明かりとして。その為にもっとも緑の深い山に住む『わたし』たちは、嫌悪されながらも必要な人材とされていた。
さて、『わたし』のことだが……ああ、なぜ自分を『わたし』と呼称しているかだが、答えは簡単。名前を忘れたからだ。理由は後で説明しよう。
生まれたとき、『わたし』は一つの『ギフト』を持っていた。
『ギフト』とは、その人物に備わった神の贈り物だ。その分野において、優秀な才能や能力・異能を持っている事を示している。
ただしそのジャンルは剣や魔術の才能から、ジャンケンの才能まで多岐に渡る。
『わたし』も一つの、奇特な技能を持っていた。
その技能とは『異空庫』。
空間に穴を開け、そこにモノをしまい、また取り出せる能力。
力も無く、魔力も無く、頭も良くない『わたし』は、この能力で荷を運ぶことで、集落から一定の敬意を受けて育っていた。
巨大な大木、焼きたての炭、そして動物の肉や皮。
異空庫にしまったモノはその時間すら止めて、新鮮なまま、焼きたてのまま街まで運ばれることになる。
この能力が重宝されないわけが無い。
『わたし』の能力は父が巧妙に隠し、また街の関係者も隠すことに理解を示してくれた。
幼い『わたし』には理解できなかったが、この力はとても危険な側面もあるらしい。
上手く世間の目から逃れ、異能を隠しながら『わたし』は幸せに生活していたと思う。あの時までは。
『わたし』が十三になった時、山が突然噴火した。
その噴火は正に唐突で……いきなり山頂付近より火を噴き出し、大地を揺らし、崩し……巨大な土石流を発生させた。
土石流って言う単語は後になって知った言葉だ。
とにかく、いきなり土砂が雪崩の様に押し寄せ、集落を一瞬にして飲み込んでいったのは覚えている。
『わたし』が気が付いたとき、土砂の中に埋まっていた。
呼吸が出来る空間に居たのは、まさに奇跡だったんだと思う。
ただ身動きは取れなかった……とても無事とは言いがたい状況。
真っ暗でよくわからなかったけど、左目が痛い。
ぬるりとした粘ついた液体が眼窩から流れ出ているのがわかる。
左腕も動かなかった。
どうやら何かで挟まれ、押し潰されているみたい。痛いと言うより熱いといった感覚がある。
同じ感触が右足にも存在した。身体を対角線に押えられ、ピクリとも動けない。
そんな状況を確認して『わたし』は力尽き、意識を手放した。
つまり、『わたし』は今、そんな状況に陥っていた。
再び目を覚ました時も、状況は変わらなかった。
しいて言えば、右足と左腕、そして左目から鈍い痛みがはっきりと伝わってきたことくらい。
――最悪だ。これなら何もわからない方がまだマシ!
痛みに悶え、のたうち……しかし動くことも出来ず、胸を土砂で押されているため悲鳴すらろくに上げられず、ただ体力だけを消耗して『わたし』は再び気を失った。
一体、どれくらい時が経ったのだろう……?
いつ、助けが来るのだろう……?
いつ、『わたし』は死ねるんだろう……?
朦朧とした頭と鈍い痛みで思考が乱れ、そんなことばかり考えていた。
痛みの次にやってきたのが、飢餓感だった。
失った体力や血液、怪我の修復に身体が栄養を欲したのだろうと思う。
もちろん、土砂に埋もれた『わたし』の傍に食料なんてない。
さらにやってきたのは、渇きだった。
わかる範囲では、すでに一日は確実に何も口にしていない。
人間は何日水を口にしなければ、死ぬんだったっけ?
覚醒し、苦痛と飢餓で悶え苦しみ、そして気絶する。
何度繰り返したのか、もはやわからなくらいの時間が経った時、顔に一滴の雫が落ちてきた。
頬を伝い、口元に流れたそれを必死で舐め取る。
自分の血が混じったのか、かなり生臭いその雫は、『わたし』にとって天上の甘露にも等しく思えた。
ポタリポタリと伝え落ちる雫を舐め取って命を繋いで、どれほど経っただろうか?
『わたし』は唐突にその違和感に気付いた。
――腕……動、く?
右腕がかすかに動かせる。左足も――動く!
挟まっていた左腕と右足は動かないままけど、なんとか引き抜くことはできた。
不自由な体で必死に土を掻き、動けるスペースを広げ、身体を丸める程度の空間を掘り広げることに成功する。
久し振りに感じる、自由な体。その解放感に涙が流れた。
しばらく自分の身体を抱きしめた後、今後のことを考える。
「いつまでもこの土の中だと、そのうち力尽きちゃう。とにかく脱出しないと……」
とにかく土の中から出ないと……そう思って必死に上に向かって土を掻き出す。
水分を得て体力が戻ったのだろうか、思ったより容易く土を掻き分けることができた。
数メートルは掘り進んだと思われる頃、目の前に石の壁が現れた。
「こんな、所で……!」
明らかに人工物のそれは、『わたし』の上に鎮座して地上への道を大きく塞いでいた。
表面には何かの文様が刻まれ、手頃な石で殴りつけてみても傷一つ付かなかった。噂に聞く頑強の付与魔術だろうか?
無闇に堀り返すと崩落の危険があるのは承知しているけど、この石壁を越えないと地上には出れない。
石壁だってちょっと迂回すれば途切れてるかもしれないし。
少し迂回路を掘ってみると、石壁が欠けている所を発見した。
裂け目はほんの少しの小さな物だけど、身体の小さな『わたし』なら、通り抜けられる程度はある。
這いずる様に裂け目を潜り抜けると、そこはかなり大きな部屋のような空間になっていた。
二十メートル四方はあるのではないかと言う、巨大な空間。中央には直方形の巨大な石塊。
ここは石室と言うべきか? そんなモノが『わたし』の上に圧し掛かっていたのだ。
中央には部屋の七割以上を占める程の巨大な石の塊。
数日振りに立ち上がってみると、足元でピチャリと言う水音がした。顔に垂れて来た水はここから漏れ出たものだったのかな?
水は石の固まりから漏れ出ているようだった。
「よく潰れなかったな……わたし」
運悪く手足を押し潰されたと言うより、運良く隙間に挟まっていた状態だったのだろう。
そこでふと奇妙な事実に気が付いた。
「あれ、なんでわたし……ここの広さがわかったんだろ?」
灯りなんてある訳が無い。光すら差さない完全な闇の中で。
『わたし』は、二十メートル四方の石室と、その中央に安置されている巨大な石の塊を見ることが出来ていた。
山育ちだけあって、元来夜目は利く方だけど、これはおかしい。
「でも……今はありがたい、かな?」
見え無いよりよっぽどマシだし。
それに喉の乾きも、そろそろ限界だ。あの石から水が漏れくるなら、中にはもっと水があるかもしれない。
「こんな大きな石……中から水が出るって事は、これ入れ物なのかな?」
周囲をペタペタと触っていると、予想外の軽さで石の表面が
「あわっ!? あれ、これ……やっぱり箱?」
正確に直方体に整えられたそれは、明らかに人工物に思われた。なら
頑強な石でできた蓋は、なぜか非力な『わたし』でも軽々と動かすことができた。
十メートルを超える石の蓋を片手で動かせるなんて、これも魔術が掛かっているのだろうか?
恐る恐る、『わたし』が中を覗いてみると――
「――ひぁっ!」
無様な嗚咽が漏れ出たとしても、仕方ないと思う。
箱の……いや、棺の中にあったのは氷漬けにされた竜の死体だったのだから。
十メートルを超える、頭部を砕かれた竜の死体。氷漬けになったそのを一部が、溶けて隙間から漏れ出ていた。
今まさに死んだばかりと言わんばかりの、新鮮な竜の死体。
そこから流れ出る血が溶けた氷と混じり……つまり『わたし』が飲んでいたのは――
「うぐぅっ!?」
胃の腑がひっくり返るかのような嫌悪感。
部屋の隅で
胃液が喉を焼いて、その不快感にまた嗚咽を繰り返す。
落ち着きを取り戻した『わたし』はもう一度箱の中を覗く。
怖いもの見たさ、ではなく――
「お腹……すいた」
数日、いやもう一週間は経つのだろうか?
正確な日数はわからないが、『わたし』は土砂に埋もれて負傷し、土を掘り進むという重労働まで行ってきたのだから。
身体が栄養を求めている。
水分を求めている。
そして目の前には、竜の肉があり、流れ出る血がある。
その日、『わたし』は餓えと渇きに負けて、血肉を貪った。
やはり生肉や血を貪ると言うのは良くなかったのか……その日は一日、熱と腹痛と全身の痛みに苦しんで眠りに就くことになった。
死体はそのまま放置すると腐ってしまう気がしたので、異空庫に放り込んでおく。
この中なら死体であっても腐敗することは無いから。
たとえ気持ち悪くても、食べると身体を壊すとしても、水も食料も無いこの場所では、この死体だけが『わたし』の命を繋ぐ最後の命綱なのだから。
だけど、さすがに悪食の罰が当たったのか、発熱と苦痛は時を追うごとに酷くなり……やがて意識を失ってしまった。
目を覚ましたのはどれ位経った後か……喉の渇きや空腹具合で、かなりの時間が経ったことが実感できる。
石の床で寝たせいか、身体の節々が痛い。
『わたし』は
「嘘、確か左手はあまり動かなくなって――え?」
目に入った左腕は……人の形をしていなかった。
二の腕辺りから強靭な皮で覆われ、あまつさえ鱗まで生え揃っている。
無骨な手は節だっていて、爪は鋭く長い。
これは、どう見ても爬虫類――いや、ドラゴンのそれだ。
「嘘、嘘だよ……わたしの腕……は、はは……どらごんになっちゃった……アハハハハ」
虚ろな声で笑いを漏らす。
もう笑うしかない。故郷の山が崩れ、集落が埋もれ、『わたし』は人間ですら無くなったのだから。
「アハ、アハハハ……アハハハハハハハ、HAHAHAHAHAHA!」
まだ人の形をしている右手で頭を抱え、狂ったように哄笑をあげる。
その右手にゴツリとした何かが当たった。
髪から飛び出す程度の小さな角。それが頭に生えていた。
「ハハハ……ウン、これは夢だよ。夢に違いないよ」
ごろりと横になる。夢ならもう一度目を覚ませば……そんな淡い希望を抱いて眠りにつく。
空腹は耐え難いレベルだけど、夢なら関係ないはずと割り切って、無理矢理にでも目を閉じた。
もちろん、夢でもなんでもなかった。悲しいくらいに現実だった。
『わたし』の左腕と右足はドラゴンの如きそれとなり、頭にも角が生えていた。
そして、この暗闇の中でその様子を明確に見て取った左目も、きっと人のモノでは無くなったのだろう。
それでも『わたし』は、生きる為に竜の肉を食らうしかなかったのだ。
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