第321話 深淵の使徒


 翌日の夕刻、リンドアの中心部にある邸宅に――『深淵の使徒』五人が集まった。


 イグレドとの戦いによって、三人が死亡しているから、リンドアに残っている

『深淵の使徒』はこれで全員だった。


「また、いつ『暴食の魔神』が襲撃を仕掛けて来るかも解らぬ状況で。我らを集めるとは……シャーロン、貴様は何か奇策でも思い付いたのであろうな?」


 最年長であり、『深淵の使徒』第二席。ブレストリア法国の宰相の地位にあるグレゴリアス・ノルドレイが苛立たし気に言う。


 白髪と白い口髭を生やした、いかにも魔術師という出で立ちの老人――嫌味の多いグレゴリアスは、シャーロンと昔から仲が悪かった。


「グレゴリアス、下らぬ事を言うな……我らが魔神の前では無力だと、散々思い知らされたではないか。シャーロンとて……それくらいは解っているだろう?」


 短く髪を刈りこんだ魔族の美丈夫――第一席のストレイア・ターフィールドが応じる。


 ストレイアは調停者のような毅然とした態度を装っているが……


 自分が最初に『偽神デミフィーンド』の魂の欠片を取り込んで『深淵の使徒』となったというのに。魔族であるが故に、『神の化身』の国であるブレストリア法国の宰相の地位を、グレゴリアスに譲るしかなかった事を未だに根に持っている矮小な男だ。


「下らない御託は良い……リンドアを復興させるために、誰もが忙しいのだ。シャーロン……悪いが、用件は手短に済ませてくれ」


 全身に刺青を入れた鋼のような身体の魔族――第五席オルフェン・バルジスタが、落ち着いた声で言う。


 五人の中で最も武闘派に見えるオルフェンだが……見た目に反して、温厚な性格であり。全身の刺青はかつて滅んだ同胞への祈りを込めたもので。身体を鍛えているのも、健全な身体にこそ健全な精神が宿るという考えによるものだった。


 そんな彼らのやり取りを黙って眺めているのは――第八席のエリック・ガストライトだ。


 頬のこけた神経質そうな人族の男は――見た目通りに苛立ちを覚えながら。心底見下している他の『深淵の使徒』の会話になど、絶対に加わるつもりなどなかった。


 シャーロンは四人それぞれの反応を眺めながら――口元に薄い笑みを浮かべる。


「私だって、貴方たちと無駄話をするほど暇じゃないから。単刀直入に言うわ……今から私が『深淵の学派』を支配するから」


 一瞬、シャーロンが何を言ったのか、誰も理解できなかったが――


「……いったい何の茶番だ、馬鹿馬鹿しい! シャーロン! 貴様は気で触れたか!」


 真っ先に反応したのはグレゴリアスで。激怒した彼はテーブルを叩いて立ち上がる。


「いや、待て。シャーロンの言う事だ。言外の意味があるのだろう……」


 それを止めたのは温厚な刺青男オルフェンだ。


「シャーロン、貴方の意図をもう少し解りやすく説明してくれないか?」


「いや、全くだ。シャーロンほどの切れ者が、この期に及んで世迷い事を言う筈がない。『暴食の魔神』に手も足も出ないかったというのに、我らを支配するなど……よほど深い考えがあるのだろう?」


 ストレイアが嫌み混じりの台詞を吐く。ストレイアとてイグレドを前に何も出来なかったのだが。相手を攻撃するときは、自分の事は棚上げにする都合の良い性格なのだ。


 彼ら『深淵の使徒』は――他の使徒たちのように、神の化身や魔神に仕えて『権能』を与えられた訳ではない。


 誰にも仕えず、自ら『偽神デミフィーンド』の魂の欠片を取り込んで人外の存在となったのだ。


 その力は同じ『使徒』と呼ぶには余りにも強大で、自らが神の化身や魔神と対等な立場になったと錯覚させるには十分だった。


 しかし、現実は――『深淵の使徒』八人掛りでもイグレドに一方的に蹂躙されるだけで、五人が生き残れたのも戦いを放棄したからだ。


 そんな現実も、ストレイアはすっかり忘れたかのように。調停者を気取りながら、内心では誰が『深淵の使徒』とブレストリア法国を支配するかという事に固執している。


 本当に下らない奴らだ――シャーロンは心底思う。


 彼ら『深淵の学派』は、その名の通りに魔法の深淵を覗くために集った筈なのに。ここにいる自分以外の四人は、魂を世俗に囚われて。深淵を極めるという理想を忘れてしまっているのだ。


「勘違いているみたいだけど……私は言葉通りの意味で、貴方たちを支配するのよ。それに足る戦力が私にはあるから」


 平然と薄笑いを浮かべるシャーロンに。


「シャーロン! 貴様という奴は!」


 激怒したグレゴリアスが杖をかざして、魔法を発動しようとする。


「あら、グレゴリアス……魔法の打ち合いで、私に勝てると思ってるの?」


 シャーロンは無詠唱の上位魔法で、対抗しようとするが――


「おい、シャーロン……誰が喧嘩を売れって言ったんだよ?」


 突然、部屋の真ん中に出現したカイエに、シャーロン以外の四人が唖然とする。


「カイエ様、お言葉ですが……愚か者を従わせるには、実力行使以外にないかと思いますが」


 シャーロンは本気で四体一で勝つつもりでいた――さすがに殺さずに無力化するのは難しいが、四人を翻弄する手段なら用意している。


 しかし、同時にカイエがそんな事を望んでいない事も理解しているから……『介入するならばお好きに』という状況を作ったのだ。


「全く……シャーロン、おまえは食えない奴だよな」


「お褒め頂き、光栄です」


「いや、誉めてないって……まあ、良いけどさ」


 周りを完全に無視した二人のやり取りに。グレゴリアスは血管が切れそうだったが、何も出来なかった――魔法を発動する途中で、カイエに動きを封じられたからだ。


「待て待て待て……シャーロン、そこの男は何者だ? 何故この場にいる?」


 平静さを装いながら、ストレイアスが訊く。カイエが只者ではない事はストレイアも気づいていたが――


 自分たちが侵入に気付かなかった事と、グレゴリアスを一瞬で無力化した事から、カイエの警戒に全神経を注いでいるオルフェンと比べれば、感覚が鈍いと言う他はない。


「俺はカイエ・ラクシエルで、目的はシャーロンと同じだよ」


「つまり、シャーロンが連れて来た刺客という事か? だがな、我ら四人を相手に何が……」


 まだ状況が理解出来ないストレイアスを、カイエは面倒になってので魔法で黙らせる。


「とりあえず、ここでも当たり・・・を引いた訳か……」


 全然嬉しくないと、カイエが視線を向ける先では――ずっと黙っていた第八席エリック・ガストライトの様子が激変していた。


 痩せこけた男は、カイエに憎悪を向けながら、全身から蒼い焔のような魔力を噴き上げる――精神操作によって、精神操作によって、エリックが取り込んだ『偽神デミフィーンド』の魔力が限界を超えて引き上がる。


「待て、エリック! そんな力の使い方をしたら……」


 オルフェンが必死に止めようとするが――


「いや、問題ないから」


 カイエは当然のようにエリックを結界に閉じ込めて、一瞬で無力化した。

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