第215話 アリスの本気


 湾岸都市にあるシャルトの海軍基地まで、ジャグリーンに報告するためにやって来たことを――アリスは後悔する事になった。


「なるほど……詰まる所、良い女ぶっている癖に実は処〇だったのアリスが、ようやく女になったって事だな?」


 執務室で平然と言うジャグリーンに――アリスは震えながら拳を握り締める。


「ジャ、ジャグリーン……今、何て言った? ……ふさげるんじゃないわよ!」


 漆黒の刀を引き抜いて躍り掛かるアリスの一撃を、ジャグリーンは曲刀カトラスで受け止める。


「単なる事実を言ったまでだ。アリスが〇女かどうかって事くらい、本当に経験豊富な本大人なら解るさ。だが……君の一番大切な人にとっては、むしろ喜ばしい事だろう?」


「………!」


 アリスが顔を真っ赤にしてカイエの方を伺うと――当人は全部解っているからという感じで、優しい笑みを浮かべている。

 それどころか……ローズたちも全く驚いた様子もなく、むしろ気遣わしげな顔をしているのが逆に痛かった。


「みんな……気づいていたっていうの? だったら、私一人……馬鹿みたいじゃない!」


「ごめん、アリス……そんなつもりじゃないの」


「ああ。アリスがみんなの代わりに汚れ仕事を引き受けるために、スレた女を演じて来たことは解っているから」


「うん……アリスは優しいから、私たちのために頑張ってくれたんだよね」


 みんなの想いが伝わって来るから――余計に恥ずかしくなる。何なのよ、もう……本当に私一人が、みんなの気遣いを知らなかっただなんて……まるで道化じゃない!


「いや、そうじゃないって。アリス……そういう・・・・ところも全部引っくるめて、みんなおまえが好きなんだよ。それに経験してるかどうかなんて、良い女の条件じゃないし……おまえが最高に良い女だって事は、俺が一番解っているからな」


 漆黒の瞳に見つめられて――アリスは激しい情愛と温もりを同時に感じる。そうよ、私にとってカイエは最初で唯一の男なんだから……最高に幸せじゃない!


「みんな解ったわよ……まだ、ちょっと恥ずかしいけどね」


 アリスはローズたちに微笑むと――ジャグリーンに向き直って、妖艶な笑みを浮かべる。


「でも、ジャグリーン……あんたに揶揄からかわれるのはしゃくだから。行き遅れのあんたに……自分のしたことを後悔させてあげるから!」


 この瞬間、アリスの姿が消える。


 『影走り』――暗殺者を極めたアリスの異能ユニークスキルで、影と影の間を自由に移動できる能力だ。


 しかし、ジャグリーンもアリスの異能ユニークスキルを把握しているから、対策くらい用意していた。マジックアイテムの指輪で光の魔法を発動させて、眩い光で自分以外の影を掻き消す。


 そして自分の足元の影から現れる筈のアリスを待ち構えるが――光の中から現れたアリスに、背中から刀を突き付けられる。


「甘いわよ、ジャグリーン……いつまでも私が『影走り』を単体で使うだなんて、思い込んだあんたの負けよ。今の私は転移魔法が使えるんだから、組み合わせて使うに決まってるでしょ?」


 ジャグリーンの執務室の複数個所だけでなく、海軍基地のそこかしこにも。アリスは転移魔法の登録マーキングを予め行っていた。


 転移魔法をカイエの瞬間移動のように瞬時に連続発動する事は出来ないが――『影走り』と組み合わせる事で、事前準備さえすればアリスにも近いことは出来るのだ。


「なるほど……アリスも腕を上げたようだな」


 ジャグリーンは悔しそうな顔をするが。


「あら、勘違いしないでよね。あんたが私を舐めてるから、こんな事も出来るって見せただけで……あんたを倒すのに、異能ユニークスキルなんて必要ないから」


 アリスはジャグリーンの背中から刀を引くと。彼女の正面に、ゆっくりと回り込む。


「ジャグリーン……本気で掛かって来なさいよ」


 挑発に、ジャグリーンは憮然とした顔で曲刀カトラスを一閃するが――次の瞬間、幅広の刀身が床に転がっていた。


 アリスがいつ刀を動かしたのか……ジャグリーンには全く見えなかった。


「ほらね……カイエに散々鍛えて貰ったんだから。今の私には、あんたなんて敵じゃないのよ」


 再び背後からの声――今度の動きも、ジャグリーンは捉える事が出来なかった。


「なるほど、私の完敗だな……負けを認めよう。アリス……揶揄からかって済まなかった」


 意外なほど素直な彼女の反応に、アリスは訝しそうな顔をする。


「ジャグリーン、あんた……何か企んでるでしょ?」


「何を言うんだ、アリス? 心外だな……私は素直に、弟子の成長を喜んでいるだけだ」

 そう言いながらジャグリーンは、二人の戦いを見守っていたカイエたちの方へ近づいていく。


「カイエ……君にも祝いの言葉を言わないとね。おめでとう、カイエ……これからもアリスの事をよろしく頼むよ」


 カイエに接近するジャグリーンに、ローズたちが警戒して道を塞ごうとするが。


「ローズ、エスト、エマ……そんなに警戒しないでくれ。私は心から君たちの事を祝福しているし、邪魔をするつもりなんて一切ないから」


 ジャグリーンは笑顔で三人の肩をポンと叩いて、カイエの前までやって来ると――


「こんなにみんなに愛されていて……カイエ、君は幸せ者だな」


「ああ……自覚してるよ。だから俺は、こいつらの想いに全力で応えるって決めたんだ。ローズの事も、エストの事も、エマの事も、アリスの事も……俺は絶対放さない。俺が一番愛してるからな」


 これ以上カイエに近づくなら――これまで散々ジャグリーンにやられて来た・・・・・・ローズたちは、彼女の言葉など全然信用しておらず。何か仕掛けて来れば、即座に対応しようと身構えていた。


 しかし、カイエの言葉の不意打ちに――真っ赤になって呆けてしまう。


 その隙をジャグリーンが見逃す筈もなく――瞬時に間合いを詰めると、カイエにしな垂れ掛かる。


「ところで、カイエ……彼女たちを喜ばせるためにも。経験豊富な大人の女との火遊びが必要だと思わないか?」


「「「「……ジャグリーン!!!」」」」


 四人は一斉に飛び掛かるが――見えない壁に阻まれる。


「「「「……こんなモノ!!!」」」」


 苛立ち紛れに壁を破壊するが――その先にも、新たな壁があった。


「私では君たちには勝てないが……時間稼ぎをするくらいは出来るさ」


 ジャグリーンは己の魔力のほとんど全てを注ぎ込んで、何十もの多重結界を一瞬で作り上げたのだ。


 ここまでするか――傍観者の立場のロザリーとメリッサは、呆れ果てた顔でジャグリーンを見る。


「さあ、カイエ……気紛れで構わない。今は私と……」


 唇を重ねようとするジャグリーンを――カイエの指先が押し留める。


「悪いな、ジャグリーン……おまえと遊ぶつもりはないんだ。もう俺は、あいつらのモノだからさ」


 当然だろうという感じで、カイエは笑う。


 このときジャグリーンは、信じられないモノを見たような顔をした。


「魔神である君が……誰かのモノになると言うのか?」


「ああ、そうだよ……あいつらは俺のモノだし、俺の全てはあいつらのモノだ」


 恥ずかしげもなく堂々と宣言するカイエに……ジャグリーンは毒気を抜かれて、思わず笑ってしまう。


「何を抜け抜けと、君は惚気のろけているんだ……まさに付ける薬が無いというのはこの事だな」


 ローズたち四人が全ての結界を破壊してジャグリーンに迫る頃には――彼女は腹を抱えて笑っており、カイエは隣で面倒臭そうな顔をしていた。


「ジャグリーン……あんたは何がしたいのよ?」


 憮然とするアリスに、ジャグリーンは顔を上げると。


「ああ、アリス……そして君たちにも、済まなかったな。どうやら私はカイエに振られたらしいが……だけど面白い事を教えて貰ったから満足しているよ」


 そう言って、四人の顔を順に見る。


「改めて言わせて貰おう……このジャグリーン・ウェンドライトは、君たち五人を心から祝福する。しかし、忘れないでくれ……私はカイエのことを諦めていないし。君たちが隙を見せれば……何度でも奪いに行くからな」


 獰猛な野獣のように笑う彼女に――『良いわよ、いつでも受けて立つから!』と四人は闘志を漲らせた。

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