第189話 後始末と辺境伯


 聖教会の本部でのユクドル・オルガーナ枢機卿との交渉において――


(今回、僕がいる意味って……ほとんど無かったよね)


 メリッサは魔族の姿に戻るタイミングを完全に失って、途中から蚊帳の外に置かれており。


(メリッサはまだマシなのよ。ロザリーちゃんなんて……)


 ロザリーは完全に空気と化して、床石の数を数えていた。


※ ※ ※ ※


 魔族に対する扱いとして、カイエが要求した内容は以下だ――


 種族が魔族という理由だけで入国を拒否すること、不当に扱うこと、迫害することを禁じる。


 人族と魔族を同等に扱い、犯罪行為や紛争が発生した場合は、聖王国の法律に基づい人族と魔族を平等に裁く。


 種族以外を理由とした魔族との紛争その他の争い事は禁じない。ただし、他の理由があった場合でも、理由の中に種族が含まれれる場合は、犯罪行為とみなして法の下に裁く。

 近親者、友人、知人などに関する個人的な復讐行為は禁じない。ただし、復讐する対象は直接手を下した者に限定し、それ以外の者に対しては法律に従って争うこと――


 ジョセフ・スレイン国王と、ユクドル・オルガーナ枢機卿の名において、聖王国と聖教会が行ったこの宣言は、聖王国の国民だけでなく、世界中を震撼させることになる。


※ ※ ※ ※


「解釈の仕方なんて幾らでもあるし。抜け道を探すのは簡単だけどさ……とりあえず、『相手が魔族だから殺して良い』って表立って言う連中は減るだろうな」


 聖王国の王宮に戻ってきたカイエは、スレイン国王にそう言った。

 彼らが会談しているのは大広間ではなく、スレイン国王の私室。部屋にいるのはスレインとカイエたちだけだ。


 ローズたちが今も相変わらずカイエと密着して、ピンク色の空間を発生させている中。厳しい表情でカイエと話をするスレインの姿は、かなりシュールだった。


「聖教会が認めた以上、私としても異存は無いが……」


「まあ、おまえは反魔族の連中を完全に敵に回した事になるよな。そんな連中は聖王国の貴族にも、教会組織の中にも沢山いるだろうし。スレイン王家の危機という奴だが……せいぜい、頑張ってくれよ」


 カイエは気楽な調子で言うが、スレインは顔を引き吊らせる他は無かった。


「ところで、ジョセフ。おまえとは、もう一つ交渉したい事があるんだよ……何、そんなに嫌な顔をするなって。今度のは、おまえにもメリットのある内容だからさ」


 そう言って話し始めたのは、カイエが『私的に制圧した』とされているゼグランたち旧魔王軍第七師団に関するものだった。


「俺が制圧している聖王国の辺境地帯の事だけとさ――金貨百万枚で、俺に正式に譲渡しないか?」


「何……」


 金貨百万枚――その価値は日本円で約一千億円。


 辺境の広大な土地に対しては微妙な価格に思えるが。辺境地帯はかつて魔族の国があった場所であり。聖王国は第五次魔王討伐戦争の際に併合したまま、手つかずの状態で放置している。だから金貨百万枚というのは、決して悪い金額はなかった。


 ちなみに金額については、カイエとしてはアルジャルスの地下迷宮ダンジョンで荒稼ぎしていることもあって、幾らでも良かったのだが。金遣いに厳しいアリスが、不当にならないギリギリの金額を弾き出した。


「譲渡と言っても、聖王国から独立させなくて良い。自治権は完全に認めて貰うが、あくまでも王国内の一所領という扱いで構わない」


「それは……ラクシエル殿が、聖王国の貴族に加わって貰えるという事ですか?」


 臣下の前では立場上、カイエとも対等な口調で喋るが。今は他者の目が無いので、自然と口調が丁寧になる。

 形の上だけでも、カイエが臣下に加われば――スレイン国王にとって、そのメリットはとてつもなく大きい。


「いや、期待させてなんだけどさ。領主には別の奴を立てる……おまえのメリットは単純に百万枚の金貨が手に入る事と、聖王国の北側にタダで防壁を築ける事だよ。それに魔王軍の元魔将ドワイト・ゼグランの存在は、魔族に対して牽制になるからさ」


 ゼグランが実質的に辺境を支配することで、聖王国は怪物モンスターや魔族の侵略から守られる事になる。

 さらには、元魔将であるゼグランが間接的にでも聖王国の臣下として加わることは、これから入国して来る魔族に対して一定の牽制効果があるだろう。


 人族に対しては、王家を糾弾する材料を与える事にもなるが……カイエに譲歩して恩を売れるというメリットも考えれば、悪い条件ではない。


「なるほど……解りました。その条件で、辺境を譲渡しましょう。それで……領主には誰を立てるのですか?」


「ああ、その事だけどさ。打って付けの人物がいんだよ……」


※ ※ ※ ※


「本当に……私などで、よろしいのでしょうか?」


「ああ、全く問題ないよ。領内の実務的なことについては、ゼグランに任せれば良いし。ミシェルさんたちは、対外的な調整をしてくれれば良い」


 カイエが辺境の地の領主に選んだのは――ミシェル・クラーク。ローズの屋敷の管理をしていた老婦人だった。

 

 故人であるミシェルの夫は騎士侯であり、聖王国の法律ではミシェルに爵位を継承する権利がある。それも一応、彼女を選定した理由の一つではあるが……


「ゼグランも、それで文句はないよな?」


「勿論です、ラクシエル閣下……ミシェル・クラーク辺境伯。これから、よろしくお願いする」


 領土の大きさから言えば、辺境伯と言う爵位は妥当だが――その地位は、王家に次ぐものであり。最下級の騎士侯から一足飛びになれるものではないが……そこはカイエが『平民を貴族にするよりは楽だろう』とスレイン国王にゴリ押しした。


「それよりも、ミシェルさん……こんなことを頼んで、迷惑じゃなかった?」


 申し訳なさそうに言うローズに、ミシェルは笑顔で応じる。


「いいえ、ローゼリッタ様。私は貴方のお役に立てて、心から嬉しく思っております」


 ミシェルの有能さについてはカイエも知っていた。彼女はローズの屋敷の全てを取り仕切きっており、王国から支給されるローズの給金についても、一切の無駄なく完璧に管理している。


 また貴族社会や教会関係者などとの付き合いが嫌いなローズが、彼らの招待を全て断りながら。これまで悪い噂が立たなかったのも、ミシェルの功績が大きい。

 そんな彼女の能力が、領土の運営にも役立つとカイエは考えていたが……


「そう言ってくれると、私も嬉しいわ……ミシェルさんが引き受けてくれるなら、物凄く安心だもの」


「いえ、こちらこそ……お心遣いをして頂き、本当にありがとうございます」


 ミシェルを選んだ一番の理由は、彼女の安全のためだった。


 今回、聖王国と聖教会が魔族の入国を認めたことに、カイエたちが関与したことは、すぐに知れ渡ることになるだろう。

 それに対して、反魔族の連中が何らかの行動に出る可能性は少なくない。例えば、直接勇者たちを害することは難しいから、彼女たちの関係者をターゲットにするなど……


 カイエたちの関係者の中で、武力的な意味で一番無力なのがミシェルたちであり。ローズは王都の屋敷を引き払って、彼女たちとの関係を断つことも考えたが……ミシェル自身が、それを望まなかったのだ。


「私は……生涯、ローゼリッタ様にお仕えしたく思っております」


 という訳で……姪のメイ・クラークと、二人の近親者五名とともに、ミシェルは辺境の地に引っ越すことになった。


 ちなみにローズの邸宅は、スレイン王の達ての願いで王都に残すことになり。エストの塔とともに、不可視のインビジブル従者サーバントが管理することになった。

 もう一つ、ちなみに――すでに辺境にはゼグランたちの城塞と、魔族の街が建設済みだった。


 カイエが時折訪れては物資を運んで来たり、魔法で建物を作ったことも大きいが。ゼグランたちを頼って各地から集まって来た魔族が、労働力として役に立ったのだ。


 人口は五千人ほどと、まだ都市と呼べるほどの規模ではなかったが。ローウェル騎士伯領との交易も順調に進んでおり、市場には食料品や雑貨など、豊富な品が並んでいる。


「へえー……もう人族も住んでいるのか?」


 建物の軒先に立つ人の姿を見て、カイエが呟く。


「はい、ラクシエル閣下……彼らは交易商です。アリス殿の紹介ということで、街に店舗を構えることになりまして」


 ゼグランの副官であるグレミオ・サウジスが、眼鏡を直しながら自慢げに応えた。


 人数としては十数人というところだが――魔族に対する偏見が少ない商人たちが、辺境の地での魔族と人族の交易を商機と捉えて、この街で直接商売を始めていた。


「なるほどね……これからもっと、この街にも人族も増えると良いな。人族と魔族が一緒に暮らせるモデルケースになるよ」


 カイエはアリスの方に振り向いて、


「ありがとう、アリス……これからも、よろしく頼むよ」


 素直に礼を言うので――


「な、何を真顔で言ってるのよ……馬鹿じゃない!」


 アリスはデレた。


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