第177話 言い訳はしない


「ガルナッシュ連邦国の事は知っていますが……どうして私たちが、亡命する必要があるんんですか?」


 カイエの言葉を繰り返して、イルマは不思議そうな顔をする。


「必要があるって言うよりさ……ガルナッシュにとっても、イルマたちにとっても、互いにメリットがあるって話だよ」


 そう前置きしてから、カイエは説明を始めた。


 旧魔王軍の情報局がガルナッシュで暗躍しており、彼らはガルナッシュを分断して、反十大氏族と言うべき氏族たちを、自分たちの勢力に取り込もうとしている。

 その目的は『魔王の啓示』を受けたイルマを新たな魔王として、新たな魔王軍を作り上げる事だ。


 だから、ガルナッシュにとってはイルマを亡命させて取り込むことで、魔王軍を作るという情報局の目的を、根本的に瓦解させる事が出来る。


 一方のイルマたちにとっては、バルガス侯爵の遺産を狙う連中や、情報局から身を守る手段を得る事が出来るという訳だ。


「俺たちがレガルタを離れた後に、何度か魔族に襲撃された事があるだろう? あれはナイジェル・スタットが約束を反故にした訳じゃなくて。情報局の奴らの差し金だからな」


 カイエはお人好しでも馬鹿でもないから。ナイジェルのその後の動向くらい当然把握していた。


 ナイジェルは己の力を高める事と、カイエたちに対抗するための兵力を集める事に躍起になっているが。彼が求める兵力とは、情報局のような絡め手に長けた連中ではなく。力づくでカイエたちに対抗できるような強者だった。


 旧魔王軍の勢力も一枚岩ではなく。他の魔族を利用して目的を果たそうとする情報局と、自らの力で道を切り開こうとするナイジェルは対立関係にある。

 もっとも、ナイジェルの方は、情報局など歯牙にも掛けていないという感じだが。


「俺も裏で糸を引いている奴までは辿り着けてないし。情報局の全貌を把握してる訳じゃないから。ガルナッシュに亡命したからって、おまえたちの安全を完全に保証できる訳じゃないけどさ」


 カイエの知らないところで、情報局の連中がガルナッシュに蔓延っている可能性もある。

 そいつらから見ればイルマの亡命は、わざわざ手の届くところまで獲物が飛び込んできた好機に映るだろう。


「イルマさんたちは……僕たちメルヴィンが、ガルナッシュの第一氏族の名に賭けて守ります」


 変化の指輪を外したメリッサは、決意に満ちた目で二人を見る。イルマたちの警護については、父であるジャスティンと、祖父のカスタロトとも、事前に良く話し合っていた。

 イルマの警護は、カスタロト自身が務めることになっているから。情報局と言えども、容易には手出しできないだろう。


「ありがとうございます。私には良く解りませんが……カイエがそう言うなら、私は信じて従いますよ」


 そもそもガルナッシュに亡命するメリットすら、天然系のイルマはイマイチ理解していなかったが。何の見返りも求めずに『俺が勝手にやった事だから』と笑うカイエの言うことだから、信じる事ができる。


 人族である父と、魔族である母――二人が選んだ安住の地であるレガルタを去ることに、抵抗が無いといえば嘘になるが。


 魔族の血が半分流れる自分には……そして何よりも、純然たる魔族であるガゼルにとって、レガルタは決して、生きていくのに優しい場所ではなかった。


 魔族の国であるガルナッシュは、きっと彼らを受け入れてくれる筈の場所であり。カイエが言うのであれば……断る理由などなかった。


「カイエさん……よろしくお願いします!」


 イルマは一点の曇りもない信頼しきった目で、カイエを見つめる。


「あのさあ、イルマ……そういうのは、止めにしないか?」


 『また、いつの間にフラグを……』とローズたちからジト目を向けられて――カイエが背中に冷たいモノを覚えていると。


「おい。カイエ、てめえ……俺は納得してないからな。さっきの話じゃ、うちのお嬢を猛獣の檻の中に入れるようなモンだろうが!」


 情報局との争いの渦中にあるガルナッシュへ亡命する事に、ガゼルは懐疑的だった。


「だから、僕たちメルヴィンが責任を以て君たちを守るよ」


「だろうな……てめえたちにとって、お嬢には利用価値があるからな。だが、わざわざ檻の中に飛び込まなくたって。レガルタにいれば、そもそもお嬢は安全だろうが!」


 メリッサの真摯な申し出を、ガゼルは切り捨てる。 

 彼らの安全がカイエによって支えられている事は理解しているが――だからと言って、ガルナッシュに亡命することが正解だとは思えない。


 いや、本音を言えば……そんな事よりも。イルマの決断の理由に、ガゼル自身の事が含まれている事が我慢ならなかった。

 ガゼルにとって、レガルタよりもガルナッシュの方が生き易い――自分の安全などよりも、イルマがそう考えて決断した事くらい、彼にも解っていた。


「ああ。ガゼルのいう事は解るよ。おまえたちがレガルタに残ったとしても、遺産を狙う奴らや情報局の連中くらい、俺がどうにでもするけどさ……おまえは、勘違いしているよ」


 揶揄からかうように笑うカイエを、ガゼルは睨み付ける。


「カイエ、てめえ……何が言いてえんだ?」


「いや、だって。この状況を一番利用しようと思ってるのは俺だから――情報局の奴らに手出しさせないのも、目的の一つだけど。俺はこの機会に奴らを炙り出して、叩き潰すつもりだから」


 そんな事は――これまで一言も言っていなかったが。

 カイエは当然という感じで宣言する。


「てめえは……やっぱりお嬢を騙して……」


「いや、騙すつもりなら、こんな話なんてする必要が無いだろ? イルマが自分のために亡命を決めたと思って、ガゼルが無理矢理反対してるのはバレバレだし。こうやってバラしてやれば、おまえを黙らせるのは簡単なんだよ」


「「え……」」


 互いの心遣いに気づいて――思わず見つめ合うガゼルとイルマに、ローズたちが生暖い視線を向ける。


「まあ、そんな事より……情報局の奴らを潰せば、当面の間はイルマを狙う魔族はいなくなる訳だし。遺産を狙う連中の事も……そろそろ面倒になって来たし、別の手を打つつもりだから。全部片付いたら、レガルタに戻るなりガルナッシュに残るなり好きにしろよ」


 二人の事などお構いなしに、カイエは話を続けるが――もはや反論など、できる状況ではなかった。


「ところで……そもそもカイエは、ガゼルさんとイルマさんを、鍛えようとは思わなかったの?」


 メリッサは素直な気持ちで疑問を口にする。


 『魔王の啓示』を受けたイルマを守るという目的のためなら……彼女自身や、彼女に最も近いガゼルを強くする事が手っ取り早いと、思うのは当然だった。


「ああ、その事か……でもさ、メリッサ。ガゼルを鍛えたって無駄だから」


 カイエの言葉に――ガゼルが舌打ちする音が聞こえる。


「てめえ……俺を馬鹿にしてるのか?」


「いや、そうじゃなくて……俺はおまえが嫌いだし、おまえも俺が嫌いだろうけど。適当なことを言うつもりはないから」


 カイエは真顔になると――


「ローズたちも……メリッサだって。元々強くなる素質があったから、俺は鍛え方を教えただけだ。だけどガゼルには、そもそも上級魔族なるだけの才能が無いんだよ」


 イルマのために、強くなることを望むガゼルにとって――これは死刑宣告以外の何モノでもない事は解っていたが。


 だからと言って、それを誤魔化すことは――ガゼルに対する最大の侮辱だと、カイエは思っていた。


「イルマの方が……才能から考えれば、まだ強くなる要素はあるけど。本人が望んでいないんだからさ、鍛えようが無いだろ?」


 イルマの事も――『魔王の啓示』を受けた者という才能の基準だけで考えれば、鍛える方法は幾らでもあるが。


 何よりも、本人が戦うことを望んでいないのだから……結局のところ、何をしても無駄だと思う。


「カイエさん……本当にごめんなさい。私が戦うことを拒まなければ……みなさんに、迷惑を掛けることも無いのに……」


「それは違うわよ……イルマが戦う道を選んでいたら。私たちも、あなたと戦う必要があったかも知れないわ。だから……私は『魔王の啓示』を受けたのがイルマで、本当に良かったと思っているわ」


 人だとか魔族だとか――そんな理由で戦う事が、ローズは本気で嫌だと思っていたから。彼女の言った言葉は……嘘偽りの無い本心だった。


「私だって……本気で思うよ。人も魔族も、戦うために生まれた訳じゃない。それを……カイエが、教えたくれたんだ」


 エストは真っ直ぐにイルマを見つめて――ニッコリと微笑む。


「あ……ローズも、エストもズルいよ。私だって、同じことを思ってるからね!」


 満面の笑みを浮かべながらエマは……二人に抜け駆けするように、カイエのの腕を取って、その健康的な胸を押し付ける。


「「ちょっと、エマ……そっちこと、ズルいわよ(だろう)!」」


 ローズとエストは抗議するが――


「私は――ああ、イルマとガゼルの事は、この際どうでも良いんだけど――エマがズルいとか、全然思ってないから」


 漁夫の利を得る事とは……正にこの事だろうか。いつの間にかアリスは、カイエの背中に全身を押し付けていた。


「あとは、ロザリーとメリッサだけと……あんたたちに、そんな度胸は無いわよね?」


 挑発するアリスに――


「ア、アリスさんも……勘違いしないで貰えるかしら。カイエ様は主である前に……ロザリーちゃんにとっては、宿敵なのよ!」


 堂々と宣言する幼女の言葉を――『はい、はい』と、ローズたちは軽く受け流す。


「今さら……ロザリー? あんたは、何を言ってるのよ?」


「そうよね……カイエを宿敵だって言い張るなら――」


「そうたな――今すぐ、絶縁状でも、叩きつけてやれば良い!」


 生暖かい視線を向けて来るアリス、ローズ、エストの三人に――


「え? ロザリーが、カイエの事を好きだって事くらい。私だって、解ってるんだから」

 

 エマが満面の笑みでトドメを刺す。


「ロ、ロザリーちゃんは……そんな事は……決して無いのよ!!!」


 ロザリーの魂の叫びは――全員にスルーされた。


「という事だけど……メリッサは、どうするつもり?」


 掛かって来るのなら容赦などしないと――四人の美少女と幼女は、堂々と迎え撃とうと構えるが……


「僕には……まだ、そんな資格は無いから。だけど……カイエの事が好きって気持ちだけは……絶対に誰にも、敗けるつもりなんて無いよ」


 控えめなのか――はたまた、意図的なのか。メリッサの挑戦状は、五人のハートを直撃した。


「「「「「面白いわね……受けて立とうじゃないの(か)(よ)!!!」」」」」


 まるで決勝戦のようなゴングが鳴り響くが――


「えーと……今回の話って、私たちの亡命の事でしたよね?」


 途中から完全に蚊帳の外に置かれて、イルマは涙目になる。


「いや、そうじゃなくて……カイエ、てめえ! 俺に喧嘩を売ってるのか!」


 ガゼルは無理矢理、バトルモードに引き戻そうとするが――五人の美少女と可愛らしい幼女の前では、自分の無力さを噛みしめる結果にしかならなかった。

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