第143話 エストの生い立ち


 アルジャルスの地下迷宮ダンジョンで、強化された怪物モンスターとの戦闘を満喫した後――カイエたちが次に向かったのは、王都だった。


 ラケーシュよりも先に王都を訪れたのには理由がある。暗殺者ギルドの本部も王都にあり、ギルドマスターを辞めるには、先に本部で話をする必要があるからだ。


「暗殺者ギルドは部外者を入れるのを嫌うから、私一人で行くわよ」


 アリスがそう言うので、他のメンバーはエストが向かう王立大学の方に付き合うことにする。


 王立大学は聖王国最高峰の教育機関で、学生は主に貴族や豪商の子弟と、聖教会に選ばれた学力優秀な修道士だ。


 エストもここの卒業生で、勇者パーティーに入るよりもかなり前の十歳の時点で、全課程を修了していた。


 エストは修道士枠で入学しており――孤児である彼女は、赤子のときに修道院に拾われたのだ。

 ちなみにエストの『ラファン』という家名は、彼女が『賢者』の称号を得たときに、かつて『孤高の賢者』と呼ばれた偉人から取って、スレイン国王が授けたものだ。


 エストが幸運だったのは、彼女を拾った修道院の責任者――司教ダリウス・バーグナーが教育熱心な上に、教会組織の中では『異端』の神を絶対視しない人物だったことだ。


『光の神は全ての人々に光を差し向けてくれるが――それを掴むためには、自ら努力しなければならない。勤勉を怠る怠惰な者にも、神に縋り自ら考えようとしない愚か者にも……光の神は決して、手を差し伸べはしない』


 教会組織の中では、あまりにも『異端』だったため――ダリウスが最上位である大司教の地位に就くことは無かったが。その手腕により独自の人脈作りと資金集めを行い、教会上層部からも一目置かれていた。


 エストはダリウスの修道院で才能を開花させて――修道士でありながら神学部ではなく、あらゆる魔術を学べる魔術学部に進んだ。それを後押ししたのも、ダリウスだった。


『ただし……君に言うのは蛇足かも知れないが。魔法を絶対視するような愚か者だけにはならないように』


 エストはダリウスの助言に従い、王立大学で魔術だけでなく、様々な学問を学んだ。


 そして大学を卒業した時点で――すでに中級魔法すら使いこなし、三つの学位を持っていたエストが、勇者パーティーの一員に選ばれたのは必然だった。


「へえー……前にも聞いたけどさ。ダリウスさんって、凄い人だよな」


 王立大学の広大なキャンパスを歩きながら、カイエにしては珍しく、ほとんど手放しでダリウスを褒める。


 エストは生い立ちを――カイエを含めて、仲間たち全員に以前から話していたが、大学についての話題の流れから、ダリウスの話が出たのだ。


「私はダリウス司教を尊敬しているよ……親でもあり、師匠でもあるような人だからな。私が教会組織ではなく、大学の学部長という道を選んだのも、彼の存在があったからだ」


 勇者パーティーの一員として活躍し、最年少で『賢者』の称号を得たエストを――教会の上層部は大司教として迎え入れようと、様々な画策をして来た。


『教会に育てられたのだから……ラファン殿が、教会のために働くのは当然ではないか?』


 などと、あからさまに口にする者もいた。確かにその通りだと、エスト自身も思わなくは無かったが――


『私の修道院で育った君たちには……教会などという小さなモノに縛られることなく、己の道を歩んで欲しい。それこそが巡り巡って、君たちを育てた『世界』に恩を返すことになるからな……ただし、自らを研鑽することだけは、決して忘れないことだ』


 王立大学に進むときに、ダリウスから貰った手紙を――今でもエストは持っている。


 ちなみにダリウスは、エストが申し出た修道院に対する寄付金も断っている。


『修道院の運営費を捻出するのは私の役目であり、巣立って行った君たちの助力を必要とするほど、私は無能ではない。だから、君は君自身のために金を使うべきだ……ただし、無駄遣いではなく、研鑽のために』


 実際のところ――ダリウスはその言葉通りに、自らの手腕だけで修道院を運営した。

 エスト以外の修道院出身者からも、一切の寄付金を受け取らという――


「俺もさ……ダリウスさんに会ってみたかったよ。エストを俺にくれって――言うべき相手は、ダリウスさんだからね」


「ああ、そうだな……カイエ、ありがとう。ダリウス司教の墓参りにも……一緒に行ってくれるか?」


 第六次魔王討伐戦争が終わる一年ほど前に……ダリウス・バーグナーはこの世を去っている。

 死因は老衰であり――彼は人生を全うした。


「そうね……私も、エマも……エストのことを、ダリウスさんに報告しなくちゃ」


「うん……みんなで、これからも頑張るって伝えようよ」


 ローズとエマは一度だけ、ダリウスに会ったことがある。

 勇者パーティー結成のとき――遠巻きにエストを見つめる白髪の老人の姿があった。


 彼は何も語らずに、ただ肯定するように深く頷いただけだが……その瞳に込められた強い意志が印象的で、二人は今でも覚えていた。


 会ったというよりも見掛けた程度で、言葉すら交わしていないが――エストが何度も語った言葉から、彼がとういう人物だったか、ローズとエマにも想像できた。


「そうだな……アリスも連れてさ。聖王国を出発する前に、墓参りに行こうか」


 そんな感じで四人で話しながら――アルジャルスとの一件で、カイエへの恐怖を再認識したロザリーが、警戒しながら距離を空けて付いて来る光景は、少しだけシュールだった。


 そして、学長室を訪れたエストに、王立大学の上層部の面々は――


「学部長の椅子など……偉大なる賢者ラファン殿は不要のようだな?」

「国王陛下に対しても……不遜な態度を示したと、噂は聞いているが……」

「このような事態は……前代未聞だ。ラファン殿も……いずれ後悔することに……」


 などと集中砲火で、嫌味の言葉を浴びせ掛けて来た。


「はい――如何様にも仰ってください。ですが、私の意志は変わりません」


 『己の道を進んで欲しい』とダリウスが残した言葉を、エストは裏切るつもりなどなかった。


 それでも、上層部の面々は好き勝手なことを言い続けたが――


「おまえらさ……エストが自分で辞めるって決めたんだよ。他人がとやかく言う話じゃないだろ? それでもグチャグチャ文句を言うなら……俺が聞いてやるけど?」


 まるでモノを見るような冷徹な視線を向けられて――彼らは震え上がる。

 カイエの本気の怒りに、成す術などなかった。


「カイエ、私のために……凄く嬉しいよ……」


 エストは感激して、抱きついて来るが――


「……ちょっと、それは納得できないわよ。カイエがエストを庇うのは解るけど……エストだけカイエに抱きつくなんて!」


「そうだよ、エストだけなんてズルい!」


 張り合うようにカイエにと密着するローズとエマに――置き去りにされた上層部の面々は呆然とする。


「ああ、好きにしてくれ……ところで、話は終わりで良いんだよな?」


 こんなグズグズな状況でも、冷酷さを失わないカイエに――彼らはコクコクと頷いた。

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