言語浄化政策(短編集)

相心

言語浄化政策

 美しい言葉遣いを取り戻す――。


 一体いつの時代にそんなことがあったのかは分からないが、ネット依存が著しい現代社会において、国民の言葉遣いが汚染されている、と一人の政治家が訴えた。はじめこそ賛同者は少なかったが、それも我が国の頂点に立つ大臣の不適切発言に伴う退任により人気に火が点く形となった。

 今こそ美しいあの頃を、綺麗な自然と調和した言葉を――。

 政治家は新たな政党を立ち上げ、選挙でも健闘。30の議席を獲得し、過半数を割った与党も無視を出来ない存在となった。その名も、「美辞麗句党」。



【美辞麗句】びじれいく


美しい言葉に美しい語句。うわべだけを美しく飾った、内容の乏しい真実味のない言葉。



 調べてみたところ意味としてはイメージが良くない気もするが、最初はうわべで構わない、私たちはそこからスタートしていかなければならないのだ! という党首の熱弁に、国民やメディアは感動。

 こうして美辞麗句という言葉の意味は紛れもなく、美しさや清潔さを表す熟語へと変貌を遂げた。


「お、休憩か?」


 同僚の加藤に食堂で会う。いや、遭ってしまった。


「最近見かけなかったからなー。どうよ、久しぶりにでも」


 これだ。加藤は僕と会う度にゲームを持ちかけてくる。お互いにとってメリットの無い、金銭が奪われていくだけのゲームを。

 美辞麗句党が提出した法案。それは「不適切な言葉遣いに対し、そのレベルに応じて金銭を徴収する」というものだった。当時これは言葉狩りではないか、表現の自由から逸脱している、と野党議員からの批判も多かったが、反対数が僅かに及ばず法案は可決。

 国民は24時間、全国に設置された音声波収集機「アマテラス」並びに個人のスマホに登録された政府推奨アプリにより発言を確認されることとなった。


「加藤、僕はおま……のせいでここのところ出費が激しいんだ。勘弁してほしい」


 危なかった。「お前」は不適切レベル1。1使用100円だ。


「なんだよ、冷てーな。それよりよ、昨日のニュース見たか? モデルのJuLyと俳優のさ……」


 加藤は僕の断りをスルーして、さらに会話を続けてきた。ああ、そのニュースは見たよ。「不倫」というワードを僕に言わせたいわけだ。不適切レベル3。500円~1000円と庶民にとってはかなり痛い金額だ。

 なぜ範囲がこんなに広いのかというと、統計からその日の国民のワード使用回数により、徴収額が決まるからだ。芸能人同士の不貞があれば翌日に使用される回数は当然増える。政府はそこを狙って金額を吊り上げているのだろう。


「ああ……な。まぁ、驚いたよ」


 便利な言葉、代名詞。僕の中で最も使用回数が増えたワードだと思う。


「だよなぁ。しかも1年以上前からだろ。でお互いの愛を育んでいたのかと思うと羨ましいぜ、全く」


「加藤。それは奥さんに言ったら喧嘩は免れられないぞ」


 まさか「ラブホテル」を言い換えてまで使用してくるとは。加藤のヤツめ、かなり攻めてきているな。だがこの勝負、僕の勝ちだ。


「そんな固いこと言うなよ、男なら憧れるだろ?」


「僕は独り身だからな。おま……加藤の考えは理解できない。それにしても、よく大胆なワードを使おうと思うよな。誰かの影響か?」


「そりゃあもちろん、芸人のヘゲモネさ。よく言ってるだろ、『アグレッシーブ!』って。あのぐらいの大胆さが我が国には必要なのさ」


 僕は笑みを浮かべ、加藤にスマホを見るよう促す。おそらくスマホには、政府からの徴収対象ワードが表示されているだろう。


「ん? おいおい、ダメなのかよ、このワード」


 加藤は小さくため息をつき、まぁ暇つぶしにはなったかー、と言って自分の持ち場へと戻っていく。

 不適切レベル1である「アグレッシーブ」。加藤が知らないのも無理はない。なぜなら今日の朝――厳密には午前9時に追加されたばかりのワードだからだ。ちなみに「アグレッシブ」だと徴収対象にはならない。あくまで芸人、ヘゲモネの真似だと認識されなければ、セーフなわけだ。

 なぜ僕が知っていたかと言えば、日々更新される政府の徴収ワードを調べているからだ。以前3日間で4000円の損失を被ってから、僕は加藤への復讐に燃えていた。そこからこの習慣が身に付いたのだ。加藤がこまめに調べていれば、今日の勝ちは無かっただろう。まぁ、たったの100円なのだが。

 しかし100円だろうと勝ちは勝ちだ。僕は親しい人に「お前」と言う癖がなかなか抜けなく、先ほども危なかったのだが、2回目はわざと言いかけた。これにより、加藤の中にも僕に勝てる、という油断が生まれたのではないか。自分で自分を褒めたい。ナイスだ、僕。

 


   ●

 


 気分よく昼食を食べ終え、午後からは午前の残りの仕事をだらだらこなす。定時で帰宅した後、インターネットとアルコールで一人の寂しさをまぎらわす。加藤は今頃文句を言いつつも奥さんと息子と3人で食卓を囲んでいるのだろう。絶対浮気なんてするなよ、と僕は昨日から話題に挙がっているモデルと俳優の不倫報道を見ながら思う。

 さらにニュースを見ていくと、今日の僕の勝利に貢献した芸人についての記事があった。



 お笑い芸人ヘゲモネ(29)は、言語浄化政策に取り組んでいる時代に逆行した攻めたワードを連発し、レベル3以上の発言も厭わない積極的な芸風が受け、今年ブレークした芸人であった。決め台詞の「アグレッシーブ」がレベル1となった今、彼がこの先どのような行動を取っていくのか見守っていきたい。



 などと書かれていた。コメント欄は政府の行いに対して賛否両論だったが、一部は削除されており、「52が兎」や「140がバニーされとる」など隠語が目立つ。ネットへの不適切ワードの書き込みも徴収対象とされてから、アカウントを持たない者の書き込みは不可能となった。発言せずとも、お金は吸い上げられる。確かに掲示板の質は上がったが、どこか寂しくも感じる。

 ちなみにこの「バニー」や「兎」だが、元々は消されたコメント欄を指して「○○が滅却」「消失ウケる」が主流だった。しかしこの「滅却&消失」も不適切ワードとして徴収対象になり、バニッシュを語源とした「バニられる」→「バニー」→「兎or卯」と変遷している。「兎」まで不適切扱いされたらもう末期だな、と思いつつ、本当にされそうだから笑えない。

 それはさておき、この芸人は決め台詞を使う度に100円が失われるわけだ。けれど今の彼の経済力を考えれば1日に10回使用したところで痛くも痒くもないだろう。ただ、今後も使用していくのならばレベルは上がっていく。「アグレッシーブ」が使われなくなる日も近いのかもしれない。

 僕は彼が受けたのは世の中に蔓延る不満の声を代弁していたからだと思う。言語浄化政策により徴収される金額は、国の歳入の割合の数十パーセントにも及んでいる。実際に調べたわけではないが、ここ数年お偉いさん方の汚職が増加したような気もする。

 こないだも人気動画配信者が【不適切ワード1から5まで使ってみた】という動画を載せ、即アカウントが停止された。しかしこの動画は転載がいくつもされ、消しては載せられ、消しては載せられの状況が続いている。今も僕はその動画を見ながら、安い酒を飲んでいる。配信者がその後どうなったのか不明だが、明らかに好感度は上がった。ただ、その人にとっての100万円の損失などなんてことないはずだ。

 結局、お金がある人にとっては罰金とも抑圧とも言えるこの政策は道端にある石ころと同じなのだ。バカヤロー、と叫びたいが「馬鹿」は不適切レベル2。ボーナスが入らない限り簡単には叫べない。

 


   ●



 美辞麗句党の党首、ホテルで秘書との熱い夜――。

 今日発売の週刊誌が報じたスクープに、世間が騒然とした。なんせ言語浄化政策の第一人者の失態である。各メディアがこぞって取り上げた。妻帯者である党首は、あの記事につきましてはこれからの我が国について秘書と語っていただけでしてー、国民の皆さんには、誤解を招く行動をとってしまい、大変申し訳ありません、などと語ったが、後の祭りである。まさに「美辞麗句」。これほど滑稽なこともない。

 あっという間にこの四字熟語は流行となり、僕や加藤、周囲の人達も頻繁に使用した。そして流行は、突然終わりを迎える。不適切ワードに「美辞麗句」が追加されたからだ。レベルは1。党首は退任したものの、未だに党は健在なのだ。全く、息苦しい世の中だと思う。

 僕はその日、「美辞麗句」を5回使用した。昼食を我慢するだけで済むのなら、安いものだ。

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