113.義母と義兄嫁④(怖さレベル:★★☆)

『きょうも食事がなかった』

『冷蔵庫のなかに、なにも食べものがない』

『かぎがかけられて、買いものにもいけない』

『あつい、あつい。窓があかない。エアコンは暖房しかつかえない』


などの文言が、えんえんとつづられていたのです。


私がなにも言えず、ただ義兄に視線を動かすと、

彼は両手で目をおおって、か細い声で言いました。


「母さんの世話……あいつにまかせっきりで。

 おれが、もっとちゃんと……やってれば……」


と、後悔と懺悔をないまぜにしたようにうめきました。


しかし、私たち夫婦だって、いくら彼らが引き受けてくれたからといって、

ほぼほぼ義兄夫婦に義母の面倒をおしつけていたわけで、

今となっては、責めることなどできようはずもありません。


「いえ……私たちもご負担をかけてばかりでしたし……

 それにおかあさん、痴ほう症が進んでいたんでしょう?

 いろいろ忘れてしまって、こんなことを書いたのかもしれませんし……」


と、なぐさめの声をかけましたが、

横の夫が、ため息とともに、大きく首を横に振りました。


「……今度は、そっちのノートを見てみろ」


残された、もう一冊。

表紙にデフォルメされたかわいらしい猫がプリントされた、

雑貨店などでよく見かけるタイプのノートです。


(なにか、わかるの……?)


疑問を浮かべつつ、そっとノートを開きました。


そして、まっさきに目に飛び込んできた一言に、

度肝を抜かれてしまったのです。


『殺してやりたい』


えんぴつを紙に押しつけるように殴り書かれた文字の下に、

さらに恐ろしい言葉が続いていきます。


『はやくいなくなれ、ババア』

『なんで生きているのか』

『死んでしまえばいい』


目をうたがうほどの罵詈雑言と呪詛の数々が、

紙面をのたうつように這いまわっていました。


まるでこれ自身が呪いの書でもあるかのように、

ノートの端々から、強い負の感情がうかがえます。


「あ、あの……これって……もしかして……」


うすうす気づきつつも、確認のために義兄を見ると、


「……義姉さんのだよ」


と、冷たい声が夫から投げ入れられました。


「ほとんどのページがそんなありさま。

 最初は近所の人だとか、パート先のことばっかりだけど……

 途中から、母さんに対する個人攻撃の数々だ」


軽蔑しきった目でノートをにらんだ夫は、にがにがしい声でそう吐き捨てました。

ビクリと震えた義兄の肩を、しかし夫は、なぐさめるように叩きます。


「悪い。……兄貴には、つらい内容だった」

「いや……すまん。俺が悪いんだがな……」


心底弱りきった声で謝罪した義兄は、目に片手をあてて続けました。


「これ……母さんの方のノート、仏壇に入っていたんだ」

「仏壇に……?」


フッ、と。


あの日――義母を見舞いに行った日のことが、脳内に想起されます。


黒く現れた、もやのようなモノ。

あれは、義母の恨みの念だったのでしょうか。


それとも、義母が言っていた通り、

義母がいびられていることを知った、義父の霊だったのかも、しれません。


私が、しんみりとあの日の記憶にひたっていると、


「兄貴……これ、警察に提出するぞ」

「ああ……」


と、二人がなにやら頷きあっていました。


「えっ……たしかにイジメは問題だけど、二人とも亡くなってるのに、

 警察って対応してくれるの?」


家庭内のイジメ問題に、警察が介入してくれるのだろうかと、

私が首をかしげていると、


「そのノート……最後のとこ、読んでみろよ」


夫はいっそ憎しみすらこもった声で、語気を荒げました。

私は眉をひそめつつ、言われるがままにページをめくり――

その内容に、戦慄しました。


『ついに、アレを殺してやった』

『食事抜きにしてしばらく。もうロクに力も入らないらしく、

 風呂場に引きずっていったって抵抗もしない』

『あっけない最期だった。もう先だって長くないんだ。イイ気味!』


手のひら全体がブルブル震えて、指先からノートが滑り落ちました。


間違いない、殺人の告白。

それも、なんの後悔も懺悔もない、最低の。


「わかっただろ?」


夫は落ちたノートをつまみ上げ、乱暴にベッドの上へと放り投げます。


そこに至って、ようやく――ようやく私は、

この二人がここまで陰鬱な表情をしている意味を、心から理解しました。


「兄貴……気をしっかり持てよ」


夫は、もはやなんの声も発しなくなった義兄の背中を、

ひたすらなぐさめるように撫で続けていました。




……事件は、これで終了です。


義母は事故死から一転、殺人の被害者に代わり、

亡くなった義兄嫁が被疑者とされました。


私も……えぇ、驚きの連続でした。

たしかに、彼女は独特の性格をしていましたけれど……

まさか、義母を手にかけていた、なんて。


そして……当人までもが、同様に浴室で亡くなってしまう、なんて。

夫などは「因果応報だな」なんて吐き捨てていましたが……。


例の日記は、二冊とも警察が証拠品として押収し、

今も、手元には戻ってきていません。


ただ……義母の日記の最後のページ。

ノートを提出する直前、偶然目に入った言葉があったんです。


ほんの一瞬でしたし、チラっと見ただけで、

もしかしたら――見間違い、かもしれませんが。


ずっと空白だった、ノートの後半。

その最終ページに、元気だったころの義母の優しい字体で、

ひと言、文字が書かれていました。


『あいつもみちずれ』

と。


義兄嫁の死も、ただの事故、だったのでしょうか。

あれからもう三年が過ぎ去っても、いまだにそれは、謎のままです。

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