112.セキュリティエラー②(怖さレベル:★★☆)

最後、ぐるりと事務所内を見回した時だって、

当然ながら、なかにひと気なんてありませんでした。


セキュリティセンサーが、故障しただけかもしれません。

だとしたら、上司に一報、連絡を入れたほうがいいでしょう。


そう思いはしたものの、こんな時間に連絡をつけるのも迷惑な気がして、

私は三度目の正直と、祈るような気持ちでもう一度パスワードを入れましたが、


『ERROR』


無情にも点滅する、エラーメッセージ。


(ど、どうする……?)


施錠もしないまま、さっさと帰るわけにもいきません。


しかたない、不可抗力だと、

携帯電話をカバンから取り出した時です。


ガサッ……


「……!?」


なにか、物音が聞こえました。


(い……今の)


携帯を持ったまま、一歩、二歩、後ずさりします。


ブゥゥゥン……


真上にある蛍光灯が、チカチカと、点滅をくり返しました。

白、黒と視界の色が変わり、ぞわぞわと怖気がわき上がってきます。


今の、物音。

それは確かに、誰もいないはずの、事務所のなかから。


「う……」


ガクガクと震えつつ、廊下の窓ガラスからうっすらと見える、

まっ暗な社内に目を凝らしました。


物音は、一度きり。

耳が痛くなるほどの静寂が、場を支配しています。


『……もしもし!? おい、もしもし!!』


と、ギュッと握りしめていた電話から、

不意に大きな声が聞こえてきました。


(ヤバッ……上司の番号、押してた……!)


私は、慌てて携帯を耳に押しつけました。


「す、すみません、こんな時間に」

『おお。いや、構わないが……どうした?』

「えっと……今、セキュリティをかけて事務所から帰るところなんですが……

 エラーが出ちゃって、閉められなくて」

『エラー……? なんのエラーだぁ?』


時間が時間なためか、上司の声には酒に酔ったような

間延びした響きが含まれています。


「えぇと……センサーのエラーみたいで。なかに人がいるとか、そんな」

『ハハッ、この時間にか? じゃあ、なかになにかいるのかもしれねぇなぁ』


完全にできあがっているらしい上司は、

まるで茶化すように笑っています。


ただでさえ心細いうえに、今まさに恐怖にみまわれている自分には、

あまりに適当な対応に思わずカチンときてしまい、


「いっ、いるわけないじゃないですか!!

 社内に誰ひとりいなかったのに……さっきまで、物音一つしなかったのに!!」


もはや悲鳴まじりの大声で、言い返してしまいました。


『お……おぉ……そうか。いや、わ、悪かったな……』


さすがの剣幕に上司もおののいたらしく、

珍しく謝罪まじりの声がかえってきます。


「い、いえ……大声を出してスミマセン。それで……どうしたらいいんでしょうか」


仕切り直すようにこちらも謝って、携帯電話を持ち直しました。


『あー……オレの机んなか、右の引き出しの二番目に、

 魚のキーホルダーがついてるカギがある。それ使って閉めてくれ。

 帰りに郵便受けに放り込んでおいてくれりゃいいから』

「机の右、二番目の引き出しですね。わかりました」

『おー、遅くまでわるいな。じゃあまた明日』


と、上司との会話はそれで終了しました。


「……ハァ」


能天気な上司との会話は、

恐怖に冷え切った全身をすこしだけほぐしてくれました。


解決策もみえたことだし、さっさと言われた通りカギをもらってこよう。


そう考えて、はた、と気づきました。


「……あの人の机、事務所の一番奥じゃん」


センサーがなぜか反応している、妙な物音が聞こえた部署のなか。

そこに再び、足を踏み入れなければならない、というコトです。


(…………っ)


心が、体が、とてつもない拒絶信号を発していました。


噛んだ下唇は血の気を失って冷たく、

ふくらはぎがピクピクと小刻みにけいれんしています。


――入りたくない。

けれど、施錠せずに帰ったら、明日なにを言われるか。


矜持と義務感と本能的な恐怖が、

腹のなかをグルグルとかき混ぜました。


ブウゥゥン……


頭上の蛍光灯は寿命が近いのか、怪しい点滅をくり返しています。


「さ、さっさとカギ……閉めなきゃ……」


このまま立ち止まっていたところで、事態は進みません。


深く息を吸って、吐いて。

気合を入れなおして、事務所の扉に手をかけました。


……ギィー


ふだんであれば、なんとも思わぬ音。

だというのに、まるで蚊の羽音のように不快に耳に残ります。


パチッ……


再び照明のスイッチを入れれば、パッと蛍光灯が社内を照らし上げました。

パソコンとサーバーのかすかな駆動音だけが、完全な静寂を防いでいます。


「…………」


携帯電話を片手に、慎重にあたりを見回しました。


なんの、物音もしません。

動く人影も、ありません。


「……あっ」


と、私の視線は上司の机に吸い寄せられました。


大量に積み上げられた、書類の山。

いくつかあるそのタワーの一番端が、わずかに崩れているのです。


(重さに耐えきれず、倒れただけ……だよな?)


さきほどの、ガサッという音はきっとこれでしょう。

かたむき加減を見ても、自然に倒れたとおぼしき崩れようでした。


「だよな……幽霊なんて、ハハ……」


冷えた沈黙のなか、つまらないひとり言をもらしつつ、

足早に上司の机へと向かいました。


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