88.自宅の階段①(怖さレベル:★★☆)

(怖さレベル:★★☆:ふつうに怖い話)


短い話、なんですが。

あれは夜、ボクがふと目覚めたことから始まったんです。


十月後半の、夜。


うっすらと開いた窓からは、ザワザワと枯れ葉のこすれあうざわめきと、

普段なら気にもとめぬような小さな虫のさざめきが聞こえてきます。


「んー……」


腹をさすりつつ、身体を起こして時計に目をやりました。


時刻はすでに、明け方に近い四時半すぎ。


昨夜、親が旅行中であるのと翌日が休みである解放感とで、

ふだんはさほど飲まない焼酎を調子にのって四本も空けてしまったんです。


二日酔いでズキズキと痛む後頭部と、

膨れた腹をゆっくりと撫でながら、用を足すために立ち上がりました。




シン……


日の昇る前の、真っ暗な廊下。


寒くなり始めた秋の夜気に身を震わせつつ、

隣の部屋で眠る妹を起こさぬよう、忍び足でトイレに向かいます。


「……ん?」


チラリ、と網膜を黒い何かがかすめました。


薄暗い廊下で、それよりもなお黒いそれ。

ビクッと震えたつま先が、その先へ進むのを拒否します。


(おいおい……)


まさか、幽霊……いや、泥棒?


今すぐに自室へ逃げ帰りたいという思いを必死で抑え、

ボクはゆっくりと、その方向へ目を向けました。


ボクらの部屋のある二階から、一階のリビングにつながる階段。

その下に、なにかが見えます。


「……え」


夜の静かな空気と、その黒くくすぶる影。

足先から伝わる震えが、ガクガクと腕にまで伝わってきました。


トン、トン、トン。


そんなこちらに目もくれず、

いっそ軽やかな足取りで階段を登ってきたのは、小柄な姿。


「……あ、ち、チィか」


それはなんてことのない、うちで飼っている猫のチィでした。


白黒のぶち柄であるチィ。


彼女は、恐怖から解放されて腑抜けたボクのことを

キョトンとかわいらしく見上げます。


「ごめんな」


撫でるために伸ばした手はサラリとかわされ、

そのままうっすらと開いている妹の部屋のドアの隙間へと、

チィは消えていきました。


「ハハ……時間が時間だからって、ビビりすぎだな」


暗い視界で動くものが見えた、という事実に動揺して、

飼い猫の可能性すら頭から抜け落ちるなんて。


今の今まで幽霊なんて見たこともないし、

まだ飲んだアルコールが抜けていないんだなぁと自嘲しつつ、

ボクはトイレに向かいました。




「はー……寝るか」


出すものを出したおかげか、執拗な二日酔いの頭痛もだいぶ緩和されています。

ボクは着衣を整えつつ、さっさと部屋に戻ろうとトイレのドアを開けました。


シン……


廊下はあいかわらず冷たい静謐に満ちています。


慣れ親しんだ我が家であっても、

まるで別世界のような落ち着かなさを覚えました。


(いやいや……ただ暗いだけだって。なんてコトないだろ?)


なぜかやたら腰が引けている自分を鼓舞するように言い聞かせ、

部屋へ戻ろうとトイレに背を向けました。


すると。


シュッ


またもや、目の端をかすめる、なにかの影。


「ハハ……チィ、二度目はないって……」


また脅かされてたまるかと、視線を影の方向――

ふたたび、階段の下方へと向けました。


と。


そこで一つ、違和感を覚えました。


ついさっきと、まるきり同じ方向。


チィは、妹の部屋へ入っていったはずです。


うちで他に飼っている動物はいないし、

親は揃って旅行中。


となれば、一体――?


ボクが混乱する脳内を必死で整理しようとしていると。


――トン。


階段を、上る音。


「……え、っ」


視界に入ってきたそのモノに、

一瞬、呼吸を忘れました。


黒い、人影。


ただそれだけであれば、まっ先に泥棒を疑うそれは――しかし。


「……ぼ、ボク……?」


身体つき、身長、顔の造作。

そしてさらに、たったいま着用している、その服装。


そのすべてが――まったく差異のない、自分自身そのものであったのです。


「――ッ?!」


ドッペルゲンガー。


脳裏によぎったのはその単語。


自分に瓜二つのその人影は、

一歩階段に足を踏み出してから微動だにしません。


呆然とそれを見下ろすこちらに目を向けることもなく。

ジッ、とそれ自体が一枚の写真であるかのように。


ピタリ、と硬直していました。


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