87.森の中のくねくねもどき③(怖さレベル:★★☆)

「お、お前も……聞いたことくらいあるだろ!

 ほら、く、くねくねっていう……妖怪」


ジリジリとその一反木綿まがいと距離を離しながら、

勝浦は犬のように低く唸りました。


「くね……え? あの怖い話とかに出てくる……バケモンか?」

「それ。それだよ、あいつ……たぶん、だけどな」

「ハハ……そ、そんなバカな」


ひどく真面目な表情で語る友人に、僕は苦笑いを浮かべようとして失敗しました。


「そりゃ、俺だって研究者じゃねぇし、正確なコトなんてわからねぇが……

 うちの地元には、よく現れるらしいってのは、聞いてた」

「あっ……じゃあ、今まで言ってた、午後に出るかもしれないってのは」


梢の間から、白いそれがチラチラと間違いさがしのように蠢いています。


「アレだ。……出るタイミングは場所によってバラバラらしい。

 ここじゃ午前中には出ねぇ、って聞いてたんだけどな……」

「……なぁ、アレ、マジなのか。あれを理解したら狂う、って話……」

「……。……釣り仲間の一人が、引きずり込まれたって話は、知ってる」


勝浦が震えながら荷物を抱えている傍ら、

僕はだらだらと冷や汗が流れるのを感じつつ彼の傍に近寄って、

車までの距離を考えました。


舗装された道ではありませんが、全力で走り抜ければ

五分たらずで到着できる、はず…….。


「勝浦! 走るぞ!」

「え……ま、待てって!」


例のくねくねもどきとこちらとの間は、幸い川で阻まれています。


あれの速度はわかりませんが、追いついてくるまでに

おそらく逃げ切れるはず、と勝浦を急かしつつ、

森の中の道を駆けだしました。


「ハッ……ハッ……と、とにかく、車に……!」


釣り具が重く、とても軽快な走りとはいえませんが、

バケモノに精神をのっとられてたまるかと、死に物狂いです。


「ハッ……森崎、気をつけろよ……! あんまり、周囲を見るな……!」

「わ、わかった……!」


うっかり視界に入れて、ウワサ通りに自我を失うなどごめんです。

しかし、そんな僕の不安を更に煽るかのように、森崎は息を切らせつつ呻きました。


「それ、に……あれ、一匹とは、限らないんだ……っ」

「……え?」


一匹とは、限らない。


その意味を、正しく脳が理解しようとした、その瞬間。


カサッ


右目の視野の端に、白いモノ。


「うっ……うわぁあぁあ!!」


それが『何か』を認識する前に、僕は叫び声を上げ、

とっさに手元に近かった木の棒を折って、影の方へと投げつけました。


ギィッ

ギィギィッ


獣の警戒音まがいの声が、森の中へと響き渡ります。


ギィッギィッ

ギュギギッ


連続で鳴らされるそれは、まるで――そう、仲間を呼び集める信号のような――。


「森崎っ! 早く走れっ!」

「う……う、あぁ」


ドン、と背を小突かれて、僕は足をもつれさせつつ再び走り出しました。


森全体がザワザワと梢を震わせて、時折あのくねくねもどきの声が四方から聞こえてきます。

そんな生きた心地のしない数分間を、全力疾走で乗り切り、ようやく。


「車だ! 早く乗り込め!」


ガチャガチャと荷物を雑に後部座席に放り込み、

慌てて車のエンジンを入れます。


「全速力で逃げろっ!」

「言われるまでも……っ!?」


無事にエンジンがかかった安堵感から、

一瞬バックミラーに目をやったのがいけなかったか。


砂利と草むらの境界線。

木々の合間にゆらりと現れた、白いモノ。


あ、と気付いた時には、腕がブルブルと震え始め――


「うぎゃぁぁぁあああ!!」


ハッ、と助手席の勝浦の悲鳴で我に返りました。


彼もどうやらサイドミラーであれを見てしまったらしく。

目と口からダラダラと液体を垂れ流し始めています。


「くっそ……勝浦、許せよ!」


僕は右手でハンドルを握りしめつつ、

空いた左手で容赦なく彼の頬を殴りつけました。


「……ッた!! あ……俺……」

「いーから! もう森ん中見んな!!」


痛めた頬をさする勝浦を叱咤しつつ、

僕はアクセル全開で逃げるようにその場を去りました。





……僕の体験は、これでお終いです。


え? 前置きのわりに大したことはなかった?

はは。まぁ幸いにも、僕も勝浦も正気を失わずに済んだので、

なおさら怖くないかもしれませんね。


それに、くねくねって田んぼに出る、っていうでしょう?

僕たちが目撃したのは、めったに人も訪れないような、山奥の場所。


くねくねは、よくカカシと間違われたり、さらし者にされた人間の末路だとかって聞きますから、

厳密には同じものではないのかもしれません。


それに、うちの地方の山でばかり、よく見かけられているというのも……

きっと……何か、意味があるのでしょうね。


あれと相対した瞬間の、あの、地獄の窯の中に放り込まれたかのような、無尽蔵の恐怖。

あれだけは……今になってもなお、忘れることができません。

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