55.三年前の約束④(怖さレベル:★★★)

私も脳内にあの時のことを思い出し、手のひらに爪を立てました。


窓辺に現れた、白い頭。


一瞬ではあったけれど、唯一黒い瞳だけが、

まるきり無機質な表情で、ただジッと妹のことを見つめていた。


あれが、本当にサナというミナコの友人なのか。

一人が寂しくて、妹を連れていこうとしているのだろうか……。


「……まだ、かな」


三分、十分、二十分……。


病室の中は遮音されているせいか、物音一つ聞こえてきません。


ただただ終わりを待つだけの苦痛な時間ばかり過ぎてゆきます。


と。


ガタッ


病室の扉が、なんの予兆もなく開きました。


「……お待たせいたしました」


宮司さんが、ニコリと今まで初めて見た優しい笑みで私たちを中へ招き入れてくれました。


「お、終わったんですか!?」

「ええ」


食い気味で尋ねると、彼はおだやかに頷いて、


「すべて終わりました。

 これで妹さんが連れていかれることはないでしょう」


ときっぱりと言い切りました。


「よ……良かった……」


母も心底ほっとした様子で、

不安が消えうせた表情でスヤスヤと眠る妹の元へ駆け寄りました。


そんな母に向けて、宮司さんは落ち着かせるように語りました。


「娘さんにもお伝えしましたが、あの顔……あれはミナコさんのご友人ではなく、そのやり取りに付け込んだ別の悪霊の仕業でした。

 ですから、罪悪感を持つ必要はありませんし、ミナコさんが責任を感じる必要もありません」

「に……偽物だったってコトですか」

「ええ。ああやって顔だけチラっと見せてきたのも、

 こちらの方ではっきりと顔を視認させず、勘違いさせるためでしょう」


宮司さんは、たんたんと冷静に頷きました。


妹は同じ説明を受けたのでしょう。

すっかり顔色も元通りになり、寝息もどこかおだやかです。


「それでは……私は、お姉さんと残りのお手続きとお話がありますので」

「あ……本当にありがとうございました」


ペコペコと頭を下げる母を残して病室を出て、

話とは料金の支払いのことだろうかと思いつつ後についていけば、


「では……お手数ですが、うちの神社に」

「え……お支払いのことでは……」

「いえ。……少々、お話が」


と、さっきの優しい表情とは打って変わった、神妙な表情で告げられたのでした。




「まず……お伝えしなければなりません」


神社の社務所でお茶を頂きつつ、

一対一の対面になり、彼はそっと話し始めました。


「アレは……妹さんの友人の名を語った悪霊、と申しました。……しかし」


宮司さんは、迷うような、困ったような表情を眉に宿して、


「アレは……まごうことなく、そのご友人です」

「……えっ?」


先に語られた内容とは真逆の話に、私はポカンと口を開きました。


「だ、だって……え……?」

「混乱させてしまって申し訳ございません。

 妹さんには、アレをご友人と思わせるわけにはいかなかったのです。

 ……付け込まれる隙を作ってしまいますから」

「あ……」


確かに、あの幽霊がただの悪霊ではなく、本物の友人だとミナコが確信してしまったら。

そうなれば、今まで以上に気に病むに違いありません。


「でも、ど、どうして私には本当のことを……?」

「……妹さんにとり憑いていたものは祓いました。しかし、それはあくまで一時しのぎ。

 ミナコさんが心を弱らせれば、いつ再び現れるかわかりません」

「えっ……そ、そんな」


それはつまり、完全に落とせたとはいえないのではないか。


そう思い、言葉を失っている私を前に、

彼は小さな袋を三つ手渡してきました。


「これはお守りです。……エセ神主と思われるかもしれませんが、妹さんとご友人の約束した場所、

 そしてご友人の血筋はとても恐ろしいものです。我々にはこれで手一杯」

「そ……そんな強力な呪い……なんですか」

「……。正直、妹さんだけでなく、あなたやお母さんにまで見えてしまったというのは非常に危険なんです。

 こういう約束というのは互いの間でしか成立しない。だというのに……お二人にも見えてしまったということは、

 それが、妹さんではなくあなた方二人のどちらかを連れていってもおかしくないということ」

「……えっ」


冷や水をかぶせられたかのような怖気が全身に走りました。


「そ、そんな……子ども同士の口約束で、そこまで……?」

「……彼女たち、その約束をどこでしたか聞きました?」


神主さんは、ひどく落ち着いた口調で、

蒼白な顔色ですがるように尋ねる私に問いかけを返しました。


「えっ……いえ」

「……地域の川のほとり。それも、無縁仏のたち並ぶ墓地のすぐそば。

 ……妹さんは、墓があることに気付かなかったようですが」


首を振る彼の言う地域の川というのは、県境をまたぐ巨大な川にいずれ合流する細い河川で、

たしかに川べりには小さな墓が立ち並んでいます。


川は浅いし、サワガニやら小魚やらがとれるので、

子どもたちの遊び場としてよく使われているような場所です。


「そして……件のご友人は、特殊な血筋の方のようで。

 ただの約束が呪術となってしまったようですね」

「じ、呪術……」


まるで聞きなれぬ言葉に、私はただただ呆然と言葉をくりかえすことしかできません。


「……と、さんざんおどかしましたが、お気を強く持てば大丈夫です。

 くれぐれも……付け込まれませんように」


宮司さんはニコリと笑って、話を閉めました。

私と言えば、とても入り込めぬ世界の話に、頷くほかにありませんでした。




……その後、あれから三年ほどが経過するものの、

妹、母ともに何事も起こっていません。


妹は事故の後遺症で足に大きな傷が残ったものの元気で、

あの忌まわしい記憶をおくびにも出すことはありません。


ただ、彼女の命日には必ず、うちの家族は揃ってお参りしています。


「……サナちゃん、きっと天国で見守ってくれてるよね」


今年の命日、訪れた彼女の墓標の前で花を捧げながら、

ポツリと妹は呟きました。


同行した母は、困ったような泣きそうな表情のまま頷き、


「ええ……だから、しっかり生きていかなきゃいけないのよ」

「うん……」


力強く頷くミナコ。その背を撫でる母。


そんな二人の微笑ましいやり取りを前に、私はただただ沈黙を守るのみ。


「さ、行こ……お姉ちゃん」

「うん……」


墓に一礼して去っていく二人に続き、私はくるりとその墓標を振り返りました。


「…………」


白い、顔が。


何も感情を想起させない顔で、

墓の片隅から私を見つめています。


「おねーちゃん! 置いてくよー!」

「ごめんごめん……すぐ行くよ」


それを一瞥したのち、きびすを返して二人を追いかけます。


残念ながら、私にお守りは効かなかったようです。


出来る限り抗うつもりですが――

いつかきっと、私はアレに連れていかれてしまうのでしょう。


ああ、今も記者さんの後ろに――顔が、顔が見えるんです。


三年前にはぼんやりだったあの顔も、

今やはっきりと輪郭をとり、ただただ私のことだけをジッと見つめてくるんです。


もう……もう、私はダメなのかもしれません。

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